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小説特殊慰安施設協会#48/地蔵尊とサムズ大佐

この混乱の極限とも云うべき1946年の1月。極東米軍軍医委員会が来日した。在日米軍兵士の状況の調査が目的である。訪日の間、同会一行は帝国ホテルへ泊った。なので、同じホテルを宿舎にしていたサムズ大佐は度々彼らと晩餐を共にした。

同会委員長はブリス少将である。彼はサムズ大佐の上官だったこともあり、来日後すぐにサムズから現況報告を受けた際も終始フランクなままでいた。極東米軍軍医委員会の中には、サムズが将兵の枠を超えて、将兵に関わる地元一般人の健康まで目を通していることに批判的な人々もいる。特にペニシリンの乱用について、職域の権限を越えていると公言する者もいた。その同会内でのサムズへの非難を、ブリス少将は上手く治めてくれていた。

サムズ大佐も可能な限り時間を算段して、極東米軍軍医委員会の調査をバックアップした。それが良かったのだろう。フェース・トウ・フェースでいたことで、サムズ大佐の医療方針について批判的だった勢力は、いつの間にか姿を消していた。

そして、1サムズ年1月31日、いよいよ帰国という前夜、夕食の席。サムズ大佐もその席に着いていた。
 極東米軍軍医委員会の一行は、食事の席では仕事の話は一切しない。最後の夜もそうだった。たいていは家族の話か、戦時中のバカ話だった。ブリス少将はブラックなジョークを良く飛ばした。
 『ベルリンが陥落する直前、ナチスの将校が防空要員が集めて言ったそうだ。"これより秘密防空兵器を渡す。これに火をつけ,空に向けよ" 防空要員が言った "隊長、これはただの打ち上げ花火じゃないですか。これのどこが秘密兵器なんです?" ナチスの将校が胸を反らして言った "馬鹿モン!恥ずかしくていえないから秘密なのだ"』
 全員が大笑いをした。
 サムズ大佐はお世辞笑いしか出来なかった。ベルリン陥落の日。その日、街の瓦礫の中で、サムズは倒れた兵士・民間の手当に奔走していた。5月の暗い朝。陰鬱な陽。塵芥塗れの傷口。焼け跡から立ち昇る無数の黒い煙。サムズはフラッシュバックのように、それらを思い出してしまった。
 『ところでサムズ大佐。』ブリス少将が言った。
 『はい。』
 『実は、デニット少将が極東米軍軍医総監を今期で委員長を退任することになっとる。この件は、此処に居おられる皆さんにはお話してあるんだがね。君に頼みが有るのだ。デニット少将の後任を君に受けて頂きたいのだが、どうだろうか?』
 サムズ大佐は、驚いてナイフとフォークを持つ手を止めた。ブリス少将は続けた。
 『彼の後任は、君が最適任だというのが我々全員の意見だ。もちろん昇進も含む。准将となる。どうだろうか?』
 サムズは快諾出来なかった。沈黙したままになった。
 そんなサムズの反応が、ブリス少将は意外だった。しかし尚も続けて言った。
 『勤務はワシントンになる。現在の仕事と兼任は可能だが・・准将へ昇進となると、現実的には現在のポジションは後継者に譲ることになるだろう。』ブリス少将は、サムズ大佐を見つめた。
 サムズは沈黙したままだった。おずおずと言った『・・ありがとうございます。光栄です。・・しかし即答はお許しいただけないでしょうか?ご覧頂いた通り、現在東京は手のつけられない状態にあります。・・いま、誰かにこのまま譲るのは・・』
 同席していた軍医全員が大きくため息をついた。
 『・・了解した。ぜひ検討してみてくれたまえ。』ブリス少将が言った。
 『ありがとうございます。』
 このときの会話は、翌朝には帝国ホテルを宿舎としている佐官クラス全員に広がった「PH&Wのサムズ大佐が、准将への昇進を断ったそうだ」「なぜ?」「今の仕事が出来なくなるからだそうだ」「そんなバカな」「サムズがワシントン行きを断ったそうだ」「なぜ」「今の仕事が出来なくなるからだそうだ」「そんなバカな」帝国ホテルの雀たちは大騒ぎになった。

2月1日朝、サムズ大佐は極東米国軍医委員会の一行を帝国ホテルの玄関まで送ると、そのまま第一生命会館まで歩いた。鋭い寒さが心地よい快晴だった。一階のオフィスに入ると、既に厚生省の小笠原弥生が待っていた。手に山のような書類を抱えていた。
 『おはようございます!大佐。』小笠原は元気に言った。
 『おはよう、Marchy。相変わらず早いね。』
 サムズは小笠原弥生をMarchyと呼んでいた。自己紹介のときに彼がそう呼んでくださいといったのだ。
『はい!此処で頂く朝のコーヒーが大好きなんです。それを楽しみに励んでおります。』
 サムズは笑った。
 小笠原は厚生省の代表としてサムズ大佐についていた。サムズは厚生省に巣食う利権者たちを片っ端に弾き出していた。医を知らぬ利権だけで要職にある者が厚生省には無数にいた。サムズは彼らこそが本来あるべき厚生省の姿を惑わしていると考えていた。そんな厚生省の組織と構造を彼は徹底的に洗い出し変革していた。小笠原はまさにそのサムズ英断の日本側への先兵である。彼は、厚生省役人であるにも関わらず、サムズの意思の具現化を徹底的に行っていた。・・結果として、それが怨嗟を生み、彼は昇進の道を閉ざされてしまうのだが・・それはまだ先の話だ。
 小笠原は、サムズの行動力/決断力に信服していた。なのでサムズが全国を視察して歩く時には、可能な限り随行し、通訳を引き受けた。
 あるときは新橋のガード下にゴミのように溜まる浮浪者の群れの中に入り、彼らの診察をした。あるときは、朝鮮半島からの引揚者、引き上げの途中の強姦された女たちを収容する病院を訪ね、性病の罹患と負った怪我を診察した。サムズ大佐は、椅子に座って判断をする医者ではない。前線に立ち、自分も埃だらけ血だらけになって医療に携わる男だったのだ。

その寒い朝。小笠原の手渡す書類を次々にこなしながら、サムズがふと手を止めた。
 『ところで・・Marchy。この間の東北視察の時、道端に佇んでいた小さい石像の神は何という名前だったかな?』
 『道祖神ですか?道の分かれ目に立つ神ですか?』
 『そうだ。あれだ。君から名前を聞いたが、忘れてしまった。』
 『地蔵菩薩です。菩薩は如来になるために修行をしている仏様です。』
 『そうだそうだ。地蔵菩薩だ。・・小笠原君、小さいもので良い。なんとかひとつ手に入らないかな。どうしても欲しい。』サムズは言った。サムズがモノを欲しがることは稀だった。
 『判りました。なんとか手配しましょう。』小笠原は応えた。
 その小笠原が手配した10センチくらいの大きさの地蔵菩薩が届いたのは2月6日の午後だった。 そして、その日の夜、サムズ大佐はセントルイスで暮す妻エルバに手紙を書いた。

『愛するエルバ。私は君に謝らなければならない。軍医委員会から誘われた昇進とワシントンへの転任を私は断ろうとしています。私はまだまだ貴女を寂しいままにしてしまいます。私の我ままを許してください。
 私も貴女に逢いたい。アメリカへ帰りたい。気狂うほど帰りたい。でも仕事が投げられないのです。まだまだ立ち向かわなければならない巨大な妖怪が目の前にいるのです。
 先日も西日本にある病院を訪ねました。そこは、大陸から朝鮮半島から難民として逃れてきた日本人女性を収容する病院でした。彼女たちは逃げ帰る途中で、暴徒に襲われ傷つけられ強姦され妊娠した人々です。私は彼女たちの性病の罹患を治癒しに出かけました。日本に辿りついてもまだ悲痛と悲嘆と絶望に沈んだままの彼女たちの傷を治癒に出かけたのです。
もちろん彼女たちが負った深い心の傷を治癒する力は、私は授かっていません。しかし身体に付いた傷と病には立ち向かうことは出来る。小さいことかもしれないが、私はそんな手がかりから、彼女たちが足掻いて戦っている絶望からの帰還の、お手伝いができるかもしれないと思ったのです。 この仕事を辞めることはできない。そう思いました。
 優しいエルバ。貴女なら、そんな私の我がままを許してくれる。僕は勝手にそう決めて、ワシントン行きは断ろうと思います。
 ところで。ちいさな日本製のカミサマを別送で送ります。石像です。地蔵菩薩と云います。
 先日、日本の北を歩いた時に、道端に佇むこのカミサマを幾つも見ました。私は随行した通訳に聞きました。"この神はだれか"彼は教えてくれました。
"これは地蔵菩薩と云います。子供たちを助けるカミサマです。迷える者を無事涅槃に届けるために粉骨砕身する神です。そうですね、まるで貴方のようだ"彼は言いました。
地蔵菩薩は、すべての人々が神の身元に届くまで自分は神の身元に行かない、と決心した神だそうです。私は心ふるえました。
 地蔵に幸せはあるのか?きっと沢山の挫折を味わっているのに違いない。救済の道は挫折の連続です。その連続に負けて医師の大半は心を閉ざしてしまう。患者をモノだと思うようになる。人の心は、救う者も弱いものです。多くの医師は、私を含めて無数に挫折し続ける。もし成果を出すことが幸せ/成功だと云うならば。医師は・私は、人生の失敗者だと思うのです。
 地蔵菩薩は、どうでしょうか?この方は、幸せなのか?不幸なのか?
 私は幸せなのか?不幸なのか?
 私は、北日本から戻る汽車の中で、それだけを考え続けました。
 そして、気がついたのです。
 私たちの幸せは。菩薩の幸せは。成果の中にだけ在るわけではない。成果が出ることは確かに無類の喜びだ。しかしその成果に向かって、全身全霊で立ち向かい充実することに幸せが有るのではないか。成果は・・神が決めること。しかし経過は我々が決める。実は我々の喜び/幸福はそこにあるのではないか?と。
 北日本の寒い空の下で見た地蔵菩薩の優しい微笑みの中に、私はこの方の幸せを見つけたような・・そんな気がしました。
 そんな微笑みを携えた方を、貴女たちのもとに送ります。ぜひぜひ、居間に。暖炉の上に、この方を置いてください。私が貴女たちと共に在ることを、この方の微笑みから感じてください。
 愛しています。いつも、いつまでも。どこにいても。』
クロフォード・F・サムズ大佐が帰国したのは、マッカーサーが解任され帰国した後である。彼は最後までマッカーサーに忠誠を誓い、自らが極東の地で為すべき仕事をこなした男だった。

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勝鬨美樹/銀座グランブルー

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました

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1951年生まれです。そろそろ70の声をきく年になってしまいました。このnoteではワインを巡る歴史話。僕が子供の頃の東京下町のこと。青春時代に歩いた米軍キャンプとNYCの話。銀座グランブルーのこと。そして日々徒然に書き散らしたものなどを並べています。