見出し画像

小説特殊慰安施設協会#11/1-3特殊慰安施設協会

1945年8月15日正午、昭和天皇自らの手による終戦宣言後。鈴木貫太郎内閣は即時解散。17日に、皇室から東久邇宮王が選ばれて、皇族による内閣が組成された。東久邇宮は当時57歳。フランス留学経験の長いリベラルな皇室である。在仏時代には画家を目指しマネに師事したこともある自由な気風を持つ方だった。彼は始め内閣就任を固辞した。あまりにも大任である。敗戦処理には大きく国体護持の問題が絡まる。そのために、どうしても皇族の手による政府が必要だ。

ならば政治経験が長い近衛文麿が適任である。東久邇宮王はそう言ったという。しかし昭和天皇に強く望まれて、東久邇宮王は、その大任を請けた。そのとき彼は、自分の右腕として近衛文麿が入閣することを条件にした。

陛下の決断による終戦である。陛下の意思に逆らう反乱が起きてはならない。無血で連合軍に城を明け渡す。私は徳川家ができなかったことをやる。東久邇宮王は、そう決心された。そして戦後処理を深慮したとき、彼は陸海軍が解散した今、日本国内で統制力を持つのは警察組織になると考えた。その警察をどう編成するか、これが火急な最重要課題になると考えた。

東久邇宮王の考えを請けて内務大臣に指名された山崎巌が、以前から知り合いだった坂信弥を警視総監として指定した。
 18日、坂信弥は近衛文麿に呼ばれて首相官邸を訪ねた。
 近衛文麿は東久邇宮王の心情を最も深く理解しているといってもよい。

画像1

近衛文麿は、最も重要なことは些細な衝突もなく恙なく連合軍の進駐を受け入れることであると語った。それが一刻も早く彼らによる支配から離れ、独立国家へ日本が立ち戻る道であると語った。そのために些細な衝突があってもいけない。特に婦女子の問題が起きるのは是非とも避けたい。進駐軍兵士による暴行などが起きた場合、これが強い反米意識となり、ひいては元軍人引き揚げてきた兵士たちによる反米蜂起の要因にもなりかねない。

「このことは君が直接責任をもってやってくれたまえ」と近衛文麿は強く重ねて坂に依頼した。
坂信弥は官邸から戻ると、すぐに経済警察部長の池田清志を呼んで近衛文麿に託された使命を伝えた。池田は「そういう業務なら手慣れた者を担当にすべきでしょう」と言って、保安課長だった高乗釈得と、保安課風紀係長だった大竹豊後を呼んだ。
 そのとき池田は、高乗と大竹に、料理飲料組合を中心に民間の組織を作るように。そして警察からの指示は何も書面を残さないようにと指示した。
売春が本業でない料理飲料組合を中心に民間組織を作らせるという案は坂信弥のものだった。
この日、橋下内務省局長の名前で「外国人駐屯地における慰安施設について」という通電が各府県長官に向けて送付されている。

東京都料理飲料組合の会長は宮沢浜次郎だった。
料理飲料組合と言っても度重なる空襲によって、大半の店は焼失していた。組合員の大半が地方に疎開している状態だった。まず関係者を集めるだけでも一苦労の時代だ。
「26日に連合軍が進駐してくる。それまでに彼らのための慰安設備を、君たちの手で作ってくれ」と高乗保安課長が言った。
「あと一週間で。ですか。」宮沢は口ごもった。
「資金は用意する。国の方から用意する」
「・・はあ」宮沢は俄かに信じられなかった。慰安施設のために国費が出されるとは。

この数日後、高乗課長は、宮沢たちに大蔵省主税局長だった池田隼人を会せている。池田隼人は開口一番に言った。
「一億までは出す。大和民族の純血を守るために一億は安い。」
「・・一億」宮沢は驚愕した。
当時の一億といえば、現在の200億円くらいにあたる。宮沢は俄かに信じられなかった。
「話は通してあるから、この足で日本勧業銀行本店へ赴いてくれ」池田は言った。
宮沢たちが日本勧業銀行本店へ出かけると、たしかに話は通っていて、いとも簡単に融資の手続きが済んだ。売春組織作りに一億円。東京中の慰安所を合わせても、そんなに金はかかっていない。宮沢は途方にくれた。
そのとき、宮沢によって集められた協会役員の中に、唯一途方に暮れなかった男がいた。林穣である。林はこれを千才一遇のチャンスと見た。そして俄然「連合軍のための娯楽設備」の絵を書き始めた。 彼は思った。売春組織だけではだめだ。一般的な娯楽設備も必要だ。キャバレーもいる。ビヤホールもいる。将校のための倶楽部もいる。将士が屯できるバーもいる。ビリヤードなどの球戯場もいる。彼は夢中になって事業企画書を書いた

林穣はこのとき49才。岐阜出身で一ツ橋大学(東京高商)を卒業後、三井物産に就職。上海支店を経てニューヨーク支社に勤務している英才だ。帰国後、独立して生糸の貿易を手掛けたが恐慌のためにうまく行かず、終戦時は渋谷で喫茶店を開業していた。料理飲食組合から特殊慰安協会への参加を打診されたとき、林穣は全く乗り気ではなかった。しかし池田隼人から一億円融資の話を聞いた途端、彼は変わった。
ただの売春斡旋組織ではない、連合軍将士のための総合娯楽設備を提供する会社・特殊慰安施設協会は、こうやって彼の手で三日ほどで書き上げられたのである。

画像2


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました