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ボルドーれきし ものがたり/はじまり・ラスコーの洞窟

ところで。有名なラスコーの洞窟ですが、アキテーヌ地方・ドルドーニュ県に有ります。ドルドーニュとは言うまでもなくドルドーニュ川のこと。ボルドーに至る川です。ボルドーを左右に分けて流れる大河は、ジロンド川とドルドーニュ川が一つになってガロンヌ川として太平洋へ注がれています。

いまはドルドーニュ県と呼ばれていますが、古い地名は「ペリゴール」です。ペリゴール地方はフォアグラの一大生産地です。パリのマルシェでも、わざわざこの辺りからやってくる生産者が店を構えていまして、我が家人は必ず贖っていますよ。なかなか宜しいフォアグラが、アヒルもガチョーいずれのモノもあります。

中心となる町はサルラ。まるで中世そのものの町並みを残す町です。ボルドー中央駅から、ローカル線に乗って2時間半くらい。それほど遠くはありません。土曜日の定例マルシェのメインはもちろんフォアグラですが、他にも沢山の地元の惣菜。農産物・ジビエものが並びます。

さて。このサルラの町からラスコーの洞窟があるモンティニャックまでは車で20分程度。わりと近い。
現在、本物の洞窟は公開されていません。そのすぐ傍にレプリカの洞窟が有り、これが公開されています。前者をラスコー1と呼び、後者をラスコー2と呼んでいます。
そして日本で開催されたようなイベント用のツアーを、ラスコー3と呼んでいます。

ラスコーの壁画を描いたクロマニオン人は、新人と呼ばれている。現生人類と繋がる人々です。
50万年前誕生した裸のサル「ルーシー」の子らは、さまざまな亜種を生み出しました。そのなかの一つがホモ・サピエンス・イダルトゥ( Homo sapiens idaltu)。日本語ではヘルト人と呼ばれる、現生人類の直系始祖です。彼らはエチオピアのアファール低地 (Afar Depression) にあるアワッシュ川中流域 に生活していた。20万年昔の話です。

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当時、地球は四回目の長い氷河期に包まれていました。生存環境は厳しく、ヘルト人は一時2000人まで激減し、絶滅の危機に晒されました。彼らが同地を離れ東へ、そしてアフリカからアラビア半島を抜けて、世界へ散らばっていったのは、間違いなくより安寧な土地を求めての旅だったわけです。

現在、遺伝子学の研究で、アフリカの地を去り全世界へ広がっていったヘルト人は40系統有ることが分かっています。現存しているのは2系統のみ。あとはすべて絶滅しました。
アジア系・ヨーロッパ系・中東系など、分化したのは7万年前ころ。アフリカ系だけは15万年くらいまで辿ることができます。

この拡散ですが。現生人類の祖先であるヘルト人が最初ではありません。「ルーシー」の子供たち。その沢山の亜種は、全時代を通して北へ北へと進み、ヨーロッパ大陸に広く広く拡散しているのです。ヘルト人が渡った先には、どこにも彼らの近縁種である旧人たちがいたのです。ヘルト人は、ネアンデルタール人を含む旧人たちと、各地で共存したわけです。もちろん諍いはあったはずです。しかし雑交も相当数あり、現生人類のDNAの中に彼ら旧人たちのものも取り込まれています。

しかし、猿人・原人・旧人、そして新人も、現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンス以外はすべて絶滅してしまいます。 大いなる母「裸のサル・ルーシー」の子らは、さまざまなバリエーションを生み、種を残す可能性を模索し続け、最後には現生人類、ただ一種に収斂していきました。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました