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小説特殊慰安施設協会#32/泰明小学校

東京宝塚劇場は1944年3月に日本軍へ接収、落下傘工場として利用された。工員はこの劇場に出演していた踊り子たちだった。このビルで風船爆弾が作られたことを語る者は少ない。

1945年、8月15日。同ビルのなし崩し的な返還を受けると、東宝本社は8月27日に劇場早期再開を決意し、9月18日に終戦後最初の演目をかけると決定した。演目は「東宝芸能祭り」である。 大道具、小道具、楽隊、舞台装置もママならない。しかし、やる!と本社は決意したのである。

出演者はつい先月まで落下傘を作っていた女子たちである。演目は通しモノの芝居ではない。色々な演芸を集めたもので良い。本社はそう決めた。幾つもの出し物をタペストリーのように紡ごう。そうして焼け跡に最初の希望の灯火を立てよう・・と。
その出演者の何人かが、終戦前から小美世の弟子だった。彼女たちは出演が決まると喜び勇んで小美世に報告にきた。そのとき「総支配人が、結城さんが、小美世さんに届けてくれって」と言って招待状を持ってきたのである。小美世と結城雄二郎は旧知の仲だった。
「着物よ。二人揃って結城の小紋で出かけるのよ。結城さんのご招待だからね。」小美世が言った。
その小美世のはしゃぎぶりに、千鶴子は思わず微笑んでしまった。
「ゲンちゃんは?」
「あんなのぁどうでも良いのよ。アンペラ巻いて屋根の上に晒しときゃいいのよ。」
ところが9月23日の日曜日は朝からの雨になってしまった。前日の夜、千鶴子は寮に戻らずゲンと共に小美世の家に帰ったのだが、その頃から既に雨含みだった。
「オフクロ、ぶうたれるぜ。」歩きながらゲンは笑いながら言った。
たしかに小美世の怒りぶりは凄かった。
「あたしゃね、ずいぶん雷様の面倒は見たつもりだよ。浅草に行きゃ必ず手を合わしてたしね、燃えちゃったけど。」
「オフクロ、あれは雷さんじゃねぇぜ。お不動さんだぜ。」
「雷様もお不動様も親戚みたいなもんだよ。こんな大事な日に雨降らすから、バチ当たって燃えちまったんだ。」
「バチの先払いかよ。」ゲンが言った。
それでも結城の着物で出かけると決めたことを曲げるつもりはないようだ。遅い朝餉の後、2階で千鶴子の髪をまとめ、着付けをしているうちに、小美世はすっかりご機嫌を取り戻した。
「いいねぇ、チヅちゃん。艶やかだねぇ。うれしいねぇ。女の子はいいねぇ。今日は二人揃いで結城だからね、雨傘は朱塗りの初物を差して行こうねえ。絵になるよ。大向こうが黙っちゃ居ないよ。ってわやぁ!って声かかわるわよ。」小美世の口ぶりが華やなだった。そして千鶴子の髪を結いながら「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花ぁ♪♪」と口ずさんだ。

すっかり支度ができると、ゲートル国民服姿のゲンを伴って小美世と千鶴子は街へ出た。雨脚は強いままだった。三人は急ぎ足で、昭和通りを渡り松屋の横を通って外堀通りへ出た。瓦解した家屋を雨が無情に叩き付けていた。人通りは少なかった。
「これだけ強い雨だもンね、さすがに露天は出ないから、人影が少ないわね。ほんとに劇場は大盛況なのかねぇ。」小美世が言った。
「雨だかンな。今日は空いてるかもれないな。」ゲンが応えた。

外堀川沿いに数寄屋橋まで歩いて、渡らずにそのままみゆき通りまで出た。そして泰明小学校の横を右に曲がった。
泰明は、その年の1月に3発の直撃弾を食らっている。その上、5月の銀座地区一斉空爆で延焼。建物は半壊していた。
「子供たちは、無事だったのかねぇ。」半壊する校舎の前に立ち止まって、小美世が言った。
「1月の空爆は土曜日の午後だったからな。生徒たちの犠牲は出なかったらしいよ。でも当直に出ていた先生は亡くなったらしい。」ゲンが言った。ゲンの遊び仲間は泰明の卒業生が多くいた。泰明は銀座で小商いをする家の子供たちの小学校だったのだ。
「これだけ燃えたからな。授業は銀座教会を借りてやってるらしいぜ。」とゲン。
「そうかい・・子供たちに禍が無かったのは良かったけど、当直の先生がねぇ。」

その日。1945年1月27日。銀座を空爆したB29の編隊は、中島飛行機を爆撃する予定でサイパンを飛び立った連中だった。しかし曇りで、飛行場が視認できなかった為に攻撃を諦め、帰還する途中で爆弾を銀座の空へばら撒いたのだ。その中の3つ250kg弾が泰明を直撃した。そしてその爆撃で6人の女教師が亡くなった。しかしなぜ、女教師ばかりが6人も亡くなったのか? 実はその日、学校の近所にある銭湯へ皆で行くために午後から職員室に集合していたのである。
当時、銭湯は時間制で男女入れ替えで営業していた。女性の時間帯は昼間で、その時間は授業がある。先生たちはとても困っていた。見かねた銭湯の主人(泰明卒業生)が、彼女たちのために営業前に浴場を開放してくれていたのだ。そしてその日、土曜日の午後。先生たちは銭湯へ行くために職員室へ集まっていたのである。

泰明を直撃した250kg弾3発は、ひとつが建物を突き抜けて爆発。ひとつは校庭に刺さって不発。もうひとつは職員室前の花壇へ落ちた。その爆風は悪魔のように職員室の窓を砕き飛ばし、そのとき、たまたま卒業アルバム製作のために窓の傍の棚に積んで置いた写真乾板を爆風で粉々に砕き、その破片が職員室を襲った。先生たちに遺体には、そのガラス片が肉深く無数に刺さっていたという。

もちろん、そんな仔細を3人が知る由もない。それどころか当時の新聞記事は、この事件について「防空壕へすぐさま逃げなかったため」と批判的な口調で報道している。
 雨の中、校庭入り口のところに立てられた濡れそぼう「不発弾あり立ち入り禁止」の看板を黙って見つめていた小美世が「ちょっとお持ち」と傘をゲンに渡すと、しゃがむと校庭に向かって合掌した。そして呟くように言った。
「おつかれさまでした。これからも子供たちを見守ってあげてくださいね。千代に・・守ってあげてくださいね。」
 ゲンも千鶴子も、並んで暫し合掌した。
辛かったろう。苦しかったろう。無念だったろう。無数の、それこそ数え切れないほどの無辜な人々の死を、千鶴子は思った。そしてその中に慕しい父母もあることを思った。そのとき、父が言った言葉を、千鶴子はふと思い出した。
「死後の世界があるのかどうは、私にはわからない。しかしもし有るならば、私は必ず千鶴子に寄り添っててお前を守り続けるよ。もし神様がいて、死後の世界があるならば、そのくらいの力は神様が授けてくださるだろう。」
千鶴子は小美世の「子供たちを見守って」の言葉が、切々と身に滲みた。千鶴子も雨の中で合掌しながら「ありがとう」と小さく呟いた。 

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました