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ワインと地中海#04/サントリーニからの遠望02


20年ほど前。エーゲ海でアタマの中が一杯だった時期が有った。猛烈に忙しい時期だったけど、仕事の間の時間は全てエーゲ海の島々への想いで埋められていた。キクラデス文明・クレタ・ミノス・アッシリア・フェニキア・プレギリシャ文明のことばかりを考えていた。
それが嵩じて、ひと月あまり仕事でparisにいたとき、突然長期休暇をとってサントリーニ島に出かける気になった。
嫁さんにとって「突然」は、僕のいつものキーワードに見えるようだけど、言い訳しちゃうけど実はそれほど突然ではないんです。はい。「嵩じて」なんです。
嵩じて嵩じて・・突然。「行くぞ」になる。
あ。でも・・嵩じて嵩じては、僕の心の中の問題だから、やっぱり「突然」になるのかな。そうかもしれない。
そのときも「突然」だった。

携帯したのはカメラと数冊の本だけ。いつもの旅行のパターンである。着るものなんかは嫁さんの領分なんで、何も気にしない。僕は出されたものを着るだけ。・・まあいつも思うなんだけど、嫁さんがメンテナンスしてくれてなかったら、どんな汚いオヤジになってるんだろうね、ゾッとしますな。ま。旅先で、空の下で本に沈み込むのはいつものことなんで、嫁さんは放置してくれる。寝て起きて、食事して、村を散策し歴史にさわって、屹立する崖の上に佇むホテルの、突き出したベランダで本に耽る。そんないつもの旅がサントリー二への旅だった。

・・実は告白すると、僕はNYCとTOKYOとPARIS以外の所には興味が無い。出かけても結局は"漂泊する旅人"でオデュセウスに終始する。舐めるような薄い関心は持ってもイレこむことはない。心休まないのだ。「此処でなら死んでもいいな」と思える場所は、NYCとTOKYOとPARISの三都だけ・・ところがですな・・サントリーニは違った。ここなら、ここで斃れてもいいなと思った。

さて・・そのエーゲ海の真ん中に有るサントリーニ島だが。
BC1600年に島の2/3が吹き飛ぶほどの大噴火が起きている。その被害で、クレタ島を中心に栄華を極めていたミノア文明は、完膚までに破壊されてしまった。以降、エーゲ海がフェニキア人の手に戻ることはなかった。彼らは地中海の遥かに西へ、拠点を移していきました。航海術に長けたフェ二キア人にとって"地中海"は無尽蔵の富の源泉だったのだ。このとき、彼らがエーゲ海だけに固執はしなかったことは、二つの民に僥倖をもたらした。

ひとつはへブル人(ユダヤ人)だった。
彼らはモーゼに引き連れられて、地中海東海岸南部・カナンに移住し、ここに独自の国家を作り上げた。同地の先住者はサントリーニ島の爆発で甚大な被害を受けていた。そのためへブル人の侵攻に、脆く敗れ去ってしまったのである。

もうひとつは、原ギリシャ人の台頭だ。
エーゲ海北岸も、甚大な被害を受けていた。そこを内陸部から降りてきた原ギリシャ人であるアカイア人が暴れ回ったのである。彼らはペロポネソス半島の北部にいた人々だといわれている。おそらく黒海の東南部(アパラチア地方)から流浪してきた民だと思われる。
・・既に、小アジアはアッシリア人が巨大な文明を起こしていた。したがって彼ら原ギリシャ人たちは、アッシリア人の土地の西南外縁部と、フェニキア人が大陸部にも展開していたミノア文明の北外縁部の間に挟まれたペロポネソス半島の根元で細々と生活していたにちがいない。
その地域は、今でも山深い上に痩せた土地しかないところだ。葡萄とオリーブは育つが、他の作物は至難だ。そのため糧を得る手段は、ワインとオリーブオイルを北のアッシリア人/南のフェニキア人に売ること。そして近在の村の襲撃と山賊行為だった。・・獰猛な人々である。その勇猛な原ギリシャ人/アカイア人が、サントリー二の爆発で破壊された海岸部へ、群を成して侵略したのである。

この戦争は、圧倒的なアカイア人の勝利に終始した。そしてしまいには、彼らは大船団を組み、本拠地だったクレタ島まで手に入れてしまった。
こうしてフェニキア人が作りあげた様々な設備・建物・都市は、全てが彼らの手に墜ちていった。まったくの"濡れ手に粟"だったのである。

歴史家は、この幸運な略奪者たちが生み出した文明を「ミケーネ文明」と呼ぶ。そしてアカイア人をミケーネ人と呼ぶこともある。
彼らは、フェニキア人が完成させた文字を手に入れ、計算術を手に入れ、様々な技術を手に入れ、次第にエーゲ海の覇者になっていった。そして「オデュセア」によると、その覇を小アジアまで広げていったという。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました