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夫婦で歩くシャンパニュー歴史散歩/1-8-3/発砲しないシャンパンワインについて03

https://www.youtube.com/watch?v=QZvDeVLqBUI

「フランク族が制覇したパリ盆地は西はナント辺りから東はストラスブール辺り。北はリール、ダンケルクまで広がる。セーヌは中心・北を横に走り、パリはセーヌ川面して少し北にある。シャンパニューはパリ盆地の東側。パリに隣接しているので歴史の洗礼を否応なく浴びてきた地区だ」
「戦争?支配者の変遷?」
「ん。まさにそれだ。シャンパンなる発泡酒が成立し、隆盛を遂げられたのは、パリが近い・・ということが大きな要因だ。それは、発泡酒に商いの軒先全てを奪われる前のシャンパニューでも、そうだったんだよ。シャンパニューのワインはパリの金持ち連中をターゲットとして狙ったんだ。
・・ところで、シャンパニューのワイン生産者たちは自分たちのワインを「シャンパーニュのワイン」とは呼ばなかった。「フランスのワイン」と呼んでたんだ」
「え~、でもワインは『xxx産のワイン』というのがステータスだったんでしょ?」
「ん。ここで云う『フランスのワイン』のフランスというのは"パリ周辺"という意味な。パリの周辺にはワイン畑が沢山あったからな、それに肖ったようなもんだ。千葉ディズニーランドとは言わずに東京ディズニーランドみたいなもんな。
当時のシャンパニューのイメージは"焼き物の地"だった。乾燥し土が露出した地で、泥土ばかりで、産業はその土を使った窒業だけで成り立っているというイメージだった。我々のは『シャンパーニュのワイン』ですとは言い難かったんだ。しまいには『あぁ?ねずみ~らんど?千葉?乳しぼりショーでもやってるのか?ちちもみらんどでいいんだろう?』と言われる勢いだったのさ」
「あなたの口の悪さは天下一品ね。生まれつきなのかしらねぇ」
「はは♪こっちとら江戸っこでぇ。佃の生まれでぇ。酒飲みねぇ。寿司食いねぇ。寿司ならシャンパン飲みねぇ」 
「はいはい」
「パリの人々あるいは他国から交易者にとって、ランス/リヴィエール/モンターニュ・ド・ヴェルテは、モンターニュ(「山」)やリヴィエール(「川」)の地だったんだよ。陶器やガラスの生産地だったんだ。美味しいワインの取れる地ではなかった。その印象を見事替えて見せたのがランスと、もう少し東のシャロン=アン=シャンパーニュChâlons-en-Champagneだった」
「シャロン?って、どこ」
「シャローネーズ地方。マルヌ川でモンターヌ・ランスと繋がっているよ」
「同じ川に沿って二つの町があるの?それにどんな意味があるの?」
「マルヌ川はセーヌ河の支流なんだ。当時の大型物資は全て水路だった。つまりパリはセーヌ/マルヌという太いパイプで繋がっていたのさ。ランスの商人たちはこの水路でマーケットを繋いだんだ。これが大成功した。」


再度ロジェ・ディオンを引用しよう。
『ランスとシャロンの司教区で作られるワインの輸出取引に関する確実な史料が現れるのは、ようやく13、14世紀になってからのことにすぎない。当時、ランスとシャロンからルーアンへはマルヌ川やセーヌ川を使って、アルトワ地方やフランドル地方へはラノワ地方やソワッソネ地方産のワインと同じ陸路を用いて、さらにランス、エペルネー、あるいはヴェルテュからマルス川沿いに点在する河港へは、シャンパーニュの平野を通る簡便な道路を用いて、それぞれ大量のワインが運ばれていた。こうした事実を立証する史料は枚挙に暇がない。1275年にはすでにイギリスの古文書に、イギリス王がランスのワイン、すなわちランスの司教区でつくられたワイン(ヴィニ・デ・レメス)を2トノー(トン)買ったと記されている。 14世紀には商人たちが、ランスや近隣地域で購入したワインをルーアンで売ろうと1370年に目論んでいる。さらに14世紀末には、カッセルの諸侯がフランドルの邸宅用のワインを、アイだけでなくランスでも手に入れている。 15世紀には、カンブレーへ供給する大部分のワインが、同じくランスおよびその近隣地域で作られていた。ただし、カンプレーの市場でシャンパーニュのワインがランのワインを凌駕するのは18世紀になってからのことであった。マルヌ川の河港に通じる東寄りの交易路は、1388年、ブルゴーニュのフィリップ勇胆公がユトレヒトに所有していた城館に貯蔵するため「ランス、エペルネー、およびそれらの周辺地域で」購入したワインが運ばれた輸送路であった。ブルゴーニュ公のワインを搬送する担当者は、メジエールまで荷車で運んでから「マルヌ川に入り、この川を用いてドイツのトライトの町まで輸送する」という任務を負っていた』
「え~ブルゴーニュのワインもパリへ運ぶのにマルヌ川を利用していたの?」
「マルヌ川の源流はラングル高原Langresだ。デジョンの北50kmくらいにある。充分陸路でワインが運べる距離だよ。それと実はセーヌ川もデジョンからは遠くない。ディジョンの北西30kmの海抜471mくらいのところに源流がある」
「なるほど~ブルゴーニュがパリでもて囃された理由は船で痛みなく早い時間でブルゴーニュから運べたかになのね」
「そうだ・そのとおりだ。シャンパニューのワインもそうだった。マルヌ川を利用したロジスティックスのおかげさ」
「もちろん、それはシャンパンが登場した後もそのまま利用されるわけね。とくに振動や直射日光の影響をとっても受けやすいシャンパンにとって、水路での運搬はとても大事だったというわけね!」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました