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【7/14】名古屋まつり郷土英傑行列コースを毎日歩く 左のエース 高橋一三

7月14日のウォーキングコース
名古屋駅ミッドランドスクウェア前(7:15)~笹島交差点~納屋橋~伏見~栄交差点~大津通南下~若宮大通(7:53) 

 今日は久々のお休みで朝の9時から出かける用事があったのでまた早朝からウォーキングに出かけました。日曜日の朝早くなので広小路通りにほとんど人がいません。終わってからもちょっと時間があったので久々に快活CLUBでコーヒーブレイク。

アイスコーヒーとソフトクリーム

 昔の野球映像をカラー化してUPしてくれる「nandemo」というUP主が、堀内投手と並んで僕の好きな高橋一三投手を取り上げてくれました。この人は堀内さんの陰に隠れがちですが、20勝も2回してるし、もっと評価されていいとも思います。

Ⅴ9巨人 左のエース 高橋一三 読売ジャイアンツ 他

 「若い頃はセ・リーグにおいて江夏豊投手らと並ぶ速球派として知られ1970年代前半に特殊な装置を指に着けて高橋一三投手のストレートを測定したところ156.46kmを記録した。」と記事欄に書かれてました。コメント欄では「そんなはずはない」「江夏の方が速かった」なんて反論もありましたが、昔読んだブルーバックス(講談社)の『野球の科学』(松井秀治)にも同様のことが書かれてて、ある時期の公式記録として残ってるのは確かなんですね。

後ろはグラサンかけた藤田コーチ(のちの監督)ですね

 ライバルであり仲間でもあった堀内投手は「オレよりカズミさんの方が速かったけどコントロールはオレの方が良かったね」と語ってるように、ある時期は速球派だったことは間違いないでしょう。

 以前にも書きましたが、高橋一三投手は昭和48年、V9最後の年のレギュラーシーズンにエースとして活躍して23勝した時がすごく印象に残ってます。でもその次の年はなんと2勝しかできなかった(!)というのも思い出されます(苦笑)。優勝決定の瞬間も阪神のカークランドを空振り三振に打ち取って優勝決定、だけど阪神ファンがグラウンドになだれ込んできたので胴上げができずダッグアウトまで走って逃げてるのも(笑)

 それにしても、youtube動画では、優勝決定の瞬間にいつも高橋一三投手がマウンドにいる、というのがすごいですね。本で読んだのですが、高橋一三投手曰く「あと1勝で優勝に王手という試合はだいたい堀内が投げる。そして最後の試合に僕が出ていくわけです。だから胴上げ投手はたいてい僕でしたね。」これは海老沢泰久氏の『みんなジャイアンツを愛していた』に書かれてました。

『ただ栄光のために:堀内恒夫物語』もこの方です

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