夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#24/ジゴンダス#03
https://www.youtube.com/watch?v=VhmczATOaho
チェックイン後、荷物を置いて村へ出た。小さい村だから2時間もあればすべてみられるなと思った。
ホテルの玄関を出ると、さきほどのガルソンが我々に気が付いて笑いながら手を振った。いいね、こうしたフレンドリーがフランスの田舎町の良さだ。気取りがない。
ホテルはガブリエル・アンデオル広場に面している。隣がDOMAINE TERME(192 Chem. du Terme, 84190 Gigondas)というワイナリーだった。畑は少し離れた du Termeにあるそうだ。
https://www.domaine-du-terme.com/
ロゼがひときわ目立った。
「ロゼがあるのね」と嫁さん。
「ん。白はAOCとして認められていない。ロゼはOKなんだよ。グルナッシュ、シラー、ムールヴェードルを使っている。見た感じ、果皮と共に漬けている時間は48時間程度だな。あとでホテルで開けてみよう」
その隣がLA MAISON DU GIGONDAS、そしてその隣がCaveau du Gigondas、Molin de la Gardetteである。
https://www.gigondas-vin.com/le-caveau-du-gigondas/
ここは村内一押しのワインショップで、ジゴンダスの生産者の作品がほぼすべて此処で買える。100品種以上あるとのことだった。
実は前回垂直呑みを企画したときに、この店に手伝ってもらった。今回も訪ねてみると、なかなか珍しいものを取り揃えていて、思いの外時間を使ってしまった。商品はヤマトではなく、ここが使っている欧州の宅配業者に預けた。値段はこちらの方が安い。
そして・・ちいさな階段を挟んでDomaine la Bouïssière(15 Rue du Portail, 84190 Gigondas)
http://www.labouissiere.com/
がある。ここも訪問した。
そのとなりが観光案内書Ventoux Provence Gigondas(5 Rue du Portail, 84190 Gigonda)である。いつものように資料を色々と集めて、それを持ってホテルへ戻った。ホテルが近いとこれが出来るから嬉しい。
http://www.ventoux-provence.com/
荷物を置いてすぐにホテルを出た。目的地はジゴンダス城である。それで・・先ほど通り鋤瀬田ちいさな階段をのぼって裏の路地へ出た。そしてモンテシャトー通りを行く。わりと急激な登り道だ。クルマは細くて通れないかもしれない。
たどり着くと嫁さんが周りを見回していった「これだけ?ほんとの廃墟?」
確かに何もない。建物の形が残っているだけだ。
「もともとオラニエ公の別荘だったんだよ。でもフランス革命の時に灰燼と化したんだ。それでも一部改修されてホスピスに使われていたことも有ったが、1904年にそれも立ち退いて廃墟になってる」
「オラニエ公って知らないわ」
「オランジュ公国の人だ。この辺りは1150年から1701年までオランジュ公国だった。1181年にオランジュ伯爵領から神聖ローマ帝国領に移っている。ブルターニュ王国に属していた。
コーザン(現在、ジョンキエールの一部)、シャトーヌフ・ド・ルドルティエ(現在、シュゼットの一部)、クルテゾン、デルブー(現在、モンドラゴンの一部)、ジゴンダ、ジョンキエール、モンミライユ、オレンジ、シュゼット、サン・アンドレ・ド・ラミエール(現在はヴィオレの一部)とヴィオレが彼らの持ち物だった。1702年にフランス王国に併合されるまで、ノルマン人のものだったんだよ。
原型は、長さが 550m、高は 5~ 8mの間。城壁は 1.50mあったという。現在は半分も残っていない。城壁の内側は3~ 4の区画にドアや窓枠天井が残っているだけである。
「ノルマン人・・というかオランダ人がワイン製造に興味を示すのは、比較的遅くてね、宗教的ではなく商業的にワインを商機を見たのは1300年以降なんだ。しかし「こりゃいける」と思うと、オランダ人は熱心にワインビジネスに顔を突っ込んでるよ。ボルドー地区のメドックを干拓してワイン畑にしたのもオランダ人だし、ロアール川を上流に向かってワイン畑を増やしたのも彼らだ。ジゴンダス周辺も、ワインを植えようとしたのはその時期からなんだよ。1,341年7月にレーモン5世が奨励を図っている。公証登録簿に「ブドウ農園」という名称が現れたのはその頃からだ」
「その一族の一人がこの城の持ち主だったのね」
「ん。オランジュ公国時代のオラニエ公という呼称はフランス王国になっても、名目として残されていたんだ。だから此処は「オラニエ公の城」さ」
「なるほどね」
ジゴンダス城からの帰りは、そのまま同じ道を通ってホテルまで戻った。
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました