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石油の話#09/熾烈なマーケット争い

大地から染み出る黒い液を精錬し、これを灯油として販売するという方法はアメリカで始まったものだ(バクーの人々は違うという。我々の方が200年早いと)。そしてそれ用の専用ランプを開発したのもアメリカだった。その急速に育ったアメリカ国内マーケットを、スタンダードオイル/ロックフェラーがお家芸である協定裏切り、賄賂、産業スパイ、価格戦争、ゴシップと誹謗中傷でほぼ独占したのが1870年代1880年代の米石油業界だった。もちろんロックフェラーはそのまま販路を欧州/英国に広げた。石油を使用したランプは圧倒的な販売力を持っていたのである。

その二匹目のドジョウを狙ったのがノーベル兄弟だった。そしてすぐさま現れた三匹目のドジョウ狙いがロスチャイルドがBNITOである。欧州マーケットはあっという間に彼らよって蚕食されていった。

実は、スタンダードオイルが提供するオハイオオイルは、バクーのそれに比べて硫黄分が多く、遙かに低品質だったのだ。消費者はバクーで生産される灯油を選んだ。対抗策としてスタンダードオイル/ロックフェラーは価格を下げた。価格競争をしても潰れないほどの巨大なマーケットを同社は保持していたのである。
ここでもまた、スタンダードオイル/ロックフェラーはお家芸の協定と裏切り、賄賂、産業スパイ、価格戦争、ゴシップと誹謗中傷を仕掛けたのである。

ロスチャイルドBNITOは、そんなカウボーイビジネスに巻き込まれるつもりはなかった。すぐさま英国の貿易商マーカス・サミュエルMarcus Samuelと独占販売契約を締結した。マーカス・サミュエルはアジアンマーケットを見つめていた。彼が「シェル運輸貿易会社Shell Transport and Trading Company」を立ち上げたのが1897年である。

こうして、第一次世界大戦がはじまるまでシェル石油、、ノーベル兄弟のBranobelそしてロックフェラーのスタンダードオイルの三つ巴の熾烈な戦いが続いたのである。

ちなみに、ノーベル兄弟のBranobelだが・・
1920年4月28日、赤軍がアゼルバイジャンへ侵攻した。アゼルバイジャンに有った同社の設備は全て赤軍に接収されて国有化されてしまった。ノーベル兄弟はBranobelの株半分をロックフェラーに売却し、石油ビジネスからの撤退をしている。19世紀には世界一だったBranobelはこうして消えた。

さて。アジアンマーケットに石油マーケットが開くと、もう一つの新興勢力が現れた。「ロイヤル・ダッチRoyal Dutch Petroleum」である。同社はオランダ領だった東インド(現インドネシア)で生産される原油を利用して、これをパンカラン・ブランダンにあった製油所で精製する企業だった。1892年より東南アジア向けに輸出を開始し、数年でアジアンマーケットの半分以上を押さえる巨大企業に成長した。(ちなみに日本軍南進論者たちは、この石油を狙った)

・・危機を感じたのはシェルであり英国である。当時東南アジアはオランダ領と英国領が交差していた。石油の価格競争による反目を危惧した。いわゆる「英蘭協定British-Dutch Agreement」を両社間で締結した。

これを発展させる形でロイヤル・ダッチとシェルの一本化が行われたのが1907年。ロイヤルダッチシェルが生まれている。
・・実は、その持ち株配分だがシェルが60%、ロイヤルダッチが40%だった。この意味は深い。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました