フジファブリックと僕のこと

2024.07.10.WED

ロックバンド「フジファブリック」の初めのボーカル、志村正彦がこの世に生まれ落ちた日。

生きていたら44歳なんですね。

もうとっくに若者ではなくなって、それでもいつかの若者が創った曲はたくさんの若者に届いてる。

音楽の教科書に載ったし
素晴らしい女性ボーカリストにカバーされて映画の主題歌にもなったし
今日この日にドルビーアトモスなる高音質で、また新たなリボンが掛けられたんだ。
素敵だ。

もちろんこの曲があなたのすべてではないことは、痛いほどにわたしは知ってはいる。
けれども、それでも、おめでとう。
永遠に愛を。

少しだけ、こちらの世界の話をしてもいいですか?



一週間前の、夕方18時。
職場にて仕事がひと段落し、皆で帰る支度をしている時にその文面がちらと見えた。

「フジファブリックからの大切なお知らせ」

息が止まる。

ひとりになれる環境をつくって、震える手でそのお知らせの文章を読む。

最初に思ったことはやっぱり、「誰ひとりとして命の火が絶えていないこと」、それで、それだけで、何よりも胸を撫で下ろした。

それが、それだけが。
ひとりのファンとしてこれ以上何も望まないよ。

そんなこと言いながらの、この一週間。
スーパーで買い物しながら。
帰り道の自販機でコーラを買いながら。
暗い部屋でひとりパソコンの画面に向かいながら。

その全ての場面で耳に注ぎ込んでたあなた方の音楽にポロポロと、
成人男性にも関わらずどうしようもなくなって零れてしまって参ってしまっていたけれど。

極めつけは今日の山内さんの演奏ね。
あれはずるいよ。本当にずるいよね。

それでも、今日頭の中をずっと流れていた最新曲「Portrait」の冒頭の歌詞が全てだなぁと気づいた。
悲しい思いはそれなりでいい、笑い合う声を聞く方が良い。

なぜなら彼らはロックバンドだから。
わたしは一つのロックバンドを愛したから。
命を燃やして生きるだけ。
その火を灰を、愛すだけ。

そして彼らはどこまでも、僕らの光だった。



音楽を作ることは、花束をこしらえるような作業なのだと、自分で音楽を作るようになって気づいた。

それは自分のための花束なのか?
届ける相手のための花束なのか?
もう居ない人への餞であるのか?

どうあれ、その花の束は、いつか枯れてしまう。
でも、そこにあった、その行為に込めた想いは、
永遠に消えることはない。

花や鳥や風や月や

春も夏も秋も冬も

音楽という小瓶にそれらを詰め込んで生きること。
その行為に人生を捧げたいと思えたのは紛れもなく、フジファブリックのお陰。

心から感謝を。
心から敬意を。
あなた方のお陰で、永遠に触れることのできなかったであろう花に何度も出逢えた。

音楽は花束。
音楽は松明。
命という火を、3人でずっと燃やして、1人の花束も抱えて、そうやってずっと走って来てくれてありがとう。

雨上がりのグラウンドを。
上空で光る星めがけた滑走路を。
誰にも想像のつかないぬかるみの中を走り続けてきてくれた人たちに愛を。祈りを。



それでも何度でも、死ぬまで言います。

僕の夢は、フジファブリックと対バンをして、そのアンコールで茜色の夕日を歌うことです。

まだ過去形ではなしに書かせて下さい。

僕の夢は、フジファブリックのようなバンドをつくること。

僕の夢は、フジファブリックのように命が尽きても遺り続ける音楽をつくること。

いつだって、いつまで経ったって、その想いを忘れることはない。



出会いはいつだったかな。
少しだけ思い出してみる。

あれは中学2年生。
友達がその当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのサカナクションの音楽を教えてくれて、その弾みで色々な日本の音楽と、主にロックバンドと、たくさん出会う。

突き抜ける青空のように、明るい音楽があった。
自分を見つめ続けるような、暗い音楽があった。

どういう生き方したらこんな曲が生まれるのか理解に苦しむような、個性的な変態的な音楽があった。
どういう生き方したらこんな気持ちを他人に伝えられるのだろうと、心が揺すぶられる音楽があった。

音楽の中に、街があった。
音楽の中に、素敵な女の子がいた。
音楽の中に、うだつの上がらない男の子がいた。
音楽の中に、物語があった、四季がめぐってた。

そのすべてが詰まっていた音楽は、フジファブリックだけだった。



初めて聴いた曲は「若者のすべて」だった。

初めて聴いた音楽にこんなことを思ったのは、それが最初だった。

「初めて聴いたのに、なんだかずっと昔に聴いたことがあるような気がする」

そんな風なことを感じた曲は、後にも先にもない。

この曲への想いは、一生果てることはない。
たぶん来世で出逢っても同じ気持ちを抱く。

マッチ売りの少女がマッチを擦るかのように始まり出す、走馬灯が駆け出すかのようなイントロ。

いつ聴いても優しいあなたの声。
淡々と刻むアコギ。
祈りを纏うように粛々としたエレキ。
穏やかに道を進む足取りのようなベース。
遠くからさざめき聴こえる歓声のようなピアノ。
美しいものを眺めている時の鼓動のようなドラム。

そして

どんな映画よりも美しい歌詞。
なぜこんなにも誰かを強く思う曲であるのにも関わらず、「二人称が一度も登場しない」のはどうして?
歌をつくっては言葉を綴る身としては、どうしても畏怖の念を抱かざるをえない、この曲には。

何度だって僕は若者になる。
何度だって会えなくなったあの子に会いに行く。
何年経っても僕はあの街にまた足を踏み入れてしまう。
何年経っても僕はあの子のことを思い出す。

あの夜のことを。
天神祭の花火を並んで見上げた後に、夜ご飯のお店はぜんぜん空いていなくて、お酒も飲めない年齢で、なんだか適当なものを食べてしまった後悔。
大雨の降る京都で、帰りたくなくなって一緒に銭湯に向かってそれなのにまたずぶ濡れになりながら、笑いながら、カラオケへと手を繋いで走った熱。
比喩ではなく星の降る夜の浜辺で、寝転んでずっと夜空を眺めてたこと、波の音が怖いくらいうるさかったこと、近所の犬の散歩中のおじさんを脅かしてしまって悪いなぁと思ったこと。

自分の世界から居なくなってしまったあの子のことを。
この曲を世界でいちばん大切に聴けるのは僕だと、思い上がったことを言わせてください。



そして、人生を変えられる。
「茜色の夕日」を観てしまう。

聴いた、からじゃなくて観たから。
もはやどのライブか、言わずとも。

当時のボーカルギター志村正彦の地元・富士吉田での最初で最後の凱旋ライブ。
2008年5月31日、「TEENAGER FANCLUB TOUR」追加公演アンコール1曲目。

たぶん、人生で二番目に多く観たライブ映像。
(人生で一番観たのは両国国技館の虹なので…)

曲の前のMCで、その凱旋公演までの道のりを回想する。
すん、とした表情で歌を歌い出す。
やがて、こらえなくなって溢れる。
それでも、声のない声にコーラスは乗る。
しかもまず、歌詞も間違えておりますよ。
そんな枯れた声も何もかもを飛び越えてゆく想いがそこにはあって、その想いは時代を飛び越えて僕の目に耳に飛び込んできた。

この映像を観ていなかったら。
音楽家になりたいなんて思わなかっただろう。
今頃もっと、のほほんと生きてたことだろう。

この人の涙に人生を変えられた。
(思えばいま思い返すと他にも後にも、音楽を聴きながら涙を流す・流されることで、人生が変わった瞬間は幾度となく来たなぁ、すべて忘れることはできないな)

自分の音楽で自分を救いたい。
自分の歩みで自分を讃えたい。
それが叶った瞬間を見てしまったから。
多分まだ僕はなにひとつ足りていない。

そして、もう辞めてしまいたいと想った時には
いつか本当に辞めてしまう時が来た時だって
この映像を見返しては、同じように泣く。

あの日の僕と同じように。
あの日のあなたと同じように。



それからの日々を、あなたたちの音楽と過ごしたよ。

初めてあなたたちを直接見ることが叶ったのは、2015年の年の瀬の大阪のロックフェス、「RADIO CRAZY」で。あの頃はまだ高校1年生で。

夜明けのBEAT

LIFE
Green Bird
銀河
STAR

という今考えると最強のセットリストなんだけれども、まだ幼くて馬鹿だった僕は
「若者のすべて演奏してくれやんかった!!」
とプリプリしてしまった記憶。愚かだなぁ。

という訳でまだ足りない!!と思いつつも、
まだお金が無い学生でライブにも行けずに、
でも会場の傍まで自転車で行ったりして眺めてた。
注釈:フジファブリックとSuchmosの対バン

あとグッズだけはどうしても欲しくて、というかデザインがどストライクすぎてどうしうもなかったため、なけなしのお金をはたいて購入したりしてた。
注釈:三日月アドベンチャーというライブツアー

今思えば、高校時代のバンド仲間と、「ミカヅキグマ」というバンド名を決めたのはこのくらいの時期だったので、知らぬ間に暗示を掛けられているよね。アホ面した熊がぎっしり詰め込まれたトートバッグ、今も大事に使っております。
注釈:ちなみにバンド名の本当の由来は、高校の教室でバンド名を決める時に、「何かヒントになるものないかな〜」とあたりを眺め回して居る時に、当時好きだった子のリュックサックにツキノワグマが同じくぎっしり詰め込まれているのを見て、「ミカヅキグマっていうバンド名とかいいんじゃない!?」と発言して笑われたことがキッカケです。その子は、今じゃ売れっ子イラストレーターでもう僕のことは忘れて生きてるんだろうなぁと思うと吐血します。すみません横道に逸れました。。

という訳で次に観に行くのは2016年の初冬に東京は赤坂BLITZで行われた初のアコースティックライブ「FABRIC THEATER」となりまして。
まぁそりゃ行くでしょ。
だってアコースティックな優しい音色の一夜ってことでしょ?
ならもう絶対「若者のすべて」やるやん。

結果はやりませんでしたっ!!
阿呆なのか。
いやもう別にそれはもう良い。
そんなことは気にならないくらい、柔らかで幸せな夜だった。

あ、最初まさかのカップリング曲はじまりでビビったけど。
「ひまわりの約束」のカバーしてくれて「やった♡」と思ってたら後に別日のアンコールは、くるり「ワールズエンド・スーパーノヴァ」演奏してて泣いたけど。
まさかの「バウムクーヘン」「笑ってサヨナラ」で涙腺ダバダバになって。
最後の「透明」がすごく美しくて。

あとMCで山内さんの「みんなどっから来たのー?」の問いに大声で「大阪!!」と答えたら同郷ということで嬉しそうに拾ってもらったのが幸せだった。
そして学校終わりにダッシュで新幹線乗って東京に着き、ライブ終わってダッシュで夜行バスに乗って帰って次の日学校というハードスケジュールと東京の街の交通わからなすぎて泣きそうになったことも。



そんなこんなでその翌月2016年12月には、僕がファンになって初めてのアルバム「STAND!!」がリリースされる。
もちろん買いに行ったさ、タワレコまで。
たくさん聴いたさ、iPod nanoにぶち込んで。
聴いてて本当に気持ち良い曲が多い。プレリュード。
大好きなアルバム。たまに思い出して聴くthe lightが実は至高だったりする。

リリースツアーのZeppなんばも行ったものの、特筆しなければいけないのはこのツアーの追加公演。
2017年2月24日、今は亡き中野サンプラザ公演。
だってここは、志村正彦がデビュー前にバイトしてたコンビニの真ん前の場所。
だってここは、志村正彦が凱旋?公演を果たした記念すべきあの場所。
だってここは、志村正彦の告別式の場所。

迷う余地はなく、チケットを取る。
高校2年生のテスト最終日、またもや新幹線に飛び乗って東京に飛び込む。意外と金あるな、おい。
テスト期間だったということで今回は開演まで時間があった。

ならば向かう高円寺。
志村正彦の住んだ街。

おすすめしていた、中野のつけ麺屋さん「麺彩房」。
「茜色の夕日」のジャケットに使われた高円寺陸橋。
アルバイトしてた、ロサンゼルスクラブ東高円寺。
「赤黄色の金木犀」のポスターに記されてたサイン。

ロサンゼルスクラブを出た時の夕日が綺麗だったこ
と。
もしかしたらこの道を歩いてたのかもしれないと考えたこと。
もしかしたらこの道を歩きながら「茜色の夕日」を考えていたのかもしれないなぁと思ったこと。
そしてあなたは今は居ないこと、それでも僕は居ないあなたの曲を聴き続けてこんな遠くの街まで一人で来たこと。
いつか僕もあなたと同じようにもっと遠くの世界まで移動しないといけない日が来るかもしれないこと。
その時が来るまでに僕は、そんな何かを遺して去らなければいけないなぁと強く思って、路上でヘッドフォンしながらボロボロ泣いた。

そのまま会場に行って、肝心のライブ。
登場して泣く。
MCして泣く。
最後の曲泣く。
17才の男、一日に4回涙を流す。たぶん人生でこれを超える日はきっとないでしょう。

大半がツアーと似たセットリストだったのが、間のMCでのメンバーの紹介の最後に、「志村正彦!」と叫んで、なだれ込むように「TEENAGER」をプレイ。
あの能天気なまでにポップなイントロのシンセの音。
そして明るく照らし出される会場、ステージ、客席。
ひとりの居ない人を想って、こんなにも皆が一緒に叫んでいるのってなんだか信じられないなぁと思ってた。



フジファブリックとわたしはまだまだ続きます。
続きはそのうちに、書き足してゆきます。
取り急ぎ愛しい人へ花束を。
あなたのお陰で人生がめちゃくちゃです。
それでもあなたのお陰で歩く季節は美しいです。

心から愛を。
志村正彦へ。

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