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カオスとコスモス

魚座土星期に入ってからいろんなことがあったのに
先週急に体に負荷がかかっていろんなことがストップしていた。
やっと向き合えるようになってきたのでまとめておこうと思う。

このnoteを始めたのはだいぶ前だけど、
ちゃんと稼働したのは昨年2022年の6月デジ近note部から。
その時にアイコンをクリーミーマミに変えた。
そのアイコンにまつわるお話を書いたnoteが以下。

このnoteのトップ画にしてるのがその時アイコンにしていたもの。
今、改めてこのnoteを読み返した。

アイコンにするのに改めて画像を探してみて、やっぱり好きって確信した。存在感そのものが好きだった。とにかく可愛いのだ。

クリーミーマミになりたい!と言ってた記憶はない。(子供らしい発言はなかった。結構冷めた子供だったと思ってる)
でも、ステッキ持ったり、マイクスタンド置いてたりした記憶は
うっすらある。深層心理では私はなりたかったのかな。
とにかく可愛くて存在そのものが好きだった。

私は年齢不詳に見えるようで、新入社員に何年目か探られることが多かった。一見若く見えるけど醸し出す偉そうな態度が気になるらしい。

数年前に産休明け久々にあった後輩から
「ほんと変わらない!妖精みたいですね」って言われた。
その時ふわふわっと嬉しい気持ちになった。
若いですねより、妖精みたいですねの方が
嬉しくてなんかとってもしっくりきた。
「じゃあ妖精として生きるわ」ってその時言った。
冗談めいて言ったけど自分の気持ちにジャストミートしてた。

妖精みたいになんの抵抗もしがらみもなく
好きなことして世界に漂っていたい。

妖精ドメインはそこからきている。
何かをやる時にも、
例えば、どこにもいかない日にもお化粧してオシャレする?
妖精ならどうする?って考えると、妖精ならやる!ってなる。

妖精に置き換えると全てがうまくいく。
自分の本来の好きと妖精を掛け合わせる。

とにかく可愛くて存在そのものが好きになれるものになりたい。
それは自分が、自分を可愛い存在と思い、好きになること。

アイコンだけの話をしていたと思っていたけど、
妖精ドメインの話と、自分のなりたい姿の話までしていた。

インスタやTwitterは2021年頃から顔出しをしているし、アイコンも揃えている。noteだけは、自分のチャレンジとして純粋に文章だけを味わってもらいたくて、自分の顔にするのを避けていた。
それなのに今月に入ってなんとなくSNSの全てのアイコンを
そろそろ変えようかなという気持ちが湧いてきた。
そんなことをぼんやり思っていたタイミングで
Yujiさんのstandfmの魚座の回にお邪魔しておしゃべりすることができた。
その時に、「土星の影響ありますか?」と聞かれて、
「土星の影響ってどんなものですか?」と返す。
「土星が魚座に乗っかる月に乗ってくると発信制限かけようかなとか
散らばってるアイコン揃えようかなとか、数字目指そうかなとか、
なんらかの土星みが出てきますね。
乱発するのではなく制限をかけていく感じです」と言われて、
「ちょうど3日前くらいからアイコン変えようと思ってる」というと、
「ちょうど土星が入った時ですね!」と言われて驚く。
星の影響を素直に受ける12ハウス月魚座み。
その時の対話に背中を押されて、
新しいアイコンにしたついでにnoteのアイコンも
自分の顔に変えることにした。


noteのアイコンに関して、なんであんなに拘っていたのかな?と思うほど
すんなり変えることが出来た。
もう自分の中でいろんなものが整ってきたのだ。
ここ数年のカオス、いや生まれてから44年のカオスが整ったのだと思う。
この2年間、自分の存在に関して見つめ直してきた。
会社に所属していない自分、何の肩書きもない自分も見つめてきた。

きっとクリーミーマミにしたのは肩書きのない自分、姿形のない自分の象徴だったんだと思う。自分の中身だけ、感じたことだけを文章を書く。
それでもって自分の輪郭をはっきりさせようとしてきた。

だけど私の輪郭はそれだけじゃない。
私の世界はもっともっとたくさんの姿があるのだ。
私が生きてきた44年のうちの22年勤めている会社。
生きているうちの半分も所属している。
この会社での私の姿ももちろん私のカオスの中に存在するのだ。

そんな中、会社で期末の面談があった。

私はここで色々な人達の間で過ごしてきた。
そして定点観測してもらい、育ててもらってきた。
ここも私の世界なのだ。
ここでの仕事は自分自身が表に出るものではない。
裏方としてここにいる人たちと過ごし一緒にモノを作っている。20年も。
互いに助け合い、仕事をしている。
オンオフのオンの部分。ここでの感情も全部自分の中に内包している。
顔が世の中に出ないけれどオン。
ユーザーのためにブランドのために頭を使って仕事している。
会社に守られた中で仕事をしている。
その中で、先輩であったり、後輩であったり、上司であったり、部下であったり同期の場合もある。様々な角度の自分が存在している。

こうしてnote書いて顔を出しているオフの自分。
チグハグでカオスだ。
どっちの自分も全部自分である。
さらにプライベートの妻としての自分や、親としての自分、
また子供としての自分、友達との間の自分など、
自分自身にはたくさんの側面があり、一つ一つのカタチは様々ある。
それを1つにしたものが私なのだ。

時間をかけて見つめてきた自分の存在。
一方をダメだこれではない、と拒否や拒絶するのではなく
多方面の多重の自分が全て混ざり合いカオスになっている。
フォーカスするポイントを変えれば、
いろんな自分を取り出すことができるのだ。
一つのカオスの中から見出す一つのコスモス。

大切にあたためてきたモノは私自身。
どの自分も等しく平等であり、尊い。
やってきたこと全てがあるから私をカタチ作っている。
そのことに上も下もない。
全ての混沌から生まれたつ自分の宇宙。

それを感じる。


制限の解除。思い込みの枠組みを外す。

全て存在する、それを認めていく。
概念の反転。

やってきたことは何?その中で大事なことってどれかな?
私は何を大切にして生きていくの?

ちょうどそんな時に見た映画。
Everything Everywhere All At Once
同時に存在する自分のマルチバースを行き来する映画。
主人公の現状は最低の状況。マルチバースの自分は違う選択をしたもう一人の自分の姿。今の自分とは違う自分。今の自分より成功している自分がいる。それが同時に複数存在しそれを行ったり来たりして
この現状を、家族を世界を自分を救う話だ。

これは私達の姿と同じだと思った。
選択肢を変えれば違う可能性があるし、対峙する人が変われば
自分自身も変わる。自分の頭の中身が変わればアウトプットも変わる。
誰かに影響を受けても変わるし、読んだ本でも変わるかもしれない。
意識次第で同時に複数の自分は常に存在しているのだ。

その全ての中から自分を選ぶ。
誰もが自分のことを誰かに全部をわかってもらう必要もない。
だって自分の存在自体が既にカオスなのだから。
その中で自分自身が常に最適化した自分を選んでいくだけ。
選択肢は無限。
これで最適化と思った自分も、明日には違う最適化になるかもしれない。

そんな曖昧な自分を抱えて、それを秩序づけていく。
カオスがコスモスになる。
自分との調和。
無限に広がる自分の中の宇宙。

全てわかっていたこと
全てそのままずっとあるもの。
それを認めていく作業。

それが一つの私につながる。
私に返っていく旅。

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