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東京散歩・本郷小石川#09/白山三業地

この本郷台地だが、西側は小石川谷の支谷がはいり込んで複雑な形をしている。・・太古を飛ぶトンビなら視える。だからトンビになった気分になる。

一番大きいのは指ヶ谷(さすがや)で、これによって白山台地がある。菊坂、西片あたりの支谷もそれだ。前述したように本郷台地は西の小石川谷に対して急斜面が多い。同じく小石川谷に向かう小石川台地との大きな違いだ。
江戸時代、今の白山上と白山下にかけて小役人屋敷が並んでいた。こうした屋敷を指ヶ谷(さすがや)と呼んだ。明治の御代になると、廃屋が増えたので、農業奨励とか言い出して明治政府が指定した東京府長によって葉ものを作る畑が多く作られた。この辺りは畑だらけになった。同時に加賀様と前田様の江戸屋敷が明治政府に召し上げられて根陸軍のための兵舎/工場になった。それが三業地(芸妓)屋/待合/料理店)を育てた。花街として栄えたのである。その振るやな様子は近所に住んでいた樋口一葉が「にごりえ」の中で描いている。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/387_15293.html

徳田秋声の「縮図」の主人公はも白山花街の芸者である。https://www.aozora.gr.jp/cards/000023/files/1698_46840.html

この「白山三業組合」のドサクサで大物になったのが鳩山和夫、鳩山一郎の父、鳩山由紀夫の曾祖父である。

さいわい、この辺りは戦災を逃れた。特殊慰安施設協会立ち上げの中核になったのは彼らだったことはとりあえず触れておきたい。
特殊慰安施設協会が何かは此処で触れない。

ちなみに、いわゆる三業地の名残を残している街は既に殆どない。白山は焼失しなかったことも有って数少ない遺産だ。ぜひ消えてなくなる前に散策することをお勧めしたい。
関東大震災の後、この辺りには沢山の印刷工場が移転してきた。それを描いたのが徳永直の「太陽のない街」である。彼の「工場新聞」は青空で読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001308/files/49287_70188.html


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました