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夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩1-16/オスピス・ド・ボーヌ

アール・バルタール・カフェBistrot des Halles Baltard café(14 Pl. de la Halle, 21200 Beaune)はボーヌ市場の前にあるカフェで、ボーヌ滞在中の朝はわりとここへお邪魔する。
https://m.facebook.com/pages/Baltard-Caf%C3%A9/149070515129652
同じホテルへ長期滞在すると、いつも同じ料理に飽きてしまうので、天気が良いときはふらりと村へ出る。でもボーヌ村は観光向けというより生活の村なので、店々が始まるのは遅い。それと月曜日は日月と続けて休みの店も多い。あるていど目途をつけて置かないとシャッターの閉まった通りだけをウロウロと歩くことになるので注意したほうがいい。
アール・バルタール・カフェは朝7時から営業しており、地元の会社員や年寄りたちが新聞を手に集まる店でもある。目の前にボーヌ市場Halle de Beaune(Pl. de la Halle, 21200 Beaune)の賑わいを眺めながらの朝食は楽しい。

「今日は、オスピス・ド・ボーヌとその博物館を半日歩くよ。いつも前を通るだけだから、今日はきちんと見よう」
「見るとこなくて通過するだけの建物だ・・って、前、言ってなかった?」
「・・言ってた。でも今日はきちんと見よう」
「ふうん、オスピス・ド・ボーヌって病院よね?もとは・・」
Hôtel-Dieu Museum - Hospices de Beaune
2 Rue de l'Hôtel Dieu, 21200 Beaune,
https://hospices-de-beaune.tickeasy.com/fr-FR/menu
「設立は1443年だ。此処を発案したのはブルゴーニュ公家の宰相ニコラ・ロランNicolas Rolinだった。妻のギゴーヌ・ド・サランGuigone de Salinsが強く希望したからだ。

しかし病院として機能したのは1452年1月1日からだった。建設は1443年だ。病院になるに10年近くかかったってる。実は、資産だけではなく解決しなければならない問題がいくつもあったからだ。カスティヨンの戦いBataille de Castillon(1453)が始まる直前だ。ブルゴーニュを含めてフランスは荒廃に塗れていた」
「カスティヨンの戦いって?」
「100年戦争の最後の大戦だよ。戦いの趨勢は決まっていたんだが、敗走した兵士たちが徒党を組んで北フランスの町を荒らしまくったていたんだよ。彼らはécorcheursと言われてた。ボーヌも何回も襲われた」
「100年戦争ってジャンヌダルクの戦争でしょ?英国とフランスが戦った戦争よね?」
「ん。ジャンヌダルクが出てくる前から始まってたけどな。彼女が出たことで戦いの趨勢は一挙にフランスのほうへ向いた。・・それと英国とフランスだけが戦った戦争ではない。ドイツやネーデルラント諸邦、フランドル諸都市を巻き込んだ戦争だった。どう考えてももその本質はブルターニュ公家とスコットランド王家そしてブルゴーニュ公家の利権争いだったからね、だけど戦いは自分の領地のなかで行われたんだ。領地は荒れ果てて、そう簡単には戻れなかった。それが100年間も繰り返されたんだ。貴族たち全員が疲弊し尽くしていたんだよ。民も満身不随になっていた。
それにペストだよ。ボーヌもペストが蔓延した。住民の1/3が死んだ。老いも若きもも男も女も、金持ちも貧乏にも、神父も修道士も死んだんだ。
そんな絶望の中で神からの救済を求めて、ニコラ・ロランNicolas Rolinと妻がギゴーヌ・ド・サランと共に発心したのがオスピス・ド・ボーヌだった。彼は設立趣意書にこう書いている。
« Moi, Nicolas Rolin, chevalier, citoyen d’Autun, seigneur d’Authume et chancelier de Bourgogne, en ce jour de dimanche, le 4 du mois d’août, en l’an de Seigneur 1443… dans l’intérêt de mon salut, désireux d’échanger contre des biens célestes, les biens temporels… je fonde, et dote irrévocablement en la ville de Beaune, un hôpital pour les pauvres malades, avec une chapelle, en l’honneur de Dieu et de sa glorieuse mère./Extrait du texte fondateur des Hospices de Beaune par Nicolas Rolin :
慈善病院としてのオスピス・ド・ボーヌは長い。フランス革命を挟んでも焼失しなかった。1971年まで続いたんだ。病院としての機能は他に移って、ここは博物館目記念物として残ったんだ


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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました