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空蝉

2020年度織田作之助青春賞にて3次選考まで通過した作品。

大学時代に書いたものに結構な修正を加えたものです。重めの話なのですが自分にとって大切な作品なので、どうしてもどこかに公開しておきたくて。noteにて投げさせていただきます。


空蝉

 ケースの中から楽器を持ち上げ、ゆっくりと組み立てていく。イエローブラスの冷たい感触が、指の腹越しに私の触角をひやりと刺激した。奥の部屋の方から、両親が押し入れの整理をしている物音が、ときおり湿っぽいため息をまじえながら、がさごそと聞こえてくる。私は組み立て終えた楽器を構えると、深く息を吸った。横隔膜のあたりがゆるやかに膨らんでいく感覚をたしかめながら、体の内側にためこんだそれを、今度はマウスピースを介して一定の量ずつ、丁寧に楽器の中へと吹き込んでいく。楽器が震える感触とともに、黄金色に輝くアルトサックスの上向いたベルから、家全体を揺るがすような、大きな音が鳴った。
    ここ――おばあちゃんの家が建っているこの場所は、大きな通りに面していて車の行き交いが激しいので、思いっきり楽器を吹いても誰に文句を言われることもない、絶好の練習場所なのだ。もしこれが集合住宅の私の家だったら、ほんの数分楽器を鳴らしただけで、上下左右あらゆるご近所さんから苦情を訴えられてしまうことだろう。そういった理由で私は、中学一年生のときに楽器を始めてから五年半もの間ずっと、毎週土曜日の午前中に、お父さんが運転する車に揺られて隣町にあるおばあちゃんの家を訪ねては、アルトサックスの練習に励んでいるのである。
 私が楽器の練習をしている間、お父さんはおばあちゃんの生活用品の買い出しのため、近所のスーパーに出かけていることが多かった。私もおばあちゃんも元々口数が少ない方だったから、お父さんが出かけて小さな家に二人きりになっても、会話を交わすようなことは、ほとんどと言っていいくらいなかった。だからと言って、別におばあちゃんとの関係が険悪だったとか、気まずいものだったとかいうわけじゃない。私はただひたすらにサックスを吹き続け、少し離れたところで揺り椅子に体を預けたおばあちゃんが、じっと耳を澄ませながらにこにことこちらを見つめている。土曜の午前中の時間は、いつもそんなふうにして過ぎていった。それは、とても穏やかな時間だった。二年ほど前、私が小さな演奏会に出たときには、おばあちゃんもホールまで出向いて、練習の成果を、わざわざ聞きに来てくれたのだ。言葉を交わすことこそ少なかったけれど、私はおばあちゃんのことが好きだったし、おばあちゃんも私のことを、好きでいてくれていた、ように思う。
 当時のことを思い返しながら楽器を鳴らし、視線をちらり、部屋の隅へと向ける。邪魔にならないようにと端の方に追いやられた揺り椅子が、こちらを向くようにして所在なさげに置かれている。ここはおばあちゃんの家だけれど、彼女の姿はもう、家のどこにも、ない。
    私は視線を前方へと戻すと、マウスピースを口から外して構えをほどいた。あらかじめ組み立てておいた譜面台に練習曲の譜面を広げ、鞄から電子メトロノームを取り出し、電源を入れる。電子音が一四〇のテンポで、びっ、びっ、と繰り返し響いては、空気を震わせる。一つ息をついてから再び楽器をしゃんと構えると、頭の裏で、にこにこと目を細めたおばあちゃんの顔が浮かんでは弾け、また浮かんでは、胸の奥のがらんとしたところへと、吸い込まれるようにして消えていった。びっ、びっ、びっ。一定の間隔で拍を打つ電子メトロノームのどこか堅苦しい音と音のあいまに、両親が物を掻き分けるがさごそという音が、奥の部屋から聞こえてくる。練習を再開しようとしていた私の集中力は、煩雑に聞こえてくる物音と、たった今外の通りをものすごいスピードで走って行ったバイクのエンジン音のおかげで、すっかり削がれてしまった。
 私は、構えたばかりの楽器をおもむろに床へと下ろすと、奥の部屋に向かった。段ボールやらなんだかよくわからない古ぼけた雑貨類やらに囲まれながら作業を進めている両親に、何か手伝おうか、と尋ねてみる。お母さんは疲れのにじんだ顔を私に向けながら、こっちは気にしなくていいからあんたは向こうで練習してな、とため息混じりにそう返した。お父さんは私が声を掛けたのに気づいているのかいないのか、ぼろぼろの車のおもちゃを手に、懐かしいなぁ、なんてことをしみじみと呟いている。わかったよ。お母さんにだけ返して元の部屋に戻ろうとした私に、ああそうだった、と疲れた顔をした彼女から、再び声がかかった。ここ片付いたらあとはそっちの部屋だけだからさ、来週からはどっか他の場所見つけて練習しないとね。お母さんの言葉に、私は、そうだね、とだけ返すと、今度こそ練習を再開するために、二人にくるりと背を向けた。
 元にいた部屋へ戻ると、メトロノームの電源を切り忘れていたらしく、誰もいない部屋に電子音が、びっ、びっ、とうつろに響いて鳴り続けていた。私は床に置いていた楽器を構えると、埃っぽくじめついた空気を、体いっぱいに吸い込んだ。しばらく床に置きっぱなしにしていたせいでアルトサックスは、ケースから出したてのとき、ひやりと指を突き刺したあの冷たさを、取り戻してしまっていた。


 おばあちゃんのことがあってから私は、中学のころ仲が良かった友達のことを、よく思い出すようになった。
 中学二年生のころに同じクラスだった彼女が病気で亡くなったという報せを受けたのは、三年生の十二月のことだった。
 冬の朝、全校生徒が一堂に会する体育館での集会の後、私たち三年生だけが、教室には戻らずその場に残るようにと命じられた。硬い床に長時間座っていてお尻から腰にかけてが痛み始めていたこともあって、私は思わず悪態をつきたい気持ちになった。迫る高校受験のことについて、またなんやかやとめんどうくさい話やら激励やらを聞かされるのだろうな。きっと、その場にいたほとんどの生徒が、私と同じように考えていたはずだ。体育館の中には、どことなく憂鬱な気配が漂っていた。
 だけど、私たちの前にマイクを持って出てきた学年主任の先生は、いつものように受験の話や軽いお説教をするのにはそぐわない、やけに深刻な、暗い表情を引っ提げていた。何か、あったのだ。ただごとではない雰囲気を感じ取って、自然、姿勢を硬くした私たちに、先生は重たい口調で話し始めた。去年までこの学校に通っていた生徒が一人、病気で亡くなりました。転校先の広島で、数か月前から入院していたのですが、一昨日、息を引き取ったそうです。それだけだった。それ以上の詳しいことは、先生は何も言わなかった。
 反応は、おのおの違っていた。マジかよ、と周囲の友達とささやき合う子、泣き出してしまう子、自分には関係ないとばかりにあくびを漏らす子。私は、ただ、茫然としていた。まわりのざわめきが、すうっと、遠のいていくような感じがした。受け入れることなど、できなかった。
    彼女は、私たちが三年生に上がるのと同時に、広島の中学校へと転校してしまっていた。学校が休みの日に一緒に遊びに出かけるくらいには仲が良かったのに、三年生になってからは一度も、連絡をとっていなかった。そのころの私はまだ携帯電話を持っていなかったから、メールでやり取りをすることもできなかった。引っ越し先の住所を聞いていれば手紙も出せたし、電話番号を聞いていれば声を聞くこともできたのに、別れの日、私は、そうしようとは思わなかった。元気でね、の一言だけで、呆気なく、別れてしまった。私の中での彼女は、中学二年の終わり、病気なんてしていなかったころの姿のままで、ぴたりと止まっていた。もしかしたら、もう一生会えないのかもしれないな。二人で話した最後の日、そんなふうなことを考えた。広島、と心の内で呟いて、耳に馴染まないその響きに、途方もない気持ちになったのを覚えている。
 先生は、彼女がなんの病気で亡くなったのかすら、教えてはくれなかった。胸の奥の方へと、うっすらとした悲しみのようなものが、滑り落ちていった感じがした。だけど私は、仲が良かった友達が死んでしまったというのに、そのとき、涙一つ流すことができなかったのだ。彼女の死が、あまりにも遠くのことのように感じられた。茫然とした気持ちで、自身の薄汚れた上履きの先の方を、ただただじっと見つめていた。
 それから少しの間、元気だったころの彼女の顔が、ふとしたとき、頭の裏にぼんやりとちらつくことがあった。けれどしばらくすると、それもなくなった。たった数週間で、私は彼女が死んでしまったということを、気に留めなくなった。一年半後――今からちょうど三か月ばかり前におばあちゃんが死んでしまうまで、私は仲が良かったはずの彼女のことを、さっぱりと忘れてしまっていたのだ。


 おばあちゃんが亡くなったのは、梅雨入りしたての六月の、金曜日のことだった。降りつける雨のせいで、朝起きてから夕方に下校するまでずっと、体全体がじっとりとした重だるさを訴えていた。放課後に受けた英語検定の問題がうまく解けなかったことも重なって、その日、私の気持ちはひどく落ち込んでいた。
 重たい足取りで家路をたどり、ただいまぁ、と暗い声とともに玄関の扉を開いた私を迎えたのは、大変だよ、というお母さんの言葉だった。お母さんの顔は、ひどく青白んでいた。大変だよ、もう一度言ってから、茫然とした様子で、お母さんは続けた。おばあちゃん、死んじゃったよ。
 お母さんの話によると、おばあちゃんの死が発覚したのは、今日の夕方ごろのことらしかった。週に何回か訪ねてくるデイケアサービスのスタッフさんが、呼び掛けても家から誰も出てこず人の気配がないことを不審に思って、警察に通報したそうだ。おばあちゃんは、浴槽につかったままの状態で、発見された。死後十時間以上は、経っているとのことだった。
 玄関先で立ち竦んだまま、私も、お母さんも、一歩も動かなかった。おばあちゃん、死んじゃったよ。頭の中で、お母さんの言葉を何度も繰り返した。同時に、私はなぜか、放課後に受けた英語検定のことを、考えてもいた。おばあちゃん、死んじゃったよ。めぐりまわる言葉と言葉の間に、たくさんの英文が、ずらずらと流れ込んできた。全然、わからなかったな。うまく働かない頭で、そんなことを考えた。あんな出来じゃ、二次試験に進めるとはとても思えない。それは、おばあちゃんが死んでしまったということよりも、ずっと、はっきりとした感触だった。とにかく、今後のことは、お父さんと話し合って決めるから。やがてお母さんはそう言うと、頼りない足取りで、リビングの方へと向かって行った。今後のこと、って、なんだろう。お母さんの言葉を心の中で繰り返すと、頭の内側が、すうっと、冷たくなっていく感じがした。
 次の日は土曜日だったけれど、楽器の練習をすることは、当然、できなかった。いつもだったらおばあちゃんの家に向かっている時間、私、そしてお母さんは、お父さんが運転する車に揺られて、遺体が安置されているという隣町の小さな斎場へと向かっていた。
 家を出てから二十分ほどが経ってたどり着いたそこは、ぱっと見ただけでは斎場だなんてとても見当がつかないような、こぢんまりとした三階建てのビルだった。私はその狭い建物の一階、遺体が安置されている部屋で、死んでしまったおばあちゃんの体と、初めて向かい合った。部屋は底冷えするように寒く、そうっと触れたおばあちゃんのざらついた肌も、同じようにひどく冷たかった。
 翌日と翌々日の日曜日と月曜日には、そのちっぽけな斎場で、通夜と葬儀が執り行われた。もう記憶もないくらいに小さなころに遠い親戚の葬儀に参列したことはあったけれど、こうして身近な人の葬儀に出席するのは、初めてのことだった。祭壇にほど近い席に座りながら、私は、写真の中で笑うおばあちゃんの穏やかな目顔を、ぼんやりと見つめていた。それは、ほんの一週間前、私がサックスの練習をしている様子を揺り椅子に座って見守ってくれていたやわらかくてあたたかな表情と、まったく同じものだった。
 私はお父さんとお母さんの後に続いて、見よう見まねでお焼香を行った。近親者である私たちの後にも、何人もの人が祭壇の前に歩み出て、同じようにお焼香を行っていった。香炉から立ち昇る白い煙が、穏やかに笑うおばあちゃんの写真のまわりをもわりもわりとまごついては、溶けるように空気の中へと消えていった。私の隣に座るお母さんとお父さん、そして、最前列の親族席より後ろについている参列者の人たちの方からも、しめやかで厚ぼったい湿りけのようなものが、絶えず、漂っていた。木魚の音とお坊さんの声が、どんよりとした空気に馴染んで、とうとうと響いていた。葬儀は、決められた順序をたどるようにして、滞りなく、行われいるようだった。
 中学の友達の死よりも、おばあちゃんの死は、ずっと近くに感じられた。一年半前のあのときとは違って、きちんと目で見て、受け止められる状況にあったはずなのに、それでも私は、おばあちゃんが死んでしまったことに対して、つづまりをつけることができなかった。遺体に触れて、葬儀に出席して、お骨を拾っても、私の頭は、ぼんやりとしたままだった。
    私の家のリビングには小さな仏壇が据えられ、その前にはおばあちゃんの写真が、これまた小さな額縁に入れられて飾られた。夜遅く、テレビが消えた後のリビングにいると、ときおり仏壇の方から、かさり、という音が聞こえてくることがあった。かさり、かさり。音は、一時的に自宅で安置している遺骨が、重なり合って震えている音だったように思う。こわいこととは思わなかったけれど、その音を聞くたびに、胸の奥のがらんとしたところが、戸惑うようにざわめくのを感じた。毎週顔を合わせていたおばあちゃんが死んでしまっても、私は、涙を流すことができなかった。


 おばあちゃんが亡くなってから、突然、時間の流れが速くなったように感じることが。多くなった。あの梅雨の始めの日からもう、気付けば三か月という時間が、夏休みを横断して私の前を通り過ぎていた。
 二十年くらい前、私がまだ生まれていないころにおじいちゃんが亡くなってから、おばあちゃんはずっと、隣町の小さな家で、一人暮らしを続けていた。アルトサックスを始めてからは毎週通っていた、そして、お父さんにとっては子ども時代を過ごした思い出の詰まった家であるそこも、家主を失った今では管理のしようがない手に余る土地でしかなく、四十九日を過ぎて納骨を終えたあたりから、家を取り壊すためのもろもろの手続きや、遺品整理が始まった。
 私はこれまでと変わらず、毎週土曜日におばあちゃんの家に通っては、遺品整理を進める両親を尻目にサックスを吹き続けていた。けれど、部屋を埋めていた大きな家具や雑貨類が次第に少なくなっていき、あとは私が練習に使っている部屋が片付けば取り壊すだけ、というところまで整理が進んでしまってからは、もうおばあちゃんの家で練習を続けることは、できなくなってしまった。私はおばあちゃんの家の代わりとなる新しい練習場所として駅前のカラオケボックスを選ぶと、週に一度、楽器を持ち込んで練習をすることにした。

 学校帰りにそのまま練習に行けるようにと、朝から楽器を背負って向かった高校からの帰り道。アルトサックスのずっしりとした重みを肩と背中に感じながら、がたんごとんと揺れる電車の中で、私は死んでしまった中学の友達とおばあちゃんのことを、ぼんやりと考えていた。
    もしも、おばあちゃんがまだ生きていたら。私は、一年半前に死んでしまった友達のことを、思い出しもしなかっただろう。そのまま遠い記憶の中へ、過ぎてしまったこととして置いてきて、顔も、声も、思い出せなくなっていただろう。私にはそれが、とてもこわいことのように感じられた。たった一年半前のことなのに、これまで彼女のことを忘れて過ごしていた自分が、とても冷たくおそろしい人間のように思えて、ならなかった。
 背中に背負った楽器がいやに重たく感じられて、私の気持ちは憂鬱だった。冷房の効いた車内はひどく冷え込んでいて、思わず、半そでのシャツから伸びる剥き出しの両腕を、庇うようにして両手のひらで撫で押さえた。鳥肌が立つくらいの、寒さだった。電車に乗っている時間がなんだかいつもよりも長く感じられて、私は、窓の外を流れる景色を、駅から駅へ、急く思いで追い続けた。
 最寄り駅のホームへと、電車が滑り込んでいく。帰宅ラッシュの波に揉まれながら、もつれそうになる足で、私はホームに降りた。
電車から一歩外に出てコンクリートのホームに足をつけた途端、温度から、空気から、匂いから、音まで、ありとあらゆるものが雑多として感じられて、車内との差異に一瞬、頭がくらりとなった。重たい体を引きずるようにして階段を下り、流れる人波に任せて構内を進む。足を動かしながら、この場を行き交う名前も知らない人たちのことを、考えた。皆、誰かを喪った悲しみを、背負っているのだろうか。行き交う人の数だけ、同じような悲しみが存在していて、受け入れられ、乗り越えられ、過去のこととして積み上げられているのだろうか。私の前を、後ろを覆うスーツや制服の波は、まるで葬列のようだった。私もその黒々としたうごめきの中の一つなのだと、ばらばらと響くたくさんの足音と駅員さんのアナウンスを聞きながら、痺れる頭の中で考えた。
 乗り換えのために流れる人波から外れ、生ぬるい空気が滞留する駅の建物から外へ出ると、構内で感じた人いきれとはまた違った晩夏の暑さが、じっとりと肌に貼りついてきた。駅前のロータリーに沿うようにして歩道をたどって、私はカラオケ店を目指した。
 どこから飛んできたのだろう、アブラゼミが一匹、居酒屋やら歯医者やらが看板を構える駅前ビルの壁の高い位置にとまって、けたたましい鳴き声を上げていた。ふと見上げた空は、明るいのか暗いのかよくわからない、薄く紫がかった不思議な色をしていた。晩御飯の時間を考えると、長くても二時間くらいしか、練習できないだろうな。立ち並ぶビルの一つ、その二階にあるカラオケ店に階段を上って入り、受け付けを済ませる。伝票を受け取って指定された一人用の部屋に入ると、カラオケ店特有のこもったような匂いが、むわりと鼻についた。
    カラオケボックスに入るのは、ずいぶんと久しぶりのことだった。中学生のころは定番の遊び場としてよく通っていたのだけれど、高校生になって地元の友達と疎遠になってしまってからは、めっきりと利用することがなくなっていた。
 スクールバッグの中から譜面台を取り出し組み立てながら、そういえば、と死んでしまった友達のことを思い出した。中学生のころ、よく一緒にカラオケで遊んでいたメンバーの中には、彼女も含まれていたのだった。彼女は、いつも決まって、同じ曲ばかりを歌っていた。私はあまりその曲が好きじゃなかったのだけれど、一緒にカラオケに行くたびに彼女がその曲を歌うせいで、いつの間にか歌詞を見ずともすらすらと歌えるくらいに、私の頭の中にも彼女のお気に入りの一曲が、刻みつけられてしまっていた。
 彼女のことを思い返しながら、私は楽器を構え、ゆっくりと息を吹き込んだ。一音一音、丁寧に音出しをしてから、音階をさらう。
    一通りの基礎練習を終えてから、楽譜を取り出し、曲の練習に入った。なかなかうまく吹けずに、何度も途中でつっかかる。この曲、最近はまってるんだぁ。死んでしまった友達の声が、頭の裏で響く。彼女はCDを貸してくれたのだけれど、私はろくに聞きもせず、すぐに返してしまったのだった。彼女の顔と声が、浮かんでは、消える。指が、もつれる。息がうまく、続かない。一つのフレーズをやっとの思いで吹ききったと思ったら、今度は別の箇所が覚束なくなって、そのたびにテンポを落としてゆっくりと譜面をさらっていく。今までと練習する環境が違うせいか、集中力がうまく続かない。壁越しに聞こえてくる隣の部屋の音楽とマイクを通した乱暴な歌声が、私の苛立ちを一層強いものにさせる。
 一時間と少しのあいだ練習を続けたけれど、数分おきに途切れる集中力と思うように吹けない苛立ちに、私はとうとう耐えられなくなった。ため息をついて楽器を下ろし、軽く手入れをしてからケースの中に片付けた。譜面台も解体して、楽譜と一緒にスクールバッグの中へと苛立ち任せに押し込んだ。
 退出の時間まではまだ余裕があったので、いくつか曲を入れて歌ってみた。けれど、気持ちはちっとも晴れることなく、ぼやりとした虚しい感触が、胸の内にわだかまり続けているばかりだった。
 ふとした思いつきで、死んでしまった友達がよく歌っていた曲を、入れてみた。数秒ののちに、イントロが流れ出す。彼女と最後にカラオケに行ったときに聞いて以来、まったく耳にしていなかったその曲は、歌詞もメロディも、やっぱり私が好きになるような曲とは全然違っていて、おせじにもいい曲とはとても思えなかった。私は歌うことはせずに、大音量で流れるカラオケ音源を聞きながら、画面に表示される歌詞を、ソファに座ってただただぼうっと眺めていた。青春の応援歌そのものと言っていいくらいに底抜けに明るい歌詞が、最初から最後まで絶えずつらつらと、画面の中で並べたてられていた。懐かしい友達の歌声が、頭の中で鳴り響いた。
曲が終わると、私は立ちあがって楽器を背負い、スクールバッグと伝票を手にして部屋を出た。胸の奥がざわめいて、息苦しかった。退出予定の時間まで、あと十五分ほどだった。私は構わず、急ぎ足で受け付けへと向かった。


 それから数週間が経った九月の終わりごろ、おばあちゃんの家が、取り壊された。手に余っていた土地はお父さんの掛け合いのもと、遠い親戚にあたるらしい元市議会議員の男の人の手に渡っていった。私たち家族には、売り渡した土地代として結構いい額のお金だけが、残された。
 九月最後の土曜日のこと。私はお父さんとお母さんと三人で、隣町のスーパーマーケットへと出かけていた。私はお父さんの運転する車に揺られながら、窓の外を流れていく景色を、何をするともせずにぼんやりと眺めていた。
 しばらくそうしているうちに、車がよく見知った道に入っていった。あ。心の内で、思わず声が漏れた。それは、ついこの間までおばあちゃんの家があった、飽きるほどに通り慣れた道だった。私も、お父さんもお母さんも、解体工事には立ち会っていなかった。だから、家が取り壊されてしまった様を見るのは、皆、初めてのはずだった。いかにも、一人暮らしの老人が住んでいそうな古ぼけた佇まいであったその家は、もう、どこにもなかった。毎週通っていたはずのおばあちゃんの家は、何もない、のっぺりとした更地になってしまっていた。
 お父さんも、お母さんも、特別、何も話さなかった。だけど、私は気づいていた。おばあちゃんの家の前を通り過ぎる一瞬、実家の面影を、母を思い出すようにして、お父さんが視線をちらり、横へと向けたことに、私は気づいていた。車は一瞬でそこを通り過ぎ、かつてのおばあちゃんの家は、またたきの間にびゅうんと後方へ流れ去ってしまった。何かを振り払うように前方の景色へと向き直った彼の顔を見て、ああ、お父さん、老けたなあ、と。私はふいに、そう思った。あのときのお父さんの表情を、私はきっと、一生忘れることができないだろう。

 家に帰ると、私は仏壇に向かって座り、おばあちゃんにお線香をあげた。今日ね、おばあちゃんちの前を通ったんだよ。もう、何も、何もなくなっちゃったんだよ、おばあちゃん。額の中でやわらかく笑う彼女の顔を見つめながら、私は心の中で語りかけ、リンを鳴らした。ふと、仏壇が据えられてからこれまでの間は気に留めることもなかったお線香の匂いが、今になって突然鼻の奥を痺れさせ、胸が苦しくなるような心地に襲われた。出かける前にお父さんとお母さんがあげたらしいお線香はすでに消えていて、最後まで燃えきらなかった部分が薄灰色に変色して、香炉の中に短く立って残っていた。

 その日の晩御飯の席は、なんとなく、粛々とした気配に包まれていた。お父さんもお母さんもあまり話はせず、テレビの音だけが賑やかに、リビングをもの寂しく騒がせていた。
 夕食を終えてしばらくしてから、風呂に入った。立ち込める湯気の中で私は、昼間、車で出かけているときに見てしまった、お父さんの表情を思い出していた。シャワーヘッドから浴室の床へ、漏れたお湯がしたたり落ちるひかえめな音が、ぽた、ぽたりと、数秒おきに響いていた。
 次の瞬間、すとん、と。突然、あまりにも突然に、たしかな感触が、私の中に降り落ちてきた。胸の奥のがらんとしたあたりから、避けようのない実感が、次々にわいてあふれてきた。ああ、おばあちゃんも、中学のころの友達も、死んでしまったんだ、と。土曜日の午前中におばあちゃんがサックスの練習を見守ってにこにこと笑いかけてくれることは、もう二度とないんだ、と。友達が引っ越していった広島のどこを探したとしても、もう彼女はこの世のどこにもいないんだ、と。それは、たしかな感触だった。ああ、二人は、死んでしまったんだ。
 湯船に浸かりながら、私は泣いた。友達の訃報を耳にしても、おばあちゃんの葬儀でも泣かなかったのに、今になってようやっと、実感が胸の奥までまわり来たのだった。ぽた、ぽたり。漏れ水がしたたる音が、相変わらず浴室に響いていた。私は引きつれた声で、友達が好きだった歌を、小さく口ずさんでみた。嗚咽混じりの情けない声で、底抜けに明るい歌詞を、記憶の中のメロディに乗せて、ぼやぼやと歌った。
    忘れないようにしよう。そう、思った。死んでしまった人たちのことを、忘れないようにしよう。
    感情の昂ぶりによる火照りのせいか、のぼせてしまったせいか、涙なのか、汗なのか、すべてがぐちゃぐちゃになって何がなんだかわからない朦朧とした思いに顔をゆがませながら、私はあまり好きじゃないその歌を歌い、ぼろぼろと泣き続けた。泣きながら、死んでしまった大切な人たちのことについて、考え続けた。


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