あなたの言葉はきっと彼女には届かない。

 
AM11:37、名古屋駅

 
 
今日は午前半休を頂き、子どもの学校行事に参加。行事は1時間ほどで終わり、子どもの頑張った姿を励みに午後の仕事も頑張ろうと思い、出勤までの時間を使って6月までに11件も入れてしまった立て込んだセミナーの構想を練るため、理学療法士の中年のおじさんは喫茶店でiPadを開いていた。

 

最大の敵、ゆーちゅーぶにも目もくれず、構想をポチポチiPadに打ち込み、iPadトランスに入りかけた。

  

その時、

 

隣のテーブルの、どこかで見たことのある、ゆるキャラを連想させる中年女性から声をかけられた。
 
 

 
「それってアイポッド?」と。
 
 
 
 
 
ちげーよ、おばっしぃぃぃぃ、

アイ"ポッド"じゃねーし、アイ"パッド"だしぃぃぃ

と、混雑した電車内でも、自分の家であろうかと思うくらいにマシンガントークしてしまう女子高生さながらのテンションで突っ込みを入れようとするデビル小松を、

 

「よーしよーし、よし、よし」ともう一人のコマごろうさんがなだめながら、

 

 
「そうですよ、アイパッドです」

 
 
 
 
といつも通り小松もこみちと言わんばかりの爽やかな笑顔で返した。

 
 
 
すると、

 
「それってゲームもできるのーーー?」

 
私はまた笑顔で
 
「インターネットでダウンロードすればできますよ★」

と答えた。

 

 

そしたら、禁断の質問が来た。

 
 
 
 
 
「インターネットってなにーーー?」

 
 
 
 
 
来た。説明に困るやつや。

 
 
 
 

 
好奇心旺盛な子どもが、

 

 
「赤ちゃんってどうやってできるの?」

 
 
 
と同レベルの業界タブー的なやつだ。

 
 
 
おばっしーは眼をキラキラさせている。
きっと目の前の中年のもこみち風の私が、答えをくれるだろうとゆう期待と、もしかしたらアバンチュールが待ってるかのようなキラキラ感だ。

 

 

さて、どうしたものか。

 

おばっしーに、

インターネット(英: Internet)とは、
インターネット・プロトコル技術を利用してコンピュータネットワーク間の相互接続を行うことにより実現されるネットワークのことである。

 
 

と、ウィキペディア先生の言葉を引用しても伝わらないだろう。

 

てか、説明にすら

インターネット・プロトコル技術を………

ってインターネットの意味が知りたいのに説明にインターネットって用語入れられても…

 

というまさかの事態。
どうした、ウィキペディア先生。
 
助けて、ドラえもん。

 

 

このような事態は、
リハビリやセミナー場面でも多く遭遇する。

患者さんやセミナー受講者は答えを知りたい。

どうしたら良くなるのか?

どうしたら患者さんを良くできるのか?

という答えを知りたがる。
 
 
それは当然のことだと思う。

 
 

 
しかし、そんなもんない。

 
 

あったら、私が知りたい。

 

 

誰にでも通用するリハビリはないし、良いと言われているものですら、効果には個人差がある。

 
 

また、正しいと言われている理論を、先ほどのインターネットの説明のように、伝えたら効果が出る訳でもない。

 

お金を稼ぐ方法、的な本を読んで実行しても、誰もが成功する訳ではない。ただし多くの人はその実行すらしていない。簡単なことですら。

 

 

やはりリハビリでも、他の仕事においても、成果を出せる人は、結局のところ他の人が真似できないことや、真似できることでも継続できるかどうかにおいて違う。

 
 

理論や理屈が分かっても、結局のところ行動に移せるかどうか、さらにはその行動を継続できるかどうか、成果が出ないで終わるのではなく、成果が出るまで継続できるかが大切だ。

 

  

昔、POPEYEという思春期の少年のバイブル的な伝説を本を参考にテクニカルなページを参考に実行したら、相手にドン引きされた私がゆうのだから間違いない。
 
 

 

 

そう、理論はあくまで理論なのだ。

 
 
統計学的にも有意で、多くの人が喜ぶテクニックだとしても、今、目の前の相手が喜ぶかどうかは別問題だ。

 

 

その部分を大事にできるか?が

 

大切だと思う。

 

 

POPEYEを熟読し、多くのエロいテクニックについて熱弁している同級生がいた。

 

その当時、彼は

 

「神」

 

 

ともてはやされていた。

 
 

 

しかし、今思えば奴は彼女の一人もおらず、

The 童貞だった。

 
 

なぜ、当時の僕や愉快な仲間たちは彼を「神」と賛辞していたのだろう。

 
多分、それは彼の圧倒的な知識の豊富さであったと今は思う。自分たちの知らない知識を数多く、四十八手持っていたことだろう。

 

 

セラピスト業界でも似たようなことはある。

 

知識の多さ = セラピストの実力

 
という幻だ。

 

 

すごくマニアックな用語をぞくぞくと並べ立て、説明する。

 

 

それはそれで素晴らしいことだ。知識は発想を豊かにするし、発想により、その方が良くなるチャンスが増えるのであれば。

 

しかしそのセラピスト自体が自分の知識の多さに酔い、依存するのであれば、あまり意味がない。

 

目の前の患者さんの問題を細かに説明できる能力よりも、その問題を解決に導いてくれる人を患者さんは望んでいるはずだ。

 

 

 

あなたの言葉は届いているか?患者さんや後輩に。

 
あなたが自分の知識を見せつけたいだけじゃないか? あなたがすごいと思って欲しいだけじゃないのか?

 

一度、考えてみるのも良いと思う。自戒をこめて。