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キャリアデザインという、大学にとって正面から向き合いたくないこと。

キャリアデザインといっても一言では表しきれない要素が入り乱れている。が、しかし、私が受けたキャリアデザインの授業は全て世間一般で言われる「就活講座」というようなものだ。全くキャリアについては話されることがない。

キャリアというのは、経歴であったり、人生設計の意味で最も使われるべきである。だが、毎週来る外部講師はリクナビ、マイナビ、キャリタスに、学情。どこも画一的で機械的な人事採用を支援する企業ばかりである。こんなところにキャリアを語られたくはない。全くお門違いも甚だしい。就活講座を受けようと思って履修したわけではない。キャリアに関するタイトルと謳い文句に誘われてきたのだ。いや、のこのこと踊らされた私に非があるのかも知れない。

元来、日本のような画一的で、人を数字と文字でしかみていない日本の人事採用業務を疎ましく思っていたが、その考えは間違いではなかったことが、確信となり、とても価値のある15週だったように思う。

私のキャリアデザインは、生涯に渡ってデザイン研究に勤しむことである。現代まで辿ってきた文化であり、ポップカルチャーでもあるデザインということに対して、現代のあり方とともに成長してきたビジネスやテクノロジーがどのような関係性に立って、時に人を豊かな暮らしに誘うものにするためにデザインを使い、時に経営戦略をもっともらしく議論するためのただのツールのようにデザインが使われてきたかを解き明かす必要があり、今後デザインが無駄遣いされないようにデザインの本当のことをしっかりと言語化し、伝えていく責任がこれからのデザイナーにはあるように思う。このことについて、生涯に渡って模索していき、実践を通して研究の道筋をつけることが私にとってのキャリアデザインである。


キャリア【career】

一般的には個人の長期にわたる職業的経歴(職歴)を意味する。しかしもう少し狭く限定して,こうした職業上の地位移動の特定の型を指すこともある。たとえばキャリア組とか,キャリア・ウーマンといった表現がそれに当たる。キャリア組という言葉はもっぱら役人,それも主として国家公務員の世界で用いられてきた。戦前でいえば文官高等試験(高文,現在の国家公務員上級試験)に合格した者で,他の職員に比べて早い速度でより高い地位に昇進することを約束されている人びとを指す。

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デザイン【design】

企画立案を含んだ設計あるいは意匠。「指示する,表示する」という意味を表すラテン語 designareから出た語。一般にそれぞれの分野を冠して,アーバン・デザイン (都市計画) ,建築デザイン,インテリア・デザイン,グラフィック・デザイン,工業デザイン,ファッション・デザインなどと呼ぶ場合が多い。イギリスにおける W.モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動,ドイツでのドイツ工作連盟,バウハウスなどの活動に代表される多くの近代デザイン運動が,近代工業の生産システムとデザイン造形との合理的な結びつきを可能にしたことによって初めて定着した。近代デザインでは,機能的,美的,経済的,技術的要因のそれぞれが最も効果的に構成されるとき,最も優れたデザインとなると考えられてきたが,その後現代社会を反映し,人間の情動的,環境的要因がより重視されるにいたった。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3-100877


キャリアデザイン【career-design】

「キャリアデザイン」とは、自分の職業人生を自らの手で主体的に構想・設計=デザインすることです。自分の経験やスキル、性格、ライフスタイルなどを考慮した上で、実際の労働市場の状況なども勘案しながら、仕事を通じて実現したい将来像やそれに近づくプロセスを明確にすることが、キャリアデザインの要諦です。

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そういえば、専修大学の上平教授がこのようなことをおっしゃっていた。

「当事者」をとらえるパースペクティブ(はじめに、より)

デザインに関わる人々が、どのような人間観を持つかは重要な問題である。人間観はどのようなデザインのアプローチを採るのかに直結しており、目指すデザインのあり方やその過程で立ち上がることの意味を決めていく。逆に言えば、どのような視点で世界を捉えるかの見方を変えないことには、そこで構成されていくデザインを大きく変化させるのは難しい。今日では、デザインの対象はますます複雑になり、それぞれの組織がめざすデザインへの向き合い方を検討することの重要性は増しつつある。

https://kmhr.hatenablog.com/entry/2018/09/12/100335

つまり、我々デザイナーは、どのような人間であるかの本質や人間らしさのバックボーンを見せながら、デザイン活動をしていくことが求められていて、それがあってこそ、それぞれの組織に入った時にデザインへの向き合い方がようやく検討できるのではないかと思う。

これとは逆に位置するのが、日本の伝統的で呪縛の多い就活と呼ばれるものである。就活では、まず社会人として画一的にキレイと言われる格好ができるかから始まり、その次に、社会人として恥ずべきことをしていないように振る舞う必要がある。それらの言葉を聞くたびに、こんな人間なんていないだろうと思うほど、没個性的な言葉が並んでいる。面接の想定問答集を読んだかのような、鸚鵡返しまたはロボットのように綺麗な言葉を捲し立てる。尚且つ、あなたの頑張ったことは何かとあざとくも個性的な質問をしてくる。それも、差し障りのない、聞いていて心地の良い言葉しか並べない上部だけのやり取りが繰り返される。

こんなことをしていて、いったい何の意味があるのだろうか。だが、現実問題我キャンパスにおいでになった就活ビジネスのプロ各社の皆様方は前述のようなことをしなさいと、口を揃えておっしゃる。

我々デザイナーの卵、いや、卵ではない人もいるかも知れないが、我々は果たしてそれらの言葉を鵜呑みにして良いのだろうか。私には、各社のプロの皆皆様方の言葉が、とても心地の悪いものに聞こえていた。

そもそも、このデザイン学部はデザインを本気で取り組んでいない。デザインという難しい分野に対して、工学という鎧を纏って授業を展開しているのだ。だから、このように工学的で画一的な就活講座が良しとされているのではないだろうか。

この15週を通して、私のキャリアがまた一つ増えたように感じる。人はなぜ画一的なものに頼り、依存しきり、安心してしまうのか。未知のものとの出会いはなぜリスクとして計算されるのか。もう一つ、なぜ人と人のやりとりをテクノロジーに頼り、本来のコミュニケーションの姿が失われつつあるのか。そこにデザインは良くも悪くも作用しているのではないかということを深く考えて知っていきたいと感じる。これが、本当のキャリアに対する接し方なのではないかとも思う。

そう思いながら、形式が重視される日本の就活と同じように、明朝体で数段に分けたレイアウトに従って、最終レポートを書き上げてみた。これぞ日本が伝統的に神話を築いてきた様式美の世界である。人間が作った様式美に、人間が囚われているのなら、笑っても救われない世界である。こんな世界が日本の就活戦線にはあることが、もはや時代錯誤なのかも知れない。だが、そう考えている私がこの時代に生まれてきたことが一番の時代錯誤であったのなら、今度私が救われない。これらのどちらでもないことを願っている。

好きな音楽を聴きなさい、そう先輩がおっしゃっていた。その通りにしよう。これは何にもなることの出来ないちっぽけな人間が、大人になってからでも夢を追うのは遅くないと語りかけてくれる1つの物語である。


アトラクトライト【Attract Light】

まだ青くて拙い 脆くて足りない
小さくて弱くて どうしようもない 僕だ

知りたかったんだ 成功と失敗 マルとバツの
境界線を引くとしたらどこだろう

それじゃあバツがマルになって 失敗を乗り越えたとしたら
それをなんと呼ぶんだい いつか名前をつけよう

夢は叶わない 願いは届かない
だから歩くのを止めてしまうのか
努力は報われない 誰も認めてくれない
だから走るのを止めてしまうのか
止まってしまうのか

辞めてしまいたい理由なら10も100も1000もあった
でもその全てがちっぽけに見える一つがあった
逃げ出すための言葉なら飽きるほど浮かんだ
でもそれを零さないだけの輝きがあった

知りたかったんだ明日と今日の
大人と子供の境界線を引くとしたらどこだろう

大人になったらあれに成りたいってみんな言うんだけれど
じゃあ何にもなれないんだろうか今日の僕は

三年前 誰かが夕空に投げた言い訳は

もう忘れた 必要のない言葉だ
いつか口ずさむ歌にでもしよう
道標なんてない誰も教えてくれない
だから足跡は交わったんだ 出会えたんだ

壊してしまいたい夜なら10も100も1000もあった
でもその全てを飛び越える羽を持っていたんだ
あの日始まった物語はどこに向かうんだろうか
明日からの僕に課す宿題が増えたみたいだ

横一列でスタートを切ったあの日の僕らはもういない
君の行く場所に 僕の行く場所に それぞれは必要ないから

いくつもの挫折を超えて いくつもの冬を超えて
花が開くように 青い宝石が輝くように
だって見つけたんだ 眩しくて仕方ないんだ
その光の正体は…

辞めてしまいたい理由なら10も100も1000もあった
でもその全てがちっぽけに見えたのはどうして
あの日始まった物語が向かう先で僕ら
見つけた光を照らし合わせて 答え合わせをしよう
思い思い描くたった一つの
青く光る一瞬の煌めきを

https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/40080.html

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