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カスティヨン05/サンテミリオン村歩き#57

https://www.youtube.com/watch?v=d1XzX1ZPDAY

農園を出て農道ベナ通りを西へ進むとサン=マーニュ=ド=カスティリョン村Saint-Magne-de-Castillonにぶつかる。道が村道へ繋がる角にサンマーニュ教会Église Saint-Magne(3 Rue de l'Église, 33350 Saint-Magne-de-Castillon)フランスが有った。
「サンマーニュ教会です。もともとは修道院で葡萄畑を守っていたようです」M氏が言った。
「サンマーニュ?聖人の名前ですよね?」
「はい。ローマ時代の殉教者のようです。アナーニに居た方のようです」とM氏。
「アナーニ?」嫁さんのどうして?攻撃にかわす為に僕が口を挟んだ。
「アナーニは、ローマの南東にある町だよ。キリスト教が入ったのも早くてね。聖マグヌスは、そこの守護聖人だ。もともとはトラーニの出身者で、彼はそこでキリスト教に入信している。西暦200年代半ばだ。トラーニはアドリア海に面した港町で早くからギリシャとの交易で開けていた。バルレッタの傍だ」
「ふうん、その人を奉った修道院があったのね。西ローマ崩壊の時に、ヨーロッパへ広がった伝教者たちの一人だったのかしら?」
「いや。おそらくテーベ軍団が此処に拠点を置いたんだろうな」
「あらまた判らない名前」
「テーベ軍団は武装する修道僧たちだ。聖モーリスSaint Mauriceという人がいた。その人がカリスマ的な指導者だった。聖マグヌスはその人員の一人だ。ちなみに聖モーリスはドイツ神聖ローマ帝国皇帝の守護聖人にされている」

「あなた。ほんとはキリスト教徒なんじゃないの?」
「ちがう。テーベ軍団はもともとローマ軍の一部だった。皇帝マクシミアヌスがキリスト教の迫害を命じた時、聖モーリスがこれを拒否して同軍から沢山の殉教者が出た。聖モーリスも聖マグヌスもこの時に殺されている。しかし軍団は残ってキリストが国教化された後は守護軍という立ち位置になったんだ」
「その軍団が此処に拠点を置いたの?」
「ん。サンチャゴへの巡礼地の治安を維持するために、西暦1000年を越えると幾つもの拠点が各地に置かれた。その一つが此処だ。たしかにフロンサックもカスティヨンも、ローマの時代から葡萄の地として有ったが、開き始めるのはカロリング朝以降だ。史料が残り始めるのも西暦1000年以降だ。それより前のことは伝説に近い」
「なるほどねぇ」
「宗教戦争時代にはカトリック側の勢力として力を発揮した教会だ」
「武装する修道僧ねぇ」嫁さんが溜息のように言った。
「あの~」と運転席からM氏が言った「今のお話、英語でもう一度、聞かせてもらってよろしいですか?}
「え。あ・もちろん」僕が笑って応えた。

M氏が紹介してくれたレストランLa Fontaine de Manonはヨーロッパ通りAv. de l'Europeから少し奥まったところにある。
La Fontaine de Manon(10 Larode, 33350 Saint-Magne-de-Castillon)
https://www.lafontainedemanon.fr/
「なんか工業団地みたいなところ」嫁さんが言った。
「あの大きい建物はAgence Ets Dupontと言いまして農機具のサプライヤーです。横にあるのはCasti Prixという農業機械の用品店です」
https://dupontmateriel.fr/
Casti Prixの駐車場には車がいっぱい停まっていた。
「La Fontaine de Manonは地元で有名なレストランでして、昼は混雑しますが、予約してありますから席は確保できています」とM氏。
「ご一緒にいかがですか?」と嫁さんが誘ったが、M氏は笑いながら固辞した。
店はこじんまりした作りだったが、いかにも地元の人が利用する繁盛店という感じだった。M氏が肉類がお勧めですと聞いていたので、ステーキをメインにした。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました