機会はいずれ来るよね、みたいな話

中野が嫌いです。
土地が悪いのではなくて、私が勝手に植えてきた思い出とは呼び難いトラウマや後悔があるから。

何年も前のことですが、何度考えても自分が悪かったなあと思ってしまう期間を一緒に過ごした人と、最後に会って話したのが中野でした。
相手の顔色も中野の景色もうまく見れないまま終わったもんだから、曇天ではなかったはずなのに思い出の中野の空は宇宙が落ちてきたような暗さで。

出来事から立ち直ろうにもなかなかうまくいきませんでした。雲が切れない日を何年も暮らして、記憶の晴れ間に恵まれずに中野を嫌いなまま過ごすのかと思うと、自分のリカバリーのできなさにほとほと弱るばかり。相手のFacebookのアイコンが今も私の撮った写真のままで、もし違う世界線・時間軸だったなら中野を嫌いにならなかったのかなと思ってみたりね。

それでもここ2年くらいは、前回のnoteでも少し触れた通り、いい美容師さんに出会えたことや会い行く大事な人がいることで自分の形その他に昔よりは納得が出来ていて。

もし今Facebookのアイコンで何年もパンケーキ食べてるその人と顔を合わせることがあったとしたら、その場所が中野であったとしても再び悪い思い出を植えずに済むような、少しだけれど自信に近い感覚があります。もう中野は悪くない。

ここまで思うのに出来事から何年もかかってしまったけど、自分の中に落とし所をつくることが出来たことは当時の後悔とかトラウマと決別できる機会を自分で生み出すまで死なずに生きてきた成果なんじゃないかな、と褒めたい気持ちです。無論、当時と双方の信仰が違うから再燃することはないけれど。元気でやっててください。Radiohead教えてくれてありがとうね。

トラウマを掘り起こして不安に襲われる、責め苦みたいなものはあるけれど、培ってきたものをどれだけ肯定してあげられるか、だと思います。
8.9 yumehitoimanari  instalive より抜粋

8.13 GanPro 後楽園大会は今成夢人さんの王座防衛戦です。

ビジュ良すぎ大賞

私の比にしちゃいけないほど、向き合っている出来事の質量が違いますし、重ねたコツコツの量や種類も計り知れません。この日を乗り越えてほしいなんて言えないけれど、私が小さく願って良いならばどうか、誰も後楽園を嫌いにならない日でありますように。


ゆめぴが防衛するんじゃい〜〜(本質)

私がニコニコで暮らせます。