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葛西城東まぼろし散歩#25/市川荷風式#01

「かつ丼跡を見に行こ」と僕が言った。
「かつ丼跡?そんなもの、どこにあるの?」キッチンに立っていた嫁さんが言った。
「京成八幡駅にある。行こ」
「暑いわよ。今日は36度越えよ。熱中症になるわよ」
「でも行こ。7月に36度越えじゃ、8月は40度を飛び出しちまうかもしれないし、そんな調子で9月10月11月と続いたら12月には100度を越えちまうかもしれないから・・生きてられるうちに、いま行こ」
「・・ばか」
京成八幡駅の傍に「大黒家」という店が有った。いまはない。5年ほど前に閉店した。
晩年の永井荷風が愛した店だ。荷風はここでほぼ毎日、かつ丼を食べていた。荷風はこの店を「大黒屋」と書いている。
10年ほど前に、一度だけ訪ねた。たしか「荷風セット」というのが置いてあった。
「かつ丼・跡・・というと、そこでかつ丼はたべないのね?」
「ん」
「だったらまだ涼しいうちに行くか、陽が陰ってからにしない」
「ん。陰ってからにする」
銀座からは都営浅草線・快速成田空港行で京成小岩駅へ行く。ここから5分ほどで京成八幡駅に着く。正味45分程度だ。
夕方6時を越えるとさすがに照り返しは納まって少しはラクになった。
大黒家は駅前にある。
「これ?」
「ん」
「これ見に来たの?」
「ん」
「・・一回で真っすぐ辿り着いたから、初めてじゃないわよね」
「ん。前来たときはやってた。ここで荷風セットというかつ丼食べた」
「あ・・判った。あなたのアイドルの通ってた店ね」
「・・ん」
「これ見に来ただけ?」
「ん。ほんとは近くの市役所に荷風の書斎を復元したものがあるらしいんだが・・行かない」
「どうして?」
「展示できるほど、きれいに片付けられた荷風の書斎は荷風のものじゃない」
「なるほどねぇ。あなたの机みたいなものね」
「クラクラ日記、憶えているだろ?」
「ええ、坂口安吾と同棲した三千代さんが彼の乱雑な机を片付けたら、安吾が激怒した話でしょ。その話を読んだから私もあなたの机には触らないわ」
「机の上は、その人のアタマの中と一緒さ。触っちゃいけないし、似たようなものを作って"これです"というのも不敬だ。だから別に見には行かない」
「はいはい。じゃお茶もしないの?」
「駅の向こう側にはサ店はあるようだな」
「お茶くらいしましょうよ」
「ん」
で「ラテール」という店に入った。
「永井荷風って確か子供たちのガールスカウトが有った霊南坂の方に住んでたんじゃないの?」
お茶しながら嫁さんが言った。
「戦争に焼け出されて、戦後はこの辺りに住んでいたんだ。彼に『葛西日記』という文が有る。そこに『菅野に移り住んでわたくしは早くも二度目の春に逢おうとしている。わたくしは今心待ちに梅の蕾の綻びるのを待っているのだ。」と書き出している。そして「去年の春、初めて人家の庭、また農家の垣に梅花の咲いているのを見て喜んだのは、わたくしの身に取っては全く予想の外にあったが故である。戦災の後、東京からさして遠くもない市川の町の附近に、むかしの向嶋を思出させるような好風景の残っていたのを知ったのは、全く思い掛けない仕合せであった』と書いている。菅野はこのすぐ近くだ。でも菅に住んでた頃は大黒屋に住んでいない。その後だ」
「戦争の傷跡がすくなかった東京郊外に、燃える前の東京の面影をみたのかしら?」
「そうかもしれないな。・・荷風は昭和20年3月30日の空襲で麻布の自宅「偏奇館」を失ってる。
「・・そう。ショックだったでしょうね」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました