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黒海の記憶#01/黒海形成でうまれた大洪水伝説

ビザンティウムと呼ばれ、コンスタンティノープルと呼ばれ、今はイスタンブルと呼ばれる古代から連々と続く街は、ボスボラス海峡を挟んで二つに分断されています。バルカン半島側を「旧市街」アナトリア半島側を「新市街」と呼ぶ。この二つを繋ぐ橋がボスボラス海峡に架かっているガラタ橋です。
旧ガラタ橋は1991年でしたか焼失してしまいました。今のは新ガラタ橋です。
この橋は面白いことに2階建てです。橋の下にレストランが並ぶ。美味しい魚料理を食べさせる店が多くて何れも混雑している。ちなみに此処で供する魚は、ガラタ橋の上で釣り人たちが釣ったもので、これを帰りに橋下のレストランで売って帰る。素敵ですね。
その旧ガラタ橋の中央部に、標識がありました。こう書いてありました。
「これより東洋(オリエントOrient)・これより西洋(オクシデントOccident)」と。
今の新ガラタ橋には、この標識は有るのでしようか?知りません。来年こそコロナが収まったら是非見に行きたいなと思っています。

さて。そのガラダ橋の下に滔々と流れるのはボスボラス海峡。黒海とマルマラ海(地中海)を繋いでいます。北が黒海。南がマルマラ海(地中海)です。
実は、この黒海ですが・・6000年前にはなかった。あったけど極端に小さかった。いまの姿になったのは紀元前5600年ほど前のことです。
そのころ、地球温暖化で海面水位が上がっていた。地中海も海位がとても高くなっていました。その水圧が岩盤上の溝a rocky sillを突き破り、ある日唐突に激流が地を奔ったのです。そして地中海より遥かに水面が低かった黒海に、地中海の水が怒濤の如く流れ込んだのです。
そのために黒海周辺に有った村・町・畑は一年余りで全て水没してしまいました。
この時の様子を、コロンビア大学の地質学者ウィリアム・ライアンWilliam Ryanとウォルター・ピットマンWalter Pitmanは、以下のように書いています。
「ナイアガラの滝を一日に流れ落ちる量の200倍にあたる10立方マイル"42 km3"もの水が毎日流れ込んだ。 …ボスポラス峡谷は怒濤のごとく荒れ狂い、それが少なくとも300日以上続いた。」
この大災害が、オリエントに拡がる「大洪水神話」の祖形になっているのではないかと云われています。

黒海とマルマラ海を結ぶ海峡は長さ30kmあまり、幅は0.6~3km。両岸は、膨大な激流の傷を残したままの切り立った崖です。
イスタンブルはボスボラス海峡の南端ですから、ガラダ橋の上から黒海を見ることはできません。北端のガリプチェかポライズコイまで行くしかない。鉄路はありません。バスを使うしかない旅になります。第三ボスポラス海峡大橋が出来てから、この地域も大きく変わりつつあります。ちなみにすぐそばにİstinyeParkがあります。トルコ随一の高級ショッピングモールです。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました