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サルラ・カネダ08/サンテミリオン村歩き#45

https://www.youtube.com/watch?v=EK4L929O8Ag

思いの外、途中に時間をかけてしまって、レストランAuberge Lacombe(D47 Bénivet, 24200 Saint-André-d'Allas)に到着したのが14時近かった。
https://www.facebook.com/aubergelacombe/
途中2回ほど延着の知らせをドライバーがしてくれたので、ようやくランチには有りつけたのだが、申し訳ないことをした。料理は地元の自家製食材を利用したペリゴール料理で、無暗に技に走らない素直なものだった。もちろんフォアグラは出る。これが絶品だった。
ワインを出してもらったので、2時間近くもお邪魔した。
ドライバーさんは一緒に食事をとお誘いしたが固辞されて駐車場で待機してくれた。
レストランを出発したのは夕方4時を過ぎていた。
クルマはそのまま国道D47を東へ走った。つぎの目的地はChâteau de Puymartinなのだが、時間が押し迫ってしまった。
「実はこの通りにもう一つ美しい城が有ります。Château du Rochと言います。非公開なんですが、外からは鑑賞できますので寄ってみましょうか?」とドライバーが言った。こういうセジェスチョンは大抵正解なのでお願いした。
Château du Roch(24200 Saint-André-d'Allas)はアラ村Allasにある。D47から横道に入って前を通った。端正な城だった。
「18世紀の初めに作られた城です。ルイ15世がかつての愛人だった女性のために建造した城だと言われています。フランス革命の時に競売に掛けられまして、地元の鍛冶職人が買い取りました。しばらくその家族が住んでいたのでが、いまは廃墟です。こんなに美しいのに哀しいですね」ドライバーが言った。


クルマは再度D47へ戻った。
Château de Puymartin(Château de Puymartin, 24200 Sarlat-la-Canéda)までは5分ほどで辿り着いた。閉城は18時だそうだ。
「此処は百年戦争初期に英国人によって建造されました。当初から監視防衛用を意図していたので、この形になったのだと思われます」ドライバーが言った。
「シャトー・ピュイマルタンと呼ばれるようになったのは、1534年宗教戦争時代にサルラを支配したピュイマルタン大尉が此処を拠点としていたからです」
駐車場にクルマを置くと、今回はドライバーがガイドをしてくれた。門を入ると中庭に出た。
城は1400年代に完成してるのですが、ピュイマルタン大尉の手に落ちてからは彼が拡充を図っていますので、二重構造になっています」
室内に入ると、大きな空間に旧い家具が展示されていた。大きなタペストリーがひときわ目立った。
「タペストリーは、寒暖の差が大きい石造りの城には必須です。エアコンの機能を果たします」
螺旋階段を上る塔には、幾つもの外を向いた銃架用窓が並んでいた。ステンシル塗装の梁。大きな続くパネル張りの棚が並んでいた。
「これらの殆どが17世紀の頃に作られたものだそうです」
「競売で売られた後も破壊されなかったのね」嫁さんが言った。

駆け足だったが一時間ほどで見て歩いた後、駐車場へ戻った。そしてそのままD47をサルラに向かって走った。
「D47はカウフマン大佐通りRue de Colonel Kauffmannと呼ばれています。Édouard Charles Aimé Kauffmann氏はレジスタンスの英雄でした。もともとはパリ出身でしたがドルドーニュのレジスタンスに任命されてナチスと壮絶な戦いをした人でした。彼の功績を讃えて1947年からD47はカウフマン大佐通りRue de Colonel Kauffmannと呼ばれるようになっています。残念ながら終戦直前にナチスによって逮捕され1944年11月28日にライブルク・イム・ブライスガウ刑務所で処刑されています。・・実はですね、サルラがナチスから解放されたのは1944年の8月でした」
「サルラの開放を見ることができなかったんですね」僕が言うとドライバーは頷いた。
「サルラは1939年9月1日に召集が始まっています。私の祖父は20を過ぎたばかりでしたが、この招集に志願したそうです。祖父の死亡届が来たのは翌年春だったそうです。そのなくなった祖父のことと、町あげてのレジスタンス運動のことを父はよく語っていました。サルラは戦争が始まると、住民全員が連携して周辺の避難民を受け入れたそうです」
「戦争記念碑には参拝しました」僕が言うと、彼が驚嘆した。
「そうですか!観光客であそこを訪ねた方はほとんどいません。そうですか・・行かれましたか。あの碑には318名の名前が列挙されています。祖父の名前もあります」
「レジスタンスの雄でもあったアンドレ・マルローがサルラ・カネダを歴史保存地区に指名したのは、言外に大きな意味が有ると思います。我々は、あの町の遺産を守らなければなりません」ドライバーが呟くように言った

その夜、僕らはホテルの近くに有るレストランへ出た。
Restaurant Aux 3 Sens(15 Rue Fénelon, 24200 Sarlat-la-Canéda)
https://www.facebook.com/Aux3Sens.r/

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました