夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#31/オランジュ#03
https://www.youtube.com/watch?v=1GP25e0mtQ4
ディナーはRestaurant Aurasice(2 Pl. Langes, 84100 Orange)にした。
https://www.grandhotelorange.com/en/restoration
クオリティは高かった。ワインリストの中にカオールのMas del Perieが有ったので、これを選んだ。
https://masdelperie.com/produit/orange-voilee/
「セパージュはシュナン。オレンジの果皮じゃないよ。シュナンを搾りかすと一緒に800Lのアンフォラで1年間浸軟して作る。個性的なワインだ」
アミューズ一緒に口にした嫁さんがサラッと言った。
「ん~会う合わないが際立ってるワインね。シェフはこれがペアリングだと困るんじゃないかしら」https://www.facebook.com/grandhoteldorange/
なるほど。僕もそう感じた。ソムリエに声をかけた。食事の間のワインは他のものをした。ソムリエが大きく頷いていた。
「ペアリングって難しいわよね。マリアージュ(結婚)という言葉そのものね。合う合わないだけじゃなくて、互いの良さを引き出たせる技量がないとダメですものね。自己主張ばかりしてる料理やワインだと、どちらかが付いて行くだけで、つまらない組み合わせになっちゃう。シェフとソムリエの連携がやっぱり大事よね」
代わりに出たワインはラングドックだった。赤をFrancois Villardという選択肢・・なるほど面白いなと思った。
彼が使うTerre De Viennaeという言葉は「独り舞台」という意味。シェフのEnzo Ciccarelliさんが挨拶に来て下さったので、嫁さんが感激してた。
部屋に戻って窓を開けると、街の喧騒がまだ聞こえた。
「古代のまま今も生きている街なのね。ローマもガリアもフランスも全部一緒くたになって生きてる」嫁さんが言った。
「オランジェを真ん中にしてこの辺りが神聖ローマ帝国のものになったのは12世紀の頃からだ。もうその頃にはローマの文明は浸透して大きな街になっていたんだよ。まあでも公国という括りで見るならかなり小規模なサイズだった。
オラニエ=ナッサウ家という秀逸な指導者一族が居たんだよ。ウィリアム1世というのが開祖だ。彼以降代々ネーデルラント連邦共和国の統領を出したんだよ。ウィリアム3世はイングランド王も兼ねていた。しかし1673年にルイ14世が攻め込んできて、オランジュ公国は1702年にフランス王国に吸い取られてしまうんだが、それでもオラニエ公オラニエ=ナッサウ家の名前は断絶されなかった。だから今でも残っている。それとオランダ王国が成立すると、オラニエ公は王太子に推挙されているんだ。オランジュは深くオランダに関わっている。・・というかフランドルに深く関わっているんだ。たしかに神聖ローマ帝国建国はクローヴィスが引き金だったけどな。神聖ローマ帝国はフランク王国に引き摺りまわされる方向へ進まずに、むしろドイツやプロイセン建国へ進んでいくんだ。つまりフランク王国は、一枚岩じゃなかったということだ。オランジュ公国も気質的には反フランク王国側だったと僕は思うね」
「それが今のこの街のどことなくフランスじゃない異国感に漂ってるのかしら?」
「ん~いいトコ突くね。その通りだと思う。西ゴート人に覇権された時代を含めて。プロヴァンスは全体にフランスらしからぬスパニッシュの匂いがするからね。オランジュの非フレンチ系な雰囲気は根が深いのかもしれないな」
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました