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黒海の記憶#08/ワインとオリーブ油を携えて

メソポタミアにもアッシリアにも、もちろんエジプトにも、黒海について語ったものは殆どない。

黒海について話し始めるのはギリシャ人からだ。
この北方から来たヘルメス(ギリシャ人はそう自称した)の民は、キルキスの西に広がる平原に定住すると次第に海岸線へと進んだ。ギリシャ人はインドヨーロッパ語族である。灌漑の技術と牧畜の知恵を携えていた。しかしギリシャの平原は大きくない。彼らが海に向かって進んだのは必然だったのだろう。

しかし地中海の海は瘦せている。パンゲアの亀裂である超古代から続く海は深く海棚が狭い。その上亀裂の圧力に押された陸地は撓み隆起している。陸の部分も平地が少ないのだ。そのため生活に適している陸地は狭く三方が山に囲まれている。これがギリシャが地方都市型にならざるを得なかった大きな理由だ。
そしてエーゲ海に対峙したとき。
ギリシャ人は、東のレバント海岸から拡散してきたフェニキア人の祖に出会う。
彼らとの戦争と交易がギリシアの歴史である。

彼らにとって「海」とは、西の果てにあるという「ヘラクレスの柱」からコルキスの間に有るものだった。当初、彼らの視線には黒海はなかった。もちろんその存在は知られていた。しかしそこは魔物が棲むであると思われていた。
12の難業を課せられたヘラクルスは、冥界の番犬ケルベロを捕えるために冥界に行った。その地はボルボラス海峡の先、黒海の奥だった。そしてアマゾネスの女王ヒッポリュテと出会ったのも黒海東海岸である。ヘラクレスが助けたプロメテウスは東北海岸の奥、岩に縛り付けられていた。
明るいエーゲ海に対して、いつも霧深く暗い黒海は、ギリシャ人には荒ぶる異神たちの海に見えたのに違いない。

それでもギリシャの商人たちは、注意深くこの黒い海に分け入っていた。彼らは金属製品を求め、材木を求めて反時計回りに流れる海流に乗って海を進んだ。船倉に積んでいたのはワインとオリーブ油である。
当時からブドウから作るワインは最大最良の交易品だった。ワインを混ぜることによって水は腐らなくなるのだ。そしてある濃さ以上だと痛烈な酩酊感も得られる。その上、ブドウの樹は北方では育たない。完全な独占品だったのだ。黒海の周辺にある人々はギリシャ人からしか、それを贖うことができなかったのである。僕らがいま、ヘロドトスやストラボン、プリニウスなどのギリシア・ローマの著述家から聞く言葉は、彼らギリシャ商人によってもたらされたものである。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました