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母は私の母である

一人暮らしの実家の母と一緒に食事をしました。帰省する時にはなるべく時間をとって外で食事をすることにしています。そしてその後必ず母のマンションまで行き生活の様子を見ることにしています。母は年末で80歳になります。

今回の帰省でも老舗のワインレストランを予約し名物のそば粉ガレットやその他の料理を食べ、ソムリエおすすめのワインを機嫌よく飲んで帰路につきました。母は終始上機嫌で「今が一番気楽で楽しい」と話していました。最近、彼女の生活はとても充実しているようです。
若い頃から字を書く事が好きでしたが、子育て中は自分の時間など取れるはずもなく、長いあいだ書くことから離れていました。子供が成長独立してから再開しますが、もともと書道は有段者で師範級の腕前だったため、すぐに先生の勧めでお金をかけて展覧会に出品するようになります。でも、そうやって競い昇段して行くことに嫌気がさして父が亡くなるもう随分前からしばらく書かなくなっていました。ところが、つい最近また書きたくなり公民館で自分より少し年上の先生に指導してもらうようになったとか。日中はマンションで心ゆくまで楽しみながら少し大きな作品にも挑戦しているそうです。「額装してあげるよ」と言っても「いいんよ。自分で壁にぶら下げてよく書けたなぁ!って見るだけで楽しいからそれで十分」なのだそうです。
ところが彼女の趣味が一つ増えていることが今回の帰省でわかりました。今回の訪問はマンション前の鉄筋のビルがちょうど解体完了したタイミングだったのですが「毎日ここから解体の様子を見るのがすごく楽しいんよ。機材の操縦も上手い人とそうでもない人とが分かるようになる。機材の種類も色んなのがあっておもしろい」と目を輝かせる母は本当に生き生きしています。
身体の方はというと、もともと運動は大の苦手でとうとう自転車には乗れるようになりませんでした。そんな彼女ですが数年前から一念発起して、とにかく歩いたり公民館で老人用ジムの機械を使って簡単な運動をするようになり、今は年齢の割に足腰はしっかりしていると思います。

離れて暮らす娘としては、彼女が元気でいてくれるのは嬉しいことですし、1日でも長く元気で楽しく過ごしてくれればいいと思います。母は20歳で結婚し、今でいうモラハラの父に苦労をさせられ心を傷つけられてきました。子供達が独立した後もそれはしばらく続き、私や下の2人も何度も離婚を考えるよう勧めたものです。ですが、その父が数年前に急に他界しました。人はあっけないものです…。

モラハラの父は明らかに困った人でした。自分勝手で虚栄心と承認欲求の強い面倒な人でした。お酒を飲むと輪をかけて手に負えなくなりました。優しくない私は「早く死んでくれればいいのに」とさえ思っていました。そして私は今でも父を許してはいません。でも、亡くなった時にはどういうわけか、大きな悲しみと哀しみと惨めさが押し寄せ「父は私の父だった」というただその一点において全身で泣くことしかできませんでした。酷い事を沢山言われましたが、特に私が長女だからなのか、幼い頃にたくさん可愛がってもらった記憶ばかりが蘇るのです。「父は私の父だった」のです。

そして、当然ながら、母にとって父は夫でありそもそもは他人です。長く連れ添った末の情けからくる悲しみはあったのかもしれません。ですが、父亡き後の母の言動の数々は私の価値観とは合い容れるものではありませんでした。許せないと思うことがひとつひとつ当時から心の中の澱になり積み重なってしまいました。今でもたまに彼女が発した何気ない言葉に澱がはねあげられ大きく心が濁る感覚があります。私は今でも心の中では母の一部を許していないのです。

だけど「母は私の母である」という事実を私は父の死から教訓として学んでいます。母は父から心を守ることと初めての子育てとに精一杯だったためか、私は幼い頃に母に可愛がられた記憶がほとんどありません。実際、一度彼女に尋ねたことがあるのですが「可愛がる余裕がなかったような気がするねぇ」と独りごちていました。母の当時の状況が容易に理解できることもあり、その事をけして恨んだり嘆いたりはしてはいませんが、事実として可愛がられた記憶がないのです。お母さんごめんなさい。

母は大学へ進学こそしませんでしたが私とは違い高校まで優秀で、書道が上手で、大手都市銀行の地方支店に請われて就職し、初めて作ったお見合い写真一枚で父にみそめられたほど可愛くて明るくチャーミングな女性です。結婚してからは辛い時間が長かったけれど、今が気楽で楽しいと彼女が心から言えることに、私も安堵しています。私が母の一部を許すことができないでいることはとても残念なことです。でも「母は私の母である」のだから、やはり母には幸せでいてもらうことが私にとってもとても重要なことなのです。

そんなことを考える時、自分は子ども達にとってどんな母親なのだろうか…そんな疑問が頭をよぎります。同じように、彼らの価値観では受け入れられない私の一部があるのかもしれないな、と思います。うまく伝えられているかわかりませんが、とっくに成人した子ども達のことは今でも可愛くて仕方がありません。母が私の母であるのと同様に、私は子どもたちの母なのだろうな…とぼんやり考えています。

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