患うこと

私は33年間の過去の記憶が一切ない、ほとんどではなく、一切といっても過言ではない。それはたぶん、病気の一種だと思っている。

私はよく恵まれているねといわれるが、実際ははそうでもない。12年間を表すと、転落していってしまった人生という感じである。

なんというか、今に始まったわけではなく私は大学の時に、うつ病を発症した。大学をやめたときにうつ病になったときは世界が真っ暗にみえた。そのときのショックは表せなかった。それから約12年間ほどずっと病気だったのでどうにかなおそうとした。

実は13年ほどずっと、精神科に通院していた。今現在も通っている。ときには父や母にもついていってもらうことがあった。そこではパキシルという怖い精神薬を実は飲んでいるときもあった。それを飲み続けているとなぜかだんだん怒りが増えていくのだ。

もちろん、人生で苦しいことが大半を占めていたわけでもない。だけど私もみんなと同じにつらい経験をしていると誰かに少し理解してほしかった。

12年間、体が重くて、なんども希望を失ってきては動けなくなってしまうことが沢山あった、希望を探していた。12年間つらかったけれど去年が一番つらかった。

そこで、一番辛かった去年の話をしようと思う。私は一昨年の11月から統合失調症を発症している。そのときの辛さは言葉で表せない。頭がフル回転してしまい、とても重い統合失調症の薬を今もまだずっと飲んでいる。

なんというか、脳に疾患がある感じがするのだ、思考が欠けているというか、みている景色も歪んでかけている感じがするのだ。あと、世間の人たちが、自分に視線を送っているように感じたりもした。あと、凶悪な悪夢を毎日見ていたし、常に焦りがあり、せっかちさが目立った。病院に行った後に、薬局屋さんで、待機しているときに不幸そうにみえたのだろうか、宗教に勧誘されたこともあった。

統合失調症になると、頭がまわりすぎているので、当然なにもできず確か半年くらい寝たきりになり、いつも天井を見上げながら「死ぬ」と思っていた。何も感じない。景色を美しいと思うことも、食べ物がおいしいということも感じなかった。

そして、薬を飲み始めるとみるみる太っていった。母が変わり果てた私のことをみて悲しんでいた。

ちょうど、治りかけの時に、江戸博物館に就職した。そのときには、常に「死にたい」という言葉が充満していて、仕事にならなかった。正直さぼってしまっていた。その時にスタッフの人に言われた言葉が胸に刺さる。「あなたは接客に向いていない、ものつくりが向いている。」「私の息子も、ADHDで、顔に表情がない」などとぶつけられた。つまり私はADHDだから通常の仕事ができないという理由を仕事中に、10分くらい語られた。私は、無表情なのだろうか。その職場は、女性ばかりで、常に結婚の話ばかりみんなしていて、とても話しずらい職場だったのを覚えている。

日増しに、将来のことを考えると一人でどうなってしまうのだろうと悩み、こころが病んでいってしまっていた。確か、母に、人生が地獄だというメールを毎日送っていた。実はここで語っているのは表面的なことで、叫んでしまっていたことも実はある。

少し吐き出したので楽になった。まだ人生のほんの少しの内容だけれど、巣救われたかったのかもしれない。読んでくれてありがとう。

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