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パリ・マルシェ歩き#37/クリニャンクール蚤の市0

https://www.youtube.com/watch?v=mBlD9x3sj5g

ジャンゴラインハルトの記念碑が有る広場の横を抜けてポルト・クリニャン通りAv. de la Prte de Clignancourtをいくと、環状道路にぶつかる。環状道路はブールヴァール・ネイ通りBoulevard Neyの上を走っている。
「ここにティエール防衛壁Enceinte de Thiersが有ったんだ。解体されたのは19世紀の後半20世紀の初めころだった。その解体後に敷かれたのがブールヴァール・ネイ通りだ」
「環状道路の下を走っている道?」
「ん。その上に環状道路が敷かれたのは1950年代。戦争のために陥った景気高揚を巻き返すために大型の公共設備が実行された。1960年代になって全線開通している。クリニャンクール地区が有るのは18区。この道より外はパリ市じゃない」
「サン・トゥアン市?」
「ん。旧い村だ。漁業と農業の村だ」
「漁業?」
「ん。大きく迂回したセーヌ川がサン・トゥアンの北を走っている。この川のおかげで、サン・トゥアンは潤っていたんだよ。セーヌ川は好漁の地だ。サーモン/トラウト/パーチ/カワマスが獲れる。ウナギやヨーロッパザリガニもな」
「サーモン?!」
「今は激減しているが19世の初めくらいまでは獲れた。セーヌはサーモンが還ってくる川だっだ」
「ふうん。びっくりね」
「それとロジスティックとしてな。産業革命以降、サン・トゥアンに無数の工場が作られたのは、セーヌ川があったからだ」
「ふうん。見たことないわ」
「蚤の市よりもう少し北西にZAC des Docksという再開発地区が有る。ここはセーヌ川に面している。見に行ってみるか?」
「ん~いいかな・・」
「あそ」

ブールヴァール・ネイ通りを越えると左側に蚤の市が広がる。真ん中を走っているのがロジェ通りRue des Rosiersだ。少し先、右側にVERNAISONの入り口が有る。この辺りには全部で14のマーケットが集まっているが、VERNAISONは中で一番古く大きなマーケットだ。僕は奥まったところにあるAntiquités Philippe DufrenoyAtelier des AbbessesAntiquités Georges Bacを覗くが、他にもブロンズ製品を取り扱うAntiquités Serge & Anne Blondeauやヴィンテージな服を並べているAu Grenier de Lucie、アールヌーボが得意なLes Merveilles de BabellouMaison Rêvéeが面白い。
ぐるりと散歩した後、VERNAISON通りの中に有るLe Petit Bistrotに寄った。
「ところで・・サン・トゥアン蚤の市なの?クリニャンクール蚤の市なの?」
「正しくは前者だな。クリニャンクール蚤の市とも通例的に呼ばれるが、Marché aux Puces de Saint-Ouenが正しい。蚤の市はクリニャンクールではなく、サン・トゥアンにあるからな」
「でもあなたはクリニャンクールの蚤の市と云うでしょ?」
「ん」
「どうして?」
「ん~馴染みとしてクリニャンクールの方が強いからかなあ。あの蚤の市をことはクリニャンクールから考えてしまうからかもしれない」
「なるほどね」
「サン・トゥアンは旧い村だ。Église Saint-Ouenが有る。聖オウアンSaint-Ouenという人はメロヴィング朝ダゴベルト1世に仕えた人だ。639年にルーアンの司教に任命されている」
「ルーアン?」
「セーヌ川に面したところだ。ノルマンディー公国の首都だった町だ。聖オウアンSaint-Ouenはベルサイユの南西にあるサン=カンタン・アン・イブリーヌSaint-Quentin en Yvelinesの出身だ」
「どちらも此処からは、かなり遠いわね」
「この村にサン・トゥアン教会Église Saint-Ouenが出来たのは、彼の死後すぐだったらしい。もちろんルーアンにもサン・トゥアン教会Église Saint-Ouen de Rouenはあるけどな。聖オウアンは中々奇跡を連発する人だったらしい。だから死後も彼を崇める人々が多かった。この辺りが正式にSaint-Ouenと名付けられたのは、パリ革命以降、区画整理が進行した19世紀に入ってからなんだ。でもおそらく、その前からサン・トゥアン教会のあるところと云う事で、サン・トゥアンと呼ばれていたのかもしれない」
「サンテミリオンみたいに?」
「ん」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました