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小説特殊慰安施設協会#46/新年・堰切って溢れる2つの魂

1945年12月31日、新橋の松田義一の家。
なかなか戻らない松田のために浜田幸枝は、年越し蕎麦を用意して待っていた。箪笥の上に置かれたラジオからは「紅白音楽試合」という番組が流れていた。「紅白音楽試合」は紅白歌合戦の前身となった番組である。昼の12時スタートで0時まで放送された。司会は水の江滝子/古川緑波。出演者は並木路子、小夜福子、高峰秀子、藤原義江、霧島昇、ディック・ミネらだった。

浜田幸枝は、ラジオから流れる明るい声を聞きながら、あの8月14日の愛宕山放送局のことを思い浮かべていた。あの緊迫・・今思うとまるで夢のよう。そう思った。
浜田幸枝は終戦の前日までNHKで働いていた。奉職先の同盟新聞社から出向していたのだ。英語が堪能だったため、彼女は対米プロパガンダ放送「ゼロ・アワー」でアナウンサーとして非定期的だが出演していた。所謂「東京ローズ」の一人だったのだ。戦後、累を逃れるため、同盟新聞社局次長・和今泉の紹介で松田義一の家へ身を隠していたのが9月の終わりである。あの動乱から三ヶ月経って、無事正月を迎えられるなんて・・幸枝は何とも感慨深い思い耽っていた。
和今泉局次長と松田が、幸枝のためにGHQに向けた画策を、裏でしてくれたことは判っていた。そして松田自身が、実はGHQに対してモノ言える立場に有ることも、この三ヶ月の同居の中で窺い知った。どうやら松田は戦中はフィリピンで深くGHQに関わっていたらしい・・

その松田が戻ったのは、そろそろ0時という頃だった。松田は珍しく酔っていた。それでも卓袱台の前に座り、幸枝が出した福茶を口にした。
「福茶なんてものが世の中にあることは、きれいに忘れてました。」松田は言った。
「おつかれさまです。大晦日だというのに・・」幸枝が言った。
「まったくですね。今日は特にね。疲れました。三国人どもが大晦日なんで騒ぎましてね。裏で跋扈してる奴らが奴らですから、あいつら強気です。いずれ大騒ぎになるかもしれません。・・いまさら血を見るのは嫌だが」
「そんなに酷いのですか?」
「・・」松田は小さく頷いた。
新橋に立ったヤミ市にちょっかいを出しているのは、池袋にタムロする台湾人を中心とした三国人たちだった。彼らは所謂「戦勝国側」である。警察も簡単には手を出せない立場にある。それに乗じて、池袋では、やりたい放題にのさばっていた。

その連中が、早くから新橋に自分たちの牙城を作ろうとしていたのだ。結果として、その目論見は成功する。新橋駅前、中央通り側に連合軍退役将校を名乗る王長徳が新橋国際マーケットを作ることになるのだが、それはもう少し先の話である。
しかしなぜ、三国人たちはそれほどまで池袋から離れた新橋に自分たちの牙城を作りたがったのか。それは彼らの影のスポンサーだったソビエト内務人民委員部(NKVD/エヌカーヴェーデーと読む)の意思を反映したためであろう。NKVDは後年KGBへとなる、ソビエトの諜報機関だ。 実は、NKVDは日本の共産化を内部から起こすために戦中から深く日本へ根を下ろしていた。その組織が日本の敗戦と共に三国人を利用して大きく暗躍するようになっていたのである。
NKVDは、宮城を囲むように配置されたGHQの傍に自分たちの楔を打ち込みたかった。としてみると、新橋の駅前に出来上がったヤミ市は格好のターゲットだったのだ。新橋を仕切っていた地元ヤクザが戦争によって失墜していたことが、余計にそれを容易にさせていた。
そのNKVD/三国人の前に立ちはだかったのが松田義一である。
松田は、ヤミ市に出ている人々、区議などを味方につけNKVD/三国人の侵攻と徹底的に戦っていた。NKVD/三国人は、松田義一が只の兵隊崩れのヤクザでないことを知っていた。フィリピンでギリシャ文字でkappaと呼ばれていたことを知っている。OSSはフィリピン内現地撹乱工作員の責任者にギリシャ文字を充てていた。alpha ,beta ,gamma ,delta, epsilon ,zeta, ηeta ,theta,iota, kappaと・・松田はその10番目の工作員だ。

もし、その松田と全面戦争になれば、NKVDとOSSの代理戦争になると彼らは認識していた。それもあって、両者の抗争は小競り合いに終始していたのだが、当初松田に協力的だったG2が、新橋マーケットが伸びて衆人の関心を浴び始めると、自分たちとの関与を探られるのを恐れて、12月に入ってから急速に非協力的になっていたのである。
そのG2の急激な態度の変化をNKVDはすぐに感づいた。それで、クリスマス直前から三国人が頻繁に新橋へ入り込もうと暗躍し始めたのである。

彼らは、自分が店を出そうとしない。日本人のダミーを立てて、先ず店を出そうとする。そして少しずつ、台湾人/三国人へ入れ替えようとする。最初は「手伝いに来ているだけだ」と言いながらである。松田は、こうした台湾人/三国人の日本人舎弟を徹底排斥をした。しかし相手は日本人である。「どうしてだ!どうしてダメなんだ!」と強弁する者ばかりで、対処に苦戦していた。そうした心理戦はNKVDのお家芸である。
松田は苛立っていた。そうしたNKVDの絡み手にだけではない。急速に及び腰になっているG2にもだ。たしかに関東松田組が出来た。しかし目標は新橋マーケットを会社法人にすることである。そのためには、まだまだG2の協力が必要だというのに・・

・・その夜、したたかに酔って帰宅したのは、夕方にG2へ直参したのにも関わらず、依頼していた書類が発行されなかったからだ。G2は俺を切り捨てるのか・・彼は憤慨していた。誰が、この新橋の話を俺に持ち込んだんだ!そのことを忘れたのか!なぜ俺がわざわざ沖縄から、マリーンと共に大森へ8月27日に上陸したのか。その理由を忘れたのか!

そんな憤懣は誰にもしゃべれない。独りで荒れるしかなかった。いつだって独りだ。あいつらは利用することしか考えていない。
「あら・・」幸枝が橋を持つ手を止めた。「・・除夜の鐘」
遠くに朧げに聞こえる。
「増上寺ですか?」松田が言った。
「そうかしら・・あそこは大半が燃え落ちているのだけど・・」
二人は黙って、その微かに聞こえる鐘の音に耳を済ませた。

同じ頃。キャバレー・オアシス・オフ・ギンザは新年を祝う兵隊たちで、ごった返していた。その夜、ワッツ中尉の姿はなかった。
その頃、千鶴子に米兵たちは腫れ物に触るようにしていた。千疋屋での乱闘を知らない兵士だけが、時折千鶴子にダンスを申し込むが、それも一度だけだった。千鶴子と踊り終え、他のダンサーと踊ると、必ず乱闘の件が耳打ちされるのだ。
ワッツ中尉がいない夜は、必ず千鶴子は孤立した。
12時の「ほたるの光」の合唱の後、兵士たちは散々五々を店を出た。共に店を出るダンサーは依田風紀委員の目があるのでいなかった。
林譲は姿を見せなかった。林に替わって挨拶したのは山崎だった。山崎はダンサーと従業員の労を労い、翌日元旦は休み、2日からは通常営業と伝えた。そして一人ずつに「餅代」として熨斗紙のついた袋を渡した。袋はかなり分厚かった。ダンサーたちは満面の笑顔で帰宅の途に着いた。
千鶴子も帰り支度を済ませると、一人ぼっちで店の階段を昇った。と・・店の前にゲンと小美世が立っていた。千鶴子は驚いた。
「小美世さん・・どうして?」
「おつかれさン、荷物持つ。」ゲンが手を伸ばした。千鶴子の持っていた風呂敷袋を手にした。
「おつかれさま。いやゲンがね、オレが言ったくらいじゃチィちゃん、正月ウチへ来ないぜって言うからね。そンじゃアタシが行くわよってね、そういうことになったの。」小美世が言った。「正月くらいはウチだよ。お粗末だけどね、お節もお雑煮も3人分用意してあるからね。チヅちゃん、わたし行けないデスは無しよ。」
千鶴子は、その場に立ち尽くした。
ゲンと小美世の笑顔を見つめた。
自然に涙が溢れかえってきた。しゃがみ込むと、堰を切ったように号泣した。 階段を昇ってくる女の子たちが驚いて立ち止まるほどの号泣だった。 小美世はしゃがむと千鶴子の肩を抱いた。
「大丈夫。もう大丈夫よ。アタシたちがいるから。もう大丈夫よ。」小美世が言った。
それでも千鶴子の号泣は止まらなかった。
その夜、千鶴子は小美世の布団の中で寝た。小美世は黙ってずっと千鶴子の手を握り続けてくれた。
「チヅちゃん。もうダメよ。あなたはウチから通うのよ。寮に戻っちゃダメ。んんん、何を言ってもダメ。アタシの大事な子だからね。あなたはウチから通うの。ウチから通えば7人の鬼とも気丈夫に戦えるのよ。辛かったら、こうやってアタシの布団に入って泣けばいいの。アタシはね、あなたに何も出来ない。でもね。一緒になって喜んだり、悲しんだり、怒ったりは出来るの。チヅちゃん、あなたの幸せを心から喜ぶことはできるの。だからね、絶対にウチから通いなさい。・・判った?」
千鶴子は、何度も何度も深く頷いた。そしていつの間にか眠りについた。小美世はその寝顔を見つめて小さく呟いた。「これからよ。負けないでね。これからよ・・」

松田の家の二階。未明。幸枝がふと目を覚ました。階下で寝ている松田義一が、眠ると必ず魘されて上げる叫び声のような寝言のためだ。松田は毎夜、悪夢に苛まれていた。その夜、松田の声はいつもより大きかった。。
「やめろ!やめろ!・・うそつけ!ダメだ・・来るんじゃない!」と、大きな声を上げて魘されていた。
よほど、フィリピンで酷い目に遭った違いない。幸枝はそう思っていた。ほとんど上着を脱ぐことのない松田だが、その背中・わき腹に無数にある傷跡が無言でそれを語っている。そして心にも深い傷を負っている。決して外には見せないけど・・私にも、自分の下で働く者にも、出店者にも、穏やかな表情しか見せないけれど・・松田が修羅の道を生きてきたことを、幸枝は気付いていた。
「くるな・・たのむ、くるな」嗚咽が混ざるその声に、幸枝は褥から立ち上がった。そして鏡台の前で身繕いをすると、階段を下りた。松田の寝室に入った。松田は胎児のように丸まって、脚を痙攣させていた。
まるで母猿がわが子を抱くように。幸枝は松田を後ろから抱いた。
「・・だいじょうぶ。もう終わったから・・こわくない。こわくないわよ。」
松田の嗚咽が止まった。
「さあ、お乳を吸いなさい。もうだいじょうぶ。もうだれもこないから・・」幸枝はまるで嬰児に与えるように乳房を松田に与えた。
「オレは・・人じゃない。バケモノだ。」松田が喘ぐように言った。
「しかたなかったの・・好きでやったことじゃない。それしか生き残れなかったの・・こんなに苦しむあなたがバケモノのわけないわ。もうだいじょうぶ、おやすみなさい・・さあ。」
その幸枝の声に、松田はすすり泣いた。幸枝は小さく子守唄を歌った。 それは母が幼い頃に歌ってくれたものだった。幸枝は歌いながら目白の浜田家のことを考えていた。・・母は・・どうしているのだろう。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました