第一生命保険広島支社長・菊島奕仙
9月6日。日比谷お堀端に建つ第一生命保険本社ビル。社長・石坂泰三と数名の役員が、広島支社長・菊島奕仙から経緯と現況の説明を受けていた。
広島支社は爆心地に近かった。そのため完全に燃えていた。しかし8月15日、日本降伏の放送を聞くと、菊島支社長は保険金の支払いを決断。同日より動いている。戦後、保険金の支払いに即応したのは第一生命広島支社が唯一だった。
そのためには現金が必要である。しかし広島支社は全壊。現金も預かり証も全て消失していた。その上の支払いである。菊島支社長は何回も本店を訪ねていた。この日も、支払いのための現金の受け取りと、日銀が小切手の換金化を始めたことについての打ち合わせだった。
その打ち合わせの最中に「申し訳ありません!」と入ってきた社員がいた。
「連合軍の将官が数名、玄関に来ております。」...
「なんだね?」役員の一人が言った。
「至急、代表の者に会わせてほしいとのことです。」
役員の間に緊張が走った。
実はここ数日来、連合軍と内務省の間で、国内で流通させる紙幣について、きわめて熾烈な話し合いが行われていたのだ。連合軍は、軍票(連合軍製・紙幣)を流通させると宣告していた。そのための軍票は既に沖縄で刷ってある。これを使用するという宣告である。内務省は、日本銀行に連合軍が使用するための紙幣を増刷させるので、それを使用して欲しいという申し入れをしていた。この話し合いは、なかなか決着がつかないままにいた。
日本銀行券・使用禁止か?
役員たちの間に、よぎったのはそれだ。
「矢野君、君が対応したまえ。」石坂社長が言った。
一礼すると、矢野一郎常務取締役が部屋を出た。
「菊島君。もう話はいい。君は現金を持って、すぐに裏口から東京駅へ出たまえ。」石坂社長が言った。
矢野常務が玄関に着くと、そこに二人の将官が立っていた。二人とも大佐だった。
「御社のビルを、連合軍が明後日接収する予定である。」将官の一人が言った。
矢野常務は腰を抜かすかと思うほど驚いた。
「ついては、すぐにビル内各階の見取り図。設計図を取り揃えてほしい。揃うまでの間、君は館内を案内しなさい。」
二人の将官はそれだけ言うと、返事を待たずにさっさと中へ入っていった。矢野常務はその後を追いかける形になった。
その頃、ビルの裏口を出た菊島支社長は随行する社員と共に幾つかのカバンを抱えて、足早に東京駅に向かっていた。そのとき、菊島奕仙47才。彼は47年に石坂から指名を受けて社長に就任している。
1945年8月6日。彼は広島市から約100Kmほど離れた福山市にいた。あまりにも市内の戦火が激しく、一時的な会社の避難地を求めて、同地に来ていたのだ。
そして午前8時15分。彼は、西方の空に閃光とオーロラのような光彩が走るのを見た。音はない。地震のような揺れもない。光だけが空を駆け抜けていったのだ。
菊島は、4日ほどかかって徒歩で広島市内の富士見町の実家に戻った。実家は全焼していた。家族5人が亡くなっていた。矢野はその足で播磨屋町にあった支社に向かった。播磨屋町は爆心から500m程度しか離れていない。高熱と爆風で、何もかも全てが破壊され尽していた。彼はその場に立ち尽くした。
しばらくすると腹の奥底から突き上げる衝動が有った。
「死亡保険は?いまこそ保険は、保険として機能するときであろう!!!」
そして15日に終戦。このとき、西蟹屋町の倉庫会社内に仮事務所を構えていた菊島の目の前に、契約者に関する重要書類が有った。焼失を恐れて、これらは市外に保管が移されていたのである。菊島は思った。
「いまなら出せる。軍部からの干渉もない。」
菊島の行動は素早かった。すぐさま生き残った社員を招集し通達を出した。
「死亡証明も保険書もいらない。貴君らの顧客に来店いただければ、保険金はお支払すると伝えなさい」というものだった。
社員たちも家族を失い、同僚を失っている。しかし全員が菊島の情熱に衝き動かされた。彼らは焼け野原になった広島の街を走り回ったのだ。最終的に、ほぼ1年あまりで3000件以上の契約者に、彼らは保険金を支払っている。
別に広告を何れかに出したわけではない。すべて社員が自らの顧客の許を歩き、安否を確認し、それに基づいて支払ったのだ。
しかし支払いのための現金も小切手も、すべて高熱と爆風で燃え尽きていた。菊島は、支払いのために何度も上京し、本社から現金を運んだ。それは、社長・石坂泰三からの全幅の信頼と協力があったからこそ出来た英断である。
会議室で、まんじりともせず待つ石坂らの許に、矢野一郎常務取締役が戻った。
「三日後にこのビルを明け渡せという命令でした。」
「なんだ!それは。」思わず石坂らは大声を上げて立ち上がった。
「連合軍が使用するそうです。明日、担当将官が接収指令書を持って再訪するとのことでした。」
彼らは呆然と立ち尽くした。あまりにも理不尽な強引な指令である。
「これが負けるということか・・」石坂は呟いた。
こうして9月8日。第一生命ビルはGHQに引き渡された。
第一生命保険の書類は、同ビル地下の保管所へ全て押し込まれた。
そして9月12日よりGHQ総本部として稼働し始める。
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました