大切なことは平成仮面ライダーが教えてくれた。
気づけば年末も近づき、最初に抱いた「令和」の違和感もどこかにいってしまった気がする。
年を越える前に、僕を作ってくれた平成仮面ライダーについて今一度振り返りたいなと思った。
振り返る上で、仮面ライダーを知らなかった僕がその時どんな気持ちになったか、何を教えられたかを書き留めたいと思う。
これをきっかけに誰かが仮面ライダーに少しでも時間を割いてくれたら光栄だ。
1.平成仮面ライダーに興味を持ったきっかけ
中学生のとある日曜日の朝、妙に目が覚めて、普段は付けもしないTVの電源をつけた。
それが仮面ライダーキバの第1話だったのを強く覚えている。
正直、仮面ライダーなんて明らかに悪いやつ(怪物)が現れて、それをわかりやすい正義の味方であるライダーがボコボコにするストーリーだと思っていた。
けれど仮面ライダーキバでは
・主人公(?)らしき青年が明らかに変質者(人の食べ残しをジップロックに保存したり)
・主人公におらつく女性陣が複数でてきたり
・とにかく話が難解であった。(過去と現代が1話内で交互に入れ替わる構成)
決して子供のために作られたシナリオと思わせない、強気で複雑な1話に幼い印象なんて抱けなかった。
放送終了時には「次の話が気になる作品」に変わり、気付けば過去作品を見始めていた。
仮面ライダーキバが僕に教えてくれたのは、「何事も体験してみなければわからない」ということだった。
仮面ライダーキバは平成9作品目であり、そこから次の作品のディケイドを区切りとし平成1作目のクウガからディケイドまでを平成一期、次の10作品を平成二期とファンの間では呼ばれている。
僕にとって平成一期は振り返りの作品、二期はリアルタイムで楽しむ作品となった。
2.高校生の僕が平成一期(前半10作品)から教わったこと
仮面ライダーキバに出会い、こんなに面白いコンテンツがあるならば過去の作品も目を通してみたいと思い、キバ以前の作品を見始めていた。
キバはファンの中では、日曜朝から放送する昼ドラとの異名持つ。これは三角関係を越え、敵味方含めた四角関係以上の泥沼恋愛を始めるからだ。
他の仮面ライダーもそれぞれ異なる雰囲気があり、それがまた次のシリーズも見たいと思わせてくれた。
仮面ライダーは脚本が毎作品変わるので、作風が大きく変わるのだ。Fate/zeroやまどマギの虚淵玄、電車男の武藤 将吾など有名な作品を世に出した人も仮面ライダーの脚本だったりする。
平成一期で見ていて印象的だったのが
・仮面ライダーアギトて描かれる、「既に仮面ライダーである男」、「仮面ライダーになろうとする男」、「仮面ライダーになってしまった男」の三視点による葛藤。
・仮面ライダー龍騎で描かれる、私利私欲のために行われる13人のライダーによる殺し合い。
・仮面ライダーカブトで描かれる、圧倒的に強すぎる主人公。しかし行動原理が妹過ぎて妹の敵はなんでも倒す姿。(当の妹は興味なさそう)
どれも完全な悪というものはいなく、誰もが自分の命や安定といった権利のために戦っている。仮面ライダーカブトに至っては、主人公と妹以外からしたら、主人公が明らかに悪者だ。
「正義なんて立ち位置で変わる」
平成一期を総じてそんなメッセージを貰った気がする。自分にとって嫌なやつも誰かにとっては好きな人で、自分にとっての正義のヒーローは誰かにとっては悪ってこともあるよなと思った。
3.大学生の僕が平成二期(後半10作品)から教わったこと
平成二期では戦隊ものとの差別化のため、放送時間の変更や開始時期の変更もあり、よりライダーが様々な見た目に変化し、グッズの多様化が始まっていった。
これにより一期より明らかに客層を大人に向けてシリーズ作りを始めたのを感じていた。
平成二期で印象的だったのが
・仮面ライダーWで描かれた、全知全能なパートナーと駆け出し探偵タッグの事件解決。主人公含めた様々な人間の不完全さとその受容の対応を考えさせられた。
・仮面ライダーエグゼイドで描かれた、ゲームから生まれ、人々に感染する敵(ウイルス)とその敵を倒すためにゲームを行う医者達。
・仮面ライダービルドで描かれた、記憶喪失の主人公が平和維持のために仮面ライダーとなるが次第に戦争の道具として扱われ始めるストーリー展開。
どの作品でも主人公には大きな欠点があり、とてもお手本と呼べるような正義のヒーローではない。Wの主人公は敵の親玉にビビり逃げ出すまである。
けれど皆一様に自分の弱さを知った上で自分の信じる正義のために敵に立ち向かう姿から
「不完全でいい、完全な人間なんていない」
平成二期からは上記のメッセージを受け取った。欠点に囚われるのではなく、受け入れて前を向くことが必要なのかなと思った。(と、講義の単位を落としたときに自分を、鼓舞していた。)
4.新社会人の僕が平成仮面ライダーから教わったこと
大学院卒業付近から社会人まで放送していたのが、今年の夏まで放映されていた仮面ライダージオウだ。
仮面ライダージオウは平成20作品目として、全ライダーを登場させるお祭り的作品であった。
しかし、放送中に平成の終わりと令和の開始が告げられ、平成の締めを担当する作品としての役割も担った。それはまるで、学生最後である自分の振る舞いを考えさせられるものでもあった。
作品の中でジオウはライダーの力を継承し力を高めていく。自分を見ているかのようだった。仮面ライダーに限らず何か触れたコンテンツから学ばせてもらい、少しでも何かが変化する自分。ジオウで出てくる過去ライダーはそれぞれの作品の続編となる「今」を全力で生きていた。それを受け、ジオウも自身の「今」を積み重ねていく。
「今を全力で生きる」
どの平成ライダー作品も「平成仮面ライダー」と分類されているが、中身は全く別物で繋がりもなく、ただ全力で当時の文化・技術を、描いていた。
きっとそれでよいのだ。
物事の見方、他人との接し方、自分との向き合いかた、
大切なものは平成仮面ライダーが教えてくれた。
そして令和ライダーからもきっとなにかを学ぶのだ。
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