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パリ・マルシェ歩き#32/クリニャンクール

「クリニャンクールへ行きたい」と言うと、嫁さんがヤな顔をした。
「え~蚤の市?あそこ行っても買うものないし」
「旧い絵葉書とか、古書とか、レコードとか、グラス類とか」
「絵葉書いらないし、古書は興味ないし、レコードも興味ないし、グラス類は売りたいほどあるわよ」
「少しサン=トゥアンの町を歩きたいんだ。それとクリニャンクールもね、歩きたい」
「ふうん、まあいいけど、お付き合いしましょ。でも色々、買わないでしょ。全部ムダになるものばかりだから」
「はぁい」
嫁さんは古着などには全く興味ない。だから蚤の市そのものが関心の埒外なんだろうね。僕はクリニャンクールもサン=トゥアンの町も、パリの郊外としてどんな位置づけを掴んできたかと云う事にとても関心が有るので、定期的に訪ねるようにしている。
「前にジャンゴ・ラインハルトの名前の通りを訪ねたわよね」
Place Django Reinhardt(Av. de la Prte de Clignancourt,75018 Paris,)だ。ジネット・ヌヴ公園Jardin Ginette Neveuの傍だよ。環状道路の近くだ。クリニャンクール通り33Av. de la Prte de Clignancourtにある」

「あそこ行くの?」
「もう少し南の地下鉄12番Jules Joffrinで降りてポト通りRue du Poteauを歩きたい」
「ふうん。あの辺りは、あなたの一番好きなパリですものね。そのわりに私とは歩いていないわよね。ユトリロの『コタン小路』を見に行ったくらいかしら」
コタン小路Rue du Mont-Cenisはコランクール通りRue Caulaincourtにある。アベ・パチューロRue de l'Abbé Patureauというのが通りの名前だ

「『コタン小路』は1914年に書かれている。1914年って?」
「第一次世界大戦の始まった時」
「そう。モーリス・ユトリロは母スザンヌ・ヴァラドンと二人でモンマルトルの北、ノルヴァン通りの小さなアパートに暮らしていた。彼は31歳になっていた」
「31になっても母親と同居していたの?」
「ん。この年、スザンヌはアンドレ・ユッテルAndré Utterと結婚している。スザンヌ結婚後、モーリスはアパートで独り暮らししていた」
「たしか・・スザンヌってロートレックと同棲していたのよね。すごい美人だったんでしょ?」
「ん。個性的な美人だった。モデル業だった。彼女を描いた作品は色々あるよ。ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』に登場するキャラに、はっきりと彼女と判るものがあるよ。ロートレックもスザンヌをモデルにした絵を描いている。しかしロートレックの描くスザンヌは彼女の本性が見える。ルノワールの華やかさはない」
「同棲してたからじゃない?一緒に暮らしていれば、体裁いい顔じゃいられないし」
「確かにそうだ。ロートレックは当時ピガールの近くの大きなアトリエで暮らしていた。スザンヌはそこへ入り浸っていたんだ。
彼のフルネームはアンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファHenri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa。トゥールーズの当主であり侯爵になる家系だった。スザンヌはそれを狙ってたんだよ。玉の輿をな・でもロートレックの母親が頑強に反対してね、結婚には至らなかった。だからスザンヌはすぐさま男をエリク・サティに取り換えた。エリク・サティはノルマンディーのオンフールの資産家の息子でね、こっちへ鞍替えしたんだ。息子のモーリスはその間に挟まれて翻弄したんだ」https://note.com/mikebear555jp/n/n606dcc212776?magazine_key=mbe2bc910b76e

「あらあら」
「ロートレックは、息子だったモーリスを可愛がっていた。母スザンヌとロートレックの破綻は深く彼に傷を残したはずだ。母親がコロコロと男を替えてね、彼は呆然としたはずだ。ところがだな。スザンヌはすぐさまもう一度男を取り換える。それがアンドレ・ユッテルだ。21歳も年下だった。モーリスより3歳も若かった。この二人が結婚した年1914年に『コタン小路』は書かれているんだよ」
「ユトリロって、風景の中に人をほとんど書かないでしょ。書いても粗い殴り書きみたいな姿。彼の寂しさは、その母との生活から来ているのね」
「ユトリロは、母の結婚後20年経ってリュシー・ヴァラドンLucie Valoreと結婚した。彼はリュシーに連れられてパリ郊外ルヴァロワ=ペレLevallois-Perretに越している。この頃からユトリロは、自分が描いた作品の模倣ばかりを書くようになった。疲弊したユトリロは、自分が作った作品を越えられなかった。だから、有名になった自分の絵を真似て、淡々と乱造したんだ」
「・・それって哀しいわね」
「ん。哀しいね。ユトリロの晩年は心の寂寥しか描いていない」
「ちなみにスザンヌにふフラれたエリク・サティは失意のあまり実家のオンフルールへ逃げ帰ってる。そこで蟄居生活して亡くなった」
「ん~『コタン小路』をもう一度、見に行きたいわ」



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました