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“thoughtcrime”という言葉を最初に使ったのはジョージ・オーエルだった

イーロン・マスク 「全く率直に言って、人々がTwitterについて抱いていたほとんどすべての陰謀論が真実であることが判明した」と言った。

「陰謀論」という便利なレッテルで処理されるジョージオーエル風の「終わらない戦争」「監視される市民」「捏造される報道」世界がいま時代を覆っているのは、いかんともしがたい事実だ。
彼がなげた紙つぶて。オノレの持ちうる資金力すべてを注ぎ込んでの「防御された権力への挑戦」(笑)。これと同じものが、今後も世界各所で起きることを僕は希求したいのだが・・はてさてどうなることやら。
「決められたこと以外は考えるな。飲め・食え・働け・健康のために運動しろ。レジャーに生きがいを求めろ!!」そいっあナチズムだろ。ヒトラーがやったことだ。
しかしだね・・民の根底にある知力は、それをメディアや教育で操作できる・・と思っていた連中の思惑を遥かに超える勢いで豊かになっているのだよ。人々は彼らが思うほど馬鹿じゃないということを知るべきだ。
“thoughtcrime”という言葉を最初に使ったのはジョージ・オーエルだった。

僕は国家による国民への暴力として“thoughtcrime”という言葉が平気で使われる社会を何よりも恐れる。
笑止?では、問う・・安倍ちゃんに向けて実行された「目晦ましで覆われた」狙撃は?あの稚拙な「事実隠し」が、如何ほど日本国民の民度を揺るがしたか??? 揺るがない? きえてしまった弾丸について語るのは、にぎやかし屋が唱える「陰謀論」だからか??「良識ある人々」はそんな話はしないのか?

いずれにせよ「知る権利・しゃべる権利」は本当に生存欲求と同じくらい、社会の原則として"ある"のか? という根本の疑問が、今年僕らが立ち向かう大きなテーマになるのかもしれない。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました