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小説特殊慰安施設協会#20/性病の蔓延

ところが翌9月5日、福生の慰安所にとんでもないことが起きた。朝一番、やってきたMPが「OFF LIMITS」の立看板を立てたのだ。そして慰安所の前にジープを停めると、やってくる米兵を全員追い返し始めた。その連絡はすぐに本部に届いた。宮沢は慌てた。
 ちょうどそのとき、ワッツ中尉が独りで協会に来ていた。ワッツ中尉は、千鶴子が気に入ったようで、たいした用もないのにやってきていたのだ。そして彼女の横の机に座って、色々千鶴子に話しかけていた。千鶴子は最初困惑していたが、途中から気が付いた。彼は相当難しい案件でも、千鶴子が言うと『OK、俺がなんとかしょう。君のためなら俺はヒーローになるよ』と言ってくれるのだ。千鶴子は、目一杯微笑みながら難しい案件を次から次にワッツ中尉の前に並べていた。

その千鶴子に、宮沢理事長がワッツの顔色を見ながら、横から話しかけた。
「萬田。中尉に聞いてもらいたいことがある。」
千鶴子とワッツ中尉が、同時に宮沢を見た。
「福生のうちの営業所に、今朝やってきたMPがオフリミットの看板を立てたそうだ。それで遊びに来た米兵を追い返しているそうだ。どうしてだか判るか、中尉に聞いてみてくれ。」
千鶴子が伝えると、ワッツ中尉は笑いもせずに言った。
『性病だよ。お宅の会社が営業している売春窟に性病が蔓延してるんだよ。これ以上、米兵が感染させられちゃ堪らんからな。オフリミットにしたんだろう。』
「性病?うちの社員が?」宮沢が頓狂な声を出した。「まだ開店して、一週間も経っていないのに、蔓延ですか?」
ワッツ中尉は肩をすくめた。
『昨日、俺と来た衛生福祉課のジェレマイヤ・ブラウン中尉も言ってた。日本上陸後、米兵の性病罹患率が爆発的に増えている。これは事実だ。理由は日本のゲイシャガールとの性行為に決まってる。防疫部は今後もっと、お宅の会社のやってる売春窟をオフリミットにするぜ。俺はそう思う。』
宮沢は呻き声を上げた。そんな宮沢をワッツが冷笑して言った。
『お宅の会社も、マンディが担当しているような健康なビジネスをもっと力を入れたほうが良いぜ。そうすりゃ潰れない。このままじゃ、お宅の会社は潰れるぜ。』
千鶴子は、ワッツ中尉が言ったことを、そのまま通訳することが出来なかった。しかしワッツが言った「このままじゃ、お宅の会社は潰れるぜ。」が重くのしかかった。ふと、新橋の青空マーケットで松田が言った「アソコは短命だ」という言葉を思い出してしまった。
ワッツ中尉が帰ると、宮沢理事長が爆発するように怒鳴った。
「てめぇらじゃねぇか!てめぇらが、うちの社員に伝染つしまくったんじゃねぇか!!何が日本に来たからだ、だ!」日頃、声を荒げることのない宮沢の怒号に全員が委縮した。「林部長はどこにいる!GHQに行くぞ。ふざけるなってんだ!」宮沢は自分の机を蹴った。

GHQ内でVD(性病)管理は、公衆衛生局(PH&W)が担当している。
同課は10課24係に分かれており、医薬品課/歯科医課/衛生管理課などが置かれていた。兵士とその家族、連合軍で働く全ての人々の健康と衛生に、全面的に関わるセクションである。
同時に、彼らへ悪影響を与えるものについてもPH&Wは対処していた。その代表的な活動は、DDTの散布である。PH&Wは、日本上陸後すぐに蚤虱を駆除するために、学校・職場・街頭でddtの散布を実施した。そしてその白い粉塗れになっている日本人の姿は、米国の新聞に何度も登場し、日本人は凶暴だが所詮未開人であるという印象を、アメリカ人に植え付けさせていた。

そのPH&WのVD(性病)オペレーション室の責任者は、ジェレマイア・ゴートン中尉。彼は徹底してR.A.A.に厳しかった。たしかに売春施設は必要悪である。しかしそれでも悪は悪。厳しく管理され、もし悪いことをすれば必罰でなければならない。彼はそう信じていたのだ。
ゴードン中尉の使命は、あくまでも米兵の健康の健康を守ることであり、無事に故郷に彼らを戻すというものである。つまりVD(Venereal Disease性病)オペレーション室にとって、R.A.A.も街娼も、ただの疫病神でしかなかった。
VD(性病)オペレーション室は、営舎内に性病罹患者が見つかると、投薬と同時にその罹患経路を細かく調べた。そして複数の罹患者が同じ施設を利用していた場合、すぐさまそこを閉鎖させた。朝一番にMPが乗るジープが該当施設に乗り込み、立入禁止(オフリミット)の看板を出すと共に衛兵を置いて、訪ねてくる米兵を追い返したのである。

宮沢理事長が林譲と共に横浜のPH&Wを訪ねると、出てきたブラウン中尉は、ニコリともせず言った。
『同施設の娼妓および女性従業員全員の検査を行いなさい。そして罹患者は直ちに排除するように。罹患者が一人もいないという、医師による証明が出れば再開を認める。』
高松は歯ぎしりをした。「てめぇらが南方から持ち込んだ病気だろうが」と腹の中で怒鳴った。しかしその日から、MPによるオフリミットの看板は、R.A.A.の慰安施設の各所に立てられるようになってしまった。そして看板が立つとMPが店の入り口にジープを停めて米兵を全て追い返した。

そのPH&Wの対応に即応したのは高松部長だった。彼は行動力のあるリアリストである。慰安所がPH&Wによって閉鎖されると、まずその日のうちに娼妓(彼は社員と呼んでいた)全員を入れ替えた。そして補充には新規応募者を充てた。そしてすぐさま再開願いを出して、検査を受けた。なるべく早い再開を目指したのだ。
それでも事態は簡単ではなかった。オフリミット。娼妓の総入れ替え。再開。そしてしばらくすると再度オフリミット。このサイクルが数十か所あった全ての慰安施設で起きたのだ。それを超人的な采配力と勢力で、高松はこなした。なぜ、それが可能だったか?続けざまに打っている新聞広告のおかげで、新規応募者には全く困らなかったからだ。
「替わりは幾らでもいる。病気になった奴は、金を渡して追い出しても良いくらいだ。」彼はそう嘯いていた。
まさかそうはいかない。宮沢理事長の指示で、娼妓は吉原病院で検査を受けたのち、健常者はそのまま他店で復帰、罹患者は入院治療という風に対処することになっていた。しかし結果として、性病に罹患する娼妓たちは、うなぎ上りに増えてしまった。
 プロの娼妓たちの間に、その話はあっという間に広がった。「アメちゃんは病気もちばかり。そのうえR.A.A.は病気になるとすぐに店から女を追い出す」と・・R.A.A.の評判は最悪になった。結果、銀座のR.A.A.事務所に並ぶ応募者の列から、あれほど多かったプロの娼妓たちの姿が瞬く間に消えた。そして9月の終わりには、応募者は素人の女性ばかりになってしまった。

求人と採用を担当していた慰安部の大田は途方にくれた。素人の女性が来ると、それとなくキャバレー部へ誘導していたのだが、まったくそれが出来なくなってしまったのだ。
・・彼は、慰安所で性病の黒雲が立ち込めていることを知り尽くしていた。彼が採用した女性が数週間後には、ほぼ100%感染し隔離あるいは自主退社していくことを・・
「オレがやってることは悪魔の手先だ」怒鳴り散らしながら精力的に動き回る高松部長の後姿を見つめながら、大田は苦悩した。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました