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母親失格

 そりゃ嫌だよね…。当然だと思います。

 私は娘のTwitterやInstagramをこっそりチェックしてました。私のアカウントはどちらも彼女にブロックされているので(過去にもチェックしてるのがバレた)ログインしない状態で(彼女のアカウントは鍵はかかってないので)確認することができたんです。娘がアップしていた桜の様子が素敵で、家人にも彼女の春を楽しむ様子を伝えようとスクショして送りました。ところが馬鹿な私は、後日自分のアカウントに外出時の桜をアップするところ、Photoアプリの中から他の写真と一緒に誤ってそのスクショを自分のInstagramアップしていました。

 アップ後に気づいたのですが、まさか娘が私のアカウントを逆に見てるとは思いもせず、間違えたけど綺麗だからまいっか?ぐらいの気持ちでそのままにしたところ、Twitterで世界中に向けて母親をメンヘラ認定して憚らない勢いで怒りを爆発させ、収まりつかない様子を発信しているのを見つけてしまいました。

- 鍵垢で監視してるなんて信じられない
- キモくて震える
- どこまでメンヘラ
- 一生メンヘラを理解できないと思う

 容赦ない…。けど仕方がないと思ってます。自分が娘の年齢で逆の立場であれば同じように腹もたったと思うし、私からは何も彼女には言い訳できない。なぜ彼女の発言を見ていたか?にはもちろん母親なりの理由があります。だけど、成人した彼女にはたとえ親であっても親子の関係を超えてそれは「キモい」ことなのだろうと思います。(著作権に違反してるし…違)

 送ったLINEのメッセージに返事をくれれば、せめて24時間以内に既読をつけてくれれば、公共料金や家賃延滞で業者から何度も連絡を直接受けなければ、連絡もなく何度も外泊しなければ、かけた電話を無視し続けなければ、お金の無心以外で連絡して頼ってくれれば…。他にももっとあるけど恥ずかしくて書けない。

 「育てた」なんてとても言えません。彼女が中学高校時代に私は彼女にちゃんと寄り添ってはいなかったのだと思います。自分の中では仕事を「優先した」意識はないけれど、彼女はおそらくそばにいない私を疎ましく腹立たしく思ったのかもしれないし、あるいは母親はそういうものだと早々に「諦めて」しまったのかもしれません。その上、当時の私は今から考えても「恥ずかしい自分」でした。情けない「背中」「だけ」しか見せてこなかったこと、今の彼女の私への態度はその当然の結果なんだと思います。

 親の愛は無償だけれど圧倒的に一方的なのだということは、彼女が私とまともには口を聞かなくなった高校時代からずっと肝に銘じてきたつもりでした。人に話せば「長い厨二病なんじゃないか?」と応じて慰めてくれ、実際そうなのかなと思うこともありました。でも、高校時代からかれこれ8年近く続くこのまともに会話ができない状況。彼女は母親を諦め捨てたのだと理解するしかなさそうです。

 きっと自業自得。この言葉は大嫌いで人には絶対に使わないと決めているのですが、自分にはこの言葉が当てはまることが多くて。私は自分の母親に対して完全に「諦め」の心境でいます。父が亡くなった時からでした。母とのやりとりは普通だし、孫の様子も知らせてやりたいし、元気で楽しく過ごして欲しいし、そのためには歳を取る母へのサポートはあらゆる面でしていきたいと考えています。でも、私は彼女を「諦め」ています。

 娘が私を「諦め」るタイミングが早かった…それだけのような気がします。寂しいし、悲しい、けれど私は娘がそれでもかわいい、そして自業自得、そして母親失格です。でも、娘のことは誰にもわざわざ言わないけど私の自慢です。あんな思いやりの深い、でもオモシロイ子は他には見たことありません。かけがえのない自慢の娘です。

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昨日作ったひじき煮を今日買ってきた🍞1斤の端っこを切り落としてたのに乗せて「パン耳ピザ」です。ひじき煮を乗せる前に薄くバターを塗って煮汁がパンに染み込みすぎるのを防いでコクをプラスできます。オーブンでなくガスコンロについている魚ロースターでこんがり焼きました。

 外出自粛要請が発出されてから毎日ランチも夕食も頑張って作っているのは、徒歩8分に住む娘がいつかひょっこり「今からご飯食べに行くよ」と連絡くれないかな…と思ってのことでした。もう作る気力がなくなりそうです。

明日はどん兵衛でいいや。

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