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夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩1-10/パクスローマナの終焉

弱体化したローマの間隙を縫って、ゲルマン諸部族がライン川を超えてブルゴーニュへ流れ込んできた。
最初の大きな襲撃(256-259)はアレマン人からだった。
アレマン人はライン川上流地域を定住域としていたゲルマン人部族連合で、独自の言語と独自の文化を守り、牧畜を主体とした固定農業を営む部族である。彼らはその定住地域をエルザス(アルザス)/スイス/フォアアールベルクに広げていた。彼らは言語的にも文化的にもローマ/ケルトとは異質な人々で、先住民と共存せず徹底的な破壊行為で土地を奪う人々だった。したがって土地のガリア人とアレマン人の戦いは妥協点なく熾烈を極めた。
後にブルゴーニュへ侵出するブルグント族/フランク族らは、ローマへ多数の傭兵を供出することで言語的にも文化的にもローマ化を受け入れていたが、アレマン人は頑なに保守的だったようだ(彼らからもローマへ傭兵はいたが)その頑迷さが阻害となり、結局のところブルゴーニュを我が物にしたのはブルグント族だった。、バルト三国の国境あたり、ボーンホルム島から来たと言わている。ブルグント族は、ブルゴーニュへ侵出すると同時に弱体化していたローマ軍に替わり人々を守り、地元のローマ化したガリア人と協調し、彼らの文化と生活をそのまま吸収するという政策を執った。
それが功を奏して、443年ブルグント族はローマからfœdus連邦の位置を与えられ、ブルゴーニュを定住の地とすることになった。
そして480年、ユリウス・ネポス殺害によって西ローマ帝国が解体。ブルグント族は頸木が外され、100年余りかけて巨大な王国へと発達していった。

荷物をホテルLe Central Boutique-Hôtelの部屋に置いて目の前のカルノ広場Place Carnotを歩いた。
広場は村の人々の憩いの場所で真ん中にメリーゴーランドが有った。周辺は店舗が多い。
MAISON JULES(28 Pl. Carnot, 21200 Beaune)+33380222010はフランス料理店
BAR 66(30 Pl. Carnot, 21200 Beaune)+33380242241はワインバー
La Tavola Calda(Pass. Saint-Hélène, 21200 Beaune)はイタリア料理店
http://latavolacalda.fr/
Brasserie Lazare Carnot(34 Pl. Carnot, 21200 Beaune)はオシャレなフレンチ
https://www.lazare-carnot.fr/
Le Grand Café de Lyon(36 Pl. Carnot, 21200 Beaune)+33380222300はカフェ
隣に宝石店➅Oudard Daniel(38 Pl. Carnot, 21200 Beaune)+33380220397と並ぶ。
対面は、洋服屋、眼鏡屋が有って、その隣が⑦Alain Hess Cheesemonger(7 Pl. Carnot, 21200 Beaune)チーズ専門店である。ここは中々圧巻だ。
https://fromageriealainhess.com/fr/
二軒間を挟んで⑧Mulot-Petitjean Pain d’Epices(1 Pl. Carnot, 21200 Beaune)は地元の伝統的なお菓子屋さん
https://www.mulotpetitjean.com/
通りを挟んで➈Maison Denis Perret(40 rue Carnot, Pl. Carnot, 21200 Beaune)はワイン専門店。
http://www.denisperret.fr/
一つ間を挟んであるのが➉La Maison Laronze(4 Pl. Carnot, 21200 Beaune)はキッチン用品店。鍋釜もそうだが、さすがにワインオープナーが圧巻である。
http://www.lamaisonlaronze.fr/
これ買ったら・・どうやって日本へもってける?というものが目白押しだ。
その隣が⑪La Vinothèque(4 Rue Pasumot, 21200 Beaune)というワイン店
http://www.bourgogne-vinotheque.com/
大通りに面して⑫Le Carmin(4 Pl. Carnot, 21200 Beaune)フレンチレストラン。ここは予約がそう簡単には取れない。ぜひ日本を出発する前に取ろう。
https://www.restaurant-lecarmin.com/
隣がL’⑬Écrit'Vin(8 Pl. Carnot, 21200 Beaune)というレストラン
http://www.ecritvin.fr/
その隣は⑭Dix Carnot(10 Pl. Carnot, 21200 Beaune)+33380246206パティストリー/チョコレートが充実している。
カルノー広場周辺をぐるっと回って、ディナーは➀③④⑫⑬から選ぶと良い。ただ⑫Le Carminは観光客でも変な恰好ではいけない。ホテルへ戻って着替えするように。


この日は、僕らは④Brasserie Lazare Carnotに入った。もちろん直前だけど予約した。階段を昇った窓の傍が用意されていた。ワインは相変わらずパストグラン。料理はママのお気に入りである。
「ここの公園の名前は革命家ラザール カルノーの名前を因んでつけられた」
「革命?どの革命?」
「フランス革命だ。カルノーは革命軍の副官で公安委員会の委員だった。「勝利の実行者」という仇名だった。実は、革命軍がなだれ込んでくる前は、ボーヌにはサンマルタンの教会が有ったんだ。このカルノー広場にもサンピエール教会が有った。それが全部完膚なまでに潰されたんだ。1805年だ。実はサンマルタンの教会は、何処に有ったのかも分からない。サンピエール教会跡地は・・ここはね、空き地になって、いつの間にやら幾つものマルシェが開かれるようになって残ったんだ。真ん中に井戸があったそうだ。いつの間にやらサンピエール広場と呼ばれるようになったんだが、1887年12月3日にフランス共和国第5代大統領になったマリー・フランソワ・サディ・カルノーMarie François Sadi Carnotが此処をPlace Carnotにしちまった。
革命戦士ラザール カルノーを偲んで・・と云うことでね。サディ カルノーはラザールの孫だったんだよ。ついでに井戸を潰して自分の銅像を作って置いちゃった」
「あらあら」
「もっともその銅像はドイツ軍がブルゴーニュを占拠したときに叩き壊したんだがね」
「それも、あらあらね」
「終戦後しばらく荒んだままだったけど、1998年に再設計・建築し直されて、今のキオスクとメリーゴーランドが設置されたんだ」
「で。いま私たちが見てるカルノー広場がある・・ということね」
「そのとおりです」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました