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ちかごろ

ちかごろのことを少し長めに書いてみようと思う。

個人的にあまり生き方が合わない会社の先輩と、外回りをした。最寄りが阿佐ヶ谷駅で、阿佐ヶ谷駅などに来るのは、初めてだなぁと、感慨深い気持ちになった。阿佐ヶ谷というと、思い出すのはクラムボンの麗しのキスシーン。クラムボンの中でも、特に好きな曲の一つだ。

先輩の話を聞きながら、頭の中で郁子さんの歌声を思い出していた。先輩は、私の人間性というか気質というか、そういうものを鋭くも見抜いていて、並木(仮名)はさ、働く意味とか生きる意味とか、なんかいろいろ考えてそうだけど、そういうのあんまり考えない方がいいよ、と言ってきた。考えると、嫌になるから。その通りだと思った。現に考えているから、私はそういうもろもろのことに対して嫌気がさしているのだ。でも、それがたとえ何に対しても、考えることをやめるというのは、人間としてどうなんだろう、とも、私は思ってしまった。意思とか、考えとか、そういうのは、私が私として、一人の人間として存在しているには、どうしても必要なものであって、そういうものは大切にしなければいけないのでは、と、私はやっぱり考えてしまうのだ。

その日は、だいぶ気持ちが落ち込んだ。その日、というか、もう何日も、そういった気分が続いているのだけれど。
syrupを聴こう。ふいに、そう思った。syrup16gは、高校生のころ、メンタルがずたずたにやられていたときに、かなり聴き込んでいたバンドだ。久しぶりに、ちゃんと聴いた。生活を聴いて、泣いた。生きているよりマシさを聴いて、また、泣いた。音楽はいつだって、人間の気持ちに寄り添ってくれる。
その後で、クラムボンの曲をいくつか聴いて、また、生きようという気持ちになった。クラムボンの曲を聴くと、当たり前の日常が突然愛おしく思えてきたり、外に出て新しい景色を見たくなったり、懐かしい気持ちになったり、少しだけ寂しい気持ちになったりする。生きていたい、生きててよかった、という気持ちにさせてくれる。そういうアーティストが、私は好きだ。

数日前の外回りは、少しだけ楽しかった。私たち以外の他の会社も集まって、江戸川区の現場を、いくつかまわった。先輩はおらず、私一人、他の会社の人の車に乗せてもらって、ぐるぐると現場をまわった。初対面の人の車に乗って、見たこともない場所に行くなんて、少し前の自分には想像もつかなかったことだろう。レインボーブリッジを渡り、葛西臨海公園の方まで行った。ディズニーリゾートの案内が目に入ると、行く訳でもないのに、自然と心が浮き立った。恐るべし、夢の国パワー。
私を乗せていってくれた他会社の人は、優しくて穏やかな人だった。行きしなに、いろいろな話をした。高校時代のこととか、専門学校時代のこととか、今の会社のこととか。彼はいろんな話をしてくれた。
当たり前のことだけれど、この世に生きている、ううん、故人も含めた人の数だけ、それぞれに違った人生があるということを考えて、茫然とした気持ちになった。過去とか、夢とか、喜びとか、悲しみとか、恨みつらみとか、その他もろもろいろんなものが、人の数だけ存在しているということ、その膨大な熱量のことを考えると、この世はまこと恐ろしい場所なのだと思った。

土曜の夜の今、私はこの文章を書いている。池袋から帰る電車の中。映画を観た帰りだ。海の上のピアニストを観たので、ウォークマンでモリコーネのサントラを流して余韻に浸りながら、適当に文を連ねている。
映画を観に行くため、池袋にはほとんど毎週行っている。中学のころから今まで、私にとっての遊び場といえば、池袋だった。それ以外の場所を、私はまったく知らない。大学時代なんかは、通いすぎて嫌気がさしていた時期もあったけれど、就職していろんな場所をまわるようになってからは、池袋にいると、なんだかほっと落ち着くような気持ちになることが、多くなった。
そんな池袋も、ここしばらくでかなり様相が変わってきたように思う。シネマサンシャインはなくなってしまった(代わりにグラシネができたけれど……いつもお世話になっています)し、アメリカンイーグルもなくなってしまったし、贔屓にしていたおかしのまちおかもなくなってしまった。マツキヨはインスタ映えするような外観に様変わり、ハレザとかいう洒落た建物もできた。パーフェクトスーツファクトリーは閉店セールをしている。馴染みのある池袋でも、少しずつではあるけれど、そういった変化を目の当たりにすると、やっぱり少しだけ、寂しい気持ちになる。
変化に弱い人間なのだ。感傷的な方へ、すぐに引っ張られてしまう。

今月観た映画について、月末にでもまとめられたらいいなと思う。映画について語れる友達がほしい。ほしかった。大学時代が悔やまれる。そんなちかごろ。

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