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【10/17】名古屋まつり郷土英傑行列コースを毎日歩く 谷沢健一

10月17日分のウォーキングコース
若宮大通(18:10)~大津通北上~栄交差点~伏見~納屋橋~笹島交差点~名古屋駅ミッドランドスクウェア前(18:52)

 最近、昔のプロ野球のことばかり書いてますが、最後にもう一つ。
元中日ドラゴンズの谷沢健一選手、評論家として今もテレビ(スカパー)でおなじみです。いつもにこやかで怒ることなんてめったにない、優しい感じの方です。「団塊の世代」だからか、同級生には堀内、平松、江本、福本、鈴木啓志他すごい選手ばかりですが、実績では引けを取りません。
実は、子供の頃は谷沢選手のファンでした。
 昔は男の子はたいてい「野球帽」を買ってもらって被ってましたね。地元のチームはドラゴンズなので、どうしてもドラゴンズの帽子をかぶることになりました。そもそも、巨人とか阪神の帽子は売ってませんでした(ただし、近鉄の帽子だけは「近鉄百貨店」で売ってましたが)。
 当時は、帽子に背番号も印刷されてて、好きな背番号を選ぶことができたんです。僕は『14』でした。そう、昔の谷沢選手の番号です。もともと14は板東英二氏がつけてた、どちらかというとピッチャーの番号でしたが、14の頃の谷沢選手は若くてカッコ良かったですね。『燃えよドラゴンズ』の「5番谷沢がクリーンヒット♪」ですよ

 この動画では、背番号を14から41に変えた経緯について語ってて興味深かったです。

【中日ドラゴンズ】谷沢健一背番号物語


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