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トンガ・光と風と夢#03

ヘイエルダールの「アクアク」の中に長耳族と短耳族の話がある。支配者は長耳族だった。しかしあるとき彼ら全員が船に乗って西の海へ去った。全てが島の中を向いているモアイの中で唯一西の海を向いて立ち並ぶモアイの足許でヘイエルダールはその話をする。太平洋の人々は南アメリカのモンゴロイドの末裔だ・・と。

彼の話の背景にはユカタン半島の古代マヤの影がある。大西洋側から内陸へ広がった古代アトランティスの血だ。血に飢えた神ククルカンから白い神ティキまで、まるで糸のように結ばれている神話だ。海から上がった神は・・オネアスのように西へ、南へと広がったのか?その軌跡の上に、古代南アメリカの王国はあるのか?それを証明するために、ヘイエルダールはバルサで筏を作り、南太平洋岸から西へ向かう大海流に乗ったのだ。
その旅はドキュメンタリー映画になり、アカデミーショーを授与された。

しかし現代のDNA検査は、こうしたロマンを継承しない。
ポリネシア人の原型は華南あたりにいた人々である。隆盛する中原の王国に追われて南へとあるいは海へと移動した人々の裔である。BC2000年ころにはマレー半島へ居を移していた。しかしその南下は止まらなかった。インドネシアに至り、さらに南にあるいは東の海に広がった。

その東の海に広がった民がラピュタ人である。それが原ポリネシア人となった。現在のポリネシアと呼ばれている地域にラピュタの人々が定住したのはBC1000年ころかららしい。
彼らは、タロイモ/ヤムイモ/バナナ/ココヤシ/パンノキ/サツマイモを育てた。そして釣り針を使い魚を獲った。家畜はイヌ/ブタ/ニワトリだけだった。ちなみに、このサツマイモだが・・南米原産である。華南/南越の人々は持たない。ということは・・ヘイエルダール説の一部は正しい・・ということになるのかもしれない。証明はできない。歴史の藪の中だ。

彼らは、特有な彩色土器を用いて、その由来から「ラピタ人Lapita」と名付けられていた。ここでは宮崎駿に敬して、彼らを伝説の「ラピュタ人」と呼ぼう。このラピュタ人だが今のところ前述のような出自を示す出土品は見つかっていない。特有の彩度土器を持つ彼らはBC3600ほど前に唐突にニューギニア北東部やビスマーク諸島の沿岸地帯に登場するのだ。そして300年ほどで、広くフィジーや西ポリネシアにまで拡散していく。

言語は、オーストロネシア系オセアニア語派(AN)だった。これが今でもポリネシア語が方言的な偏りは有っても近しいものなことの大きな理由だ。実は島々の先住民の大半が、彼らラピュタ人の末裔なのだ
しかし・・リモート・オセアニアの島々は島と島の間が広い。中途半端な航海術では、この隔たりは越えられない。

太平洋を制覇したラピュタ人の最大の特徴は、その彼らが操る船だった。2つの船体を並べてその間にデッキを張った双胴船だ。彼らはこのダブルカヌーを駆使して大海を渡ったのだ。もちろんそれだけではない。バリエーションとして機動性の高いシングル・アウトリガー・カヌーも持っていた。彼らはこれらのカヌーにクラブクロウ・セイルを取り付けている。これはフェニキア人たちが主に使用していたラテン・セイルのように直線的なブームではなく、カーブを描いたブームをマスト下部から上方に向けて装着したものだった。クラブクロウ・セイルは、強力な風上帆走能力を持つ。ラピュタ人はポリネシアからタヒチやテ・ヘヌア・エナナへと、貿易風に逆らって拡散伝搬していったのである。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました