見出し画像

サルラ・カネダ07/サンテミリオン村歩き#44

https://www.youtube.com/watch?v=07D514SjQWI

D704をしばらく走ると、左へ向かうポン・ド・カンパニャック通りRte du Pont de Campagnacへ入った。そして少し走ると、さらに狭いシャトー・ド・カンパニャック通りRte du Château de Campagnacへ入った。幾つかの集落を抜けながら道はゆっくりな登り道になった。しばらく走ると、舗装はされているが林道になった。少し行くと小高い丘へ出た。
「もう少し先がシャトー・ド・カンパニャック城です」ドライバーが言った。
「あ・あそこね」嫁さんが言った。
しすし入口はロープが張ってある。
「今は、こちらじゃないところが入口です」ドライバーが言った。
道は左側に城を見ながら一周した。城の横に有る広場へ繋がる車道が今の正面になっているらしい。
「着きました」
僕らはクルマを降りた。
「カンパニャック城は13世紀ごろ建てられたと言われています。プラモン家famille Plamonの城です。百年戦争の頃には英国軍の手に墜ちてサルラを攻撃する部隊の駐屯地になっていました」先導してくれたドライバーが言った。
「ここがカンパニャック城と呼ばれるようになったのは、プラモン家からカンパニャック家へ引き継がれたからです。しかしフランス革命のとき、城はサルラのブルジョア・レコルド家famille Recordが買い取りました。そして1830年にピエール スタニスラス アレクサンドル ド ダンピエール男爵に転売され、その後1891年にルイ・ワトリン夫人だったガブリエル・ヴィクトワール・ヴァン・マルケ・ド・ルメンが買いとっています。今は市の管理下に入っています。1980年に、当時市長だったジャン=ジャック・ド・ペレッティの指示でした」
「中には入れないんですか?」家内が聞いた。
「残念ながら立ち入り禁止のままです」
「そうですか・・」
僕らは広場から建物を見ただけで、立ち去った。

「実は、コマルく城に向かう途中にグレズリーGrezelieというフォアグラの農家が有ります。フォアグラ以外にも色々な農製品を扱っています。もしよろしければご案内いたしますが」ドライバーが言った。
お願いすると、彼は快諾しクルマをそのままシャトー・ド・カンパニャック通りRte du Château de Campagnacを反対側へ走った。そして少し走ると左にあった未舗装の道へ入った。
「Chemin de la Combeです。これを入ります。近道します。申し訳ありません。この辺りはまだ中世のままなんです」
しばらく未舗装が続いた後、ムート通りChem de la Moutheへ入った。ようやく舗装道路になった。
「びっくり大冒険!というドライブね」嫁さんが言った。
ラ・フェルム・ド・ラ・グレズリーLa Ferme de la Grezelie(La Grézellie, 24620 Marquay)は想像していたより大きかった。
https://www.facebook.com/p/Ferme-de-la-grezelie-100041264696574/

予約なしでの訪問だったが、こころよく受け入れていただけた。素晴らしい農家だった。

再度クルマに乘ると、またしばらく半未舗装の道を走った。20分くらいだろうか。マルケ通りからコマルク通りに入った。
「コマルク城は、1100年代にサルラの聖サセルドス教会が建立しました。最初は修道院だったのです。ベナック家の手に墜ちたのは1300年代に入ってからです。コマルク城は、ペリグーからカオールへの道、そしてブリーヴ・ラ・ガイヤルドからベルジュラックの道が交差する場所に有ったからだと言われます。フランス革命が起きるまで、ここはべネック家の城だったの出す。革命後、競売に掛けられたのですが買い手がつかずに放置され続けました。いまはユベルト・コマルク伯爵Hubert de Commarqueの所有になっています。1972年です。以後、ここはコマルク城と呼ばれるようになってます。
さて・・駐車場は3つあります。停車は城の前にしますが、駐車はP1です。城に近いほうはハンディキャップのあるかた専用なんです。そしてP2は観光バスせんようでして、お待ちするのはこちらP3になります。見学が終わりましたらお電話ください。入口までお迎えに向かいます」ドライバーが言った。
僕らはクルマを降りて、ふたりでChâteau de Commarqueに入った。敷地は大きくて迷うほどだった。レセプションを訪ねると、90分のツアーを見つけたのでこれに参加した。



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました