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むかし昔 ここ三河に

私は愛知県、いわゆる三河地方の生まれだ。
三河地方、主に豊田市を中心とする愛知県のいち地方。
有名なトヨタ自動車の本拠地、工場があるインダストリア。豊田市。
世界有数の工業地帯を包むような、豊かな自然を抱く山河、そして三河湾。三河は、豊穣と工業を擁する豊かで、美しい土地であると思う。
私は、少年時代にこの三河を出て、東京に出た。故郷を捨てたというか、故郷に捨てられた形だが、どちらも結果は同じだった。

高校卒業と同時に私は「物書きになりたい」というあやふや極まる願望だけを原動力に、生まれ故郷の三河を離れ、上京。しばらくは東京で石の下の虫のごとくジタバタしながら、生きぎたなくも齢を重ね、様々のバイト仕事を経験しながらいつの間にか――
アニメ業界の隅っこや、ゲーム業界をさまよって。気がつけば物書きに。
書けん物書きになって……今に、至る。至ってしまいました……。

私は、三河地方。戦国時代の三英傑に縁深い、歴史ある三河。そして東京とは真逆だったど田舎の農村で育って、半端な市街地で少年期を過ごし、そして上京した。
東京で様々の仕事をするうち、縁あって。私の人生で唯一、師匠と呼び崇める人に、A先生、に私は出会った。
私はA先生から、文章の書き方のノウハウ、作劇の基本、アニメや映画の鑑賞と評論法、いまこうしてお仕事させていただいている技術の土台のほとんどを教わった。
そのA先生は、私と同じ愛知県出身、そして三河の隣、尾張地方の武術家の家に生まれた快男児の先輩だった。先生から私は様々のことを教わり、そして――置いてきたはずの故郷、愛知県の話、尾張と三河の昔ばなしなど。様々のことを聞かされ、私も話し、お互いの情報を共有しあった。

そして今。縁あって、再び愛知県に出戻りした私は――
私の故郷。愛知県、三河地方。私の家、母と暮らして、そして病に冒された母を介護し、看病し、みとった場所。葬り、弔った土地。
格好つけて捨てたと思いこんでいた私の故郷は、半端者のまま戻った私をそのまま受け入れてくれて……今に至る。
郷土愛とか、そういうものとも少し違うと思う。
因縁、因果とでもいうべきか。
私は、やはり三河者なのだなと。戦国時代の昔、徳川家康公とともに進軍した三河武士たち、数百年の後のその端くれが。三河から江戸に出て、また三河に戻り。暮らす。
そんな三河すみっこ暮らしの中で、日々、いろんなことがあった話。
昔、A先生から聞いた話、人伝てに聞いた話。私が実際に見聞きした話。
いろんな「三河者みかわもん」の物語りが、私の脳髄の中には蓄積、沈殿している。秋の野池の仄暗い水の中に沈んでいる落ち葉のような、それらのお話し。とくに花もなく、歴史的価値も資料性もないお話しだが……。
昔話という名の化石となった、オカルトめいた話。
歴史の中の暴力装置である武術などの話。失笑ものの失敗談。
いろいろ、いろいろ。

おひまがあってお好きの方々は、どうぞ どうぞ 別に祟りはいたしません。


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