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ワインと地中海#56/シラクサ散歩04

https://www.youtube.com/watch?v=0BkAHkXf1zc

Calarossa Caffèを出ると、隣にデリがあることを嫁さんが見つけた。いつものようにまるで吸い込まれるように入っていった。
Alimentari Randieri Lucia(Via Serafino Privitera, 41, 96100 Siracusa)
「ここも良いかも。サンドイッチが美味しそう。少し何か買っていこうかしら」


好々爺とした感じで、嫁さんは色々なものを買った。持つのは僕の係。ご満悦なようだ。
「今夜のお夜食ね」
「はいはい」
すぐ横にローマ通りというのがある。僕らはここを曲がった。そしてすぐ先のカポティェッチ通りを左へ曲がった。MUSEO DI PALAZZO BELLOMOという錆突いた看板が有った。
少し歩くとGalleria regionale di Palazzo Bellomo(Via Capodieci, 14, 96100 Siracusa)は右側にあった。

「ここは14世紀にフルードリッヒ三世の命令でシラクサに入ったルイ・ベロニミの邸宅だ」
「フルードリッヒ三世って、同じような名前の人がいっぱい居るわね」
「ここでいうフルードリッヒ三世って、フェデリコ・ぺレスだ。Frederic Perezだ。 1291年から1337年6月までシチリア王を務めた人だ」
「1300年代のシチリア王?」
「ヴェスパー戦争の話になる。その話は今度にしよう」
「はいはい。今度にしよう話の一つね」
「1300年代ベロニミ一族は絶大な力を持ってたんだが、凋落した後は周辺に有った修道院の尼僧たちが此処をひき取っていた。それを1900年代になって市の美術局が引き取って改修を重ねながら博物館として使用するようになったんだよ。アントネッロ・ダ・メッシーナの『受胎告知』がここにある」
入館すると、びっくりするほど大きな博物館だった。コレクションはキリスト教関連の絵画と彫刻が中心で、アントネッロ・ガジーニやフランチェスコ・ラウラーナ、マリオ・ミニーティ、グリエルモ・ボレマンス、ガエターノ・ズンモなどの作品があった。

一時間ほどで博物館を出た。そのままカポティェッチ通りを進むと大きなラルゴ・アレトーサ通りにぶつかった。目の前にポルタ湾が見えた。海岸に面して泉が有った。
「アレトゥーサの泉だ。海岸線に近いが淡水が湧き出ている。長い間、船乗りたちに利用されてきた」
Fonte Aretusa(Largo Aretusa, 96100 Siracusa)
http://www.fontearetusasiracusa.it/
「半分樹木で埋もれているのね」

「パピルスの樹だ。シラクサに来たら、必ずこの泉を見にきたいと思ったんだ。中学生の頃にね」
「え~そんなに前から、あなた、歴史マニアだったの?」
「いや。太宰治さ。『走れメロス』だ。中学生の時に読んだ」
「『走れメロス』にこの泉のことが出で来るの?私も読んだけど。あなた、いつも太宰は人間的に最低だが、文章家としては防出の天才だって言ってたわよね。その太宰治の書いた『走れメロス』のために、シラクサに来たの?」

正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉かな。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々こんこんと、何か小さく囁ささやきながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。

「その泉がアレトゥーサの泉?」
「太宰はこの小説の巻末に『古伝説と、シルレルの詩から』と書いている。古伝説というのは、ヒュギーヌスがまとめたという『神話伝説集』のこと。シルレルの詩というのはシラーの『人質』のことだ。シラーは『神話伝説集』を読んで詩を書いた。参照した項目は「友情で極めて強く結ばれた者たち」という部分で、メロス・セリヌンティウス・ディオニュシオスのエピソードである。シラーは、太宰と同じ部分をこう書いている」

人質(Die Bürgschaft)
太陽はギラギラと照りつけ、身も心も疲れ果てて、倒れた。
「神よ、愛しみ深く私を助けてくださった。
今は力尽きて、愛する友も死ぬのか!」
「おや、あれは水の音、清く流れるせせらぎの音。耳を澄ませると、ほら、岩間に見つけた」
溢れ出る清らかな水、思わず水をすくって、熱い体をなぐさめる。太陽の光が草原の木々の影を長く伸ばす。
その時、旅人が二人、早足で通り過ぎる時、噂話しをした。「今頃、磔だ」居ても立ってもいられずに、飛ぶように走る。

「女神の泉と、正義感メロスの話ね。私も子供の時、読んだわ。すごく感動した」
「ヒュギーヌスの『神話伝説集』に泉のエピソードはない。シラーの創作だ。彼はきっとこのアレトゥーサの泉を思い浮かべたに違いない。その彼の強いアレトゥーサへの思い入れが昇華して、シラーの『人質』と、太宰の『走れメロス』へ結晶したんだと思う。たしかに女神の泉は森の中には無かった。シラクサの町の中に有った。でも、良かったんだ。メロスは挫折の寸前でアレトゥーサの泉に出会うべきだったからだ」
「なるほどねぇ」
「夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。・・ほんとうにすばらしい一言だよ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました