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小説特殊慰安施設協会#44/焦燥

林譲は、新橋の友人の所へ間借りしていた。着替えは、家人が荻窪の彼の自宅から毎日運んでくれていた。
松坂屋のキャバレー・オアシスがオープンした後、林譲が事務所に出る回数は、極端に少なくなっていた。家人が運ぶ荷物を、彼自身が受け取るようになっていた。
「もう、戻られても宜しいのではないですか?」
ある日、家人が言った。
「ん。」林譲は、曖昧に頷いた。

その日の午後。林譲は事務所へ向かう途中、新橋のフリー・マーケットへ何となく寄ってみた。来たのは初めてだった。
駅前に無数の人々が蠢いている。寒さに凍えながら、ボロボロの服を何枚も重ね着した人間が、目を血走らせて怒鳴りあっている。冬だというのに、饐えた悪臭が目に染みるほど蔓延していた。その場に、小ざっぱりとした背広を着て、杖を突いて立つ林譲は、あまりにも場違いだった。
「刑事だと思われてる分にゃ良いんですがね。」と後ろから声をかける者がいた。林譲は驚いて振り返った。松田義一だった。林譲は松田を知らなかった。松田は知っていた。
「役人と間違えられちゃ大変ですぜ。林さん。」松田は笑いながら言った。 「・・あなたは?」林譲が言った。
「松田と言います。ここを仕切らせてもらってる。」松田は、林譲の顔を見つめながら続けた。「買い物ですか? 林さん。あんたが態々ここで買わなきゃならないものなんて無いと思うんですがね。」松田は皮肉な顔をして言った。「あんたは、戦争勝ち組だ。」
「勝ち組?」
「聞きましたよ。エビスヤ・ビアホール、オープンの日の演説のことは。あんたの夢のことは。」
松田が言ったのは、林が「私は沢山の人に仕事を作りたい」と言った話である。
「あたしの夢はこれですよ。」松田は顎で行きかう人々を指した。
「アメちゃんが、スカンクだとかドブネズミだとか言ってる焼け残った連中、引き揚げてきた連中が、なりふりなんぞ構わず生き残れる場を作ること・・なんですよ。
ここには、スカした蝶タイした若いボーイもいないし、チャラチャラした服の若いネェちゃんもいない。ネクタイした焼け太りの爺い連中もいない。居るのは、死なないマジナイくらいの量の食い物を探しに来た、汚ねぇ恰好のオヤジやババア、ガキや死に損ないのジジイばっかりなんですよ。」
林譲は、黙って松田義一を見つめていた。
「生き残る気概の有る奴は、生き残れる。そんな場を作るのが、あたしの夢なんですよ。戦地じゃ、生きる気概なんぞ屁のツッパリ棒にもならなかったからね。命令一下突撃ぃ!で、みんなまとめて死んじまうしかなかったからね。」松田は言った。
「ここは、ちがう。運よく生き残った、あたしがやりたかったのは・・これなんですよ。林さん。生き残れる奴は、生き残れる場所。そいつを作ることなんですよ。」
林譲は沈黙したままだった。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました