閑話夜話その1/知は専門家を育て智は人を育てる
理解するとは、理(ことわり)を解することです。つまり前後のつながりを知り、既存の知識と紐付けされることであります。
たしかに、すべては理解することから始まる。
しかし理解するということは、血肉になるということではありません。理が五臓六腑へ滲みるには、理解を超える共鳴がなくては不可能です。理解しただけでは、知識の累積で終わります。そうした知識の累積は専門家を生み出すだけです。
魂は育たない。
大事なことは「共鳴」することです。感化されることではない。
善き人に会い、善きモノに会い、善き書に会っても、オノレに「共鳴せん」という志が無ければ、何に出会っても「理解」のみで終わります。
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました