飯が炊けるのを待ちわびて
何を書こうかわからないまま
Ipadを立ち上げて
釜飯から上がる湯気を眺めながら、このNOTEにむかっている。
固形燃料を使って炊き上がる、いわゆる旅館のアレ。
1人ぶんの朝食を炊くのに、ものすごい重宝してる。
釜飯を炊く時間、木の蓋がふんわりと香ばしい匂いが漂ってくると、何故か心がキュンとする。
さては、釜に恋してるな、ワイ。
最近のお気に入りアイテム。
こうして身の回りを見渡してみると、一個一個、大切なものを集めてきたことに気がつく。
ウクレレとか、アフロとか、全然生産性ないけど、自分の心が浮き立つ愛すべきマイフレンズ。
好きなものなんかないんだ。私は空っぽだと泣いていた頃の私からすれば、大いなる一歩。偉大なる進歩。
自分をありのままに受け入れる。
それが本気でわからなかった。
何言ってんだ。
ありのままの私に、価値なんてあるわけないじゃん。
もっと人に合わせて、人様の役に立つように、生きていかなくちゃ死んでしまうよ、と。
そのうちに自分が本当に欲しいものがわからなくなって、好きなこともわからなくなって、生きていくことがめんどくさくなった。
でも、死ぬわけにはいかないから、とりあえず生きて行こうって思った。
あの時の私には、それが精一杯だったし、それでしかたなかったんだと今は思える。
あのどん底ズンドコキヨシみたいな時間があったから、今、私は釜飯を愛している自分をさらに深く愛せるんだろう。ありがとう、どん底キヨシ。
それでも、今も、無性に寂しくなることがある。
なんとなく、一人ぼっちに感じることがある。
こんなにたくさんの人に囲まれていてもなお、感じるのだからこれはもう「こういうものなのだろう」思って諦めるより他ないのだろうと最近は抗うことをやめた。
そういえば、諦めるって、言葉の語源、
「明らかにみる」からきてるんだって。
こんな自分もいていいのさ。寂しい自分もい続けるのさ。と釜飯を眺めながら考える。
さて、ほかほかごはんに明太子のせて、朝ごはんを食べよう。
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