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逃げる写真

沈みゆく航空母艦「瑞鶴」の最後の瞬間。その時、隊員の誰もが死を予感していたのかもしれない。艦船ファンにはよく知られた写真です。しかしそれ以上に、ぼくはこの写真が気になっています。理由は単純。

逃げる写真だから。

ここで「逃亡のすすめ」を説くつもりはありません。そんなことは一人一人が考えればいいことなので語る必要もないでしょう。ぼくの言う「逃げる」とは、写真の本能的な感覚のことです。それがこの写真からよく見える、ということなのです。

1944年10月のレイテ沖海戦。フィリピンのエンガノ岬の沖合で小沢隊の空母瑞鶴は敵の航空機から執拗な攻撃を受けて航行不能になります。

2_逃げる瑞鶴

総員退去の命令が出て甲板に集合。13時58分、マストに掲げた軍艦旗を降すのを見守り、万歳三唱の後、それぞれ海に飛び込んでいったのでしょうか。14時14分、瑞鶴沈没。

その最後の場面を写したカメラは、並ぶ隊員の頭より少し高い位置、マストの影が写真の左隅に写っています。とすると、カメラは艦橋の中段デッキの辺りで構えたのか。垂れ下がるワイヤーの前ボケでわかるように、写真は全員が旗を見つめるマストの少し後ろという絶妙の場所で撮られてます。

3_記者の視線

報道の目的で撮られた戦場写真では、誰が撮ったか、どこに立って何を感じてカメラのシャッターを切ったかは、あまり話題になってないと思います。だけど、写真の8割はどこに立って撮るかで、残りの1割はどんな気分で撮ったかで写真は決まります。最後の10パーセントは偶然の作用。

たとえば、隊員と同じ視線の高さで撮ればまさにその渦中にいる混沌とした写真になるだろうし、マストに登って撮れば巨大な空母が沈みゆく悲劇を見つめるクールな写真になります。冒頭の写真は艦橋の中段にカメラを構えて、隊員の胸の内が見えるような近さと映画でも見ているような遠さを映し出しています。前ボケのワイヤーがとても映像的な効果を出してます。

そして写真は逃げる。シャッターを切った瞬間に写真は空間の「外」に向かいます。時間の外、と言った方が分かりやすいのかな。写真は遠く離れた時間(未来)へと届けられます。隊員たちの空間から少し離れた少しだけ高い所から撮られたために、写真の本能的な感覚が空間的にも強調されてます。

この写真を撮った人は、これから死ぬために撮ったのではないと感じています。カメラと海に沈む気持ちで人はシャッターを切ったりしない。撮った写真を届けるために生きようとしていたはずだ。写真を撮って、初めて気がついたかもしれない。フィルムと一緒に逃げようと。撮られた隊員達も生きてその写真に再び出会えたら。(写真の中では既に未来に脱出している)

4_最後の二枚

最後の写真が二枚残っています。

海の水平線を揃えてみると一枚目の写真はフレームが傾いているのがわかります。目の前の光景に感極まって思わずシャッターを切ったのでしょう。甲板は大きく傾き、まともに立ってられる角度ではなく写真にマストやワイヤーが横切ってることにも気がついてなかったかもしれない。二枚目のフレームはほぼ水平で、マストを前ボケで入れることも考えての構図だろう。立ち位置も少し左に修正している。逆光の海の反射を気にしたのかもしれない。二枚目は冷静になって万歳の声が轟く瞬間を撮ろうと意識したのか。残念ながら一枚目の偶然性にはかなわなかったが。

三枚目はあったのだろうか。フィルムが海水に浸からないようにパトローネに巻き取り、カメラから取り出して封をする時間も惜しかったに違いない。
瑞鶴には報道部員としてカメラマン2名(飯島正一、大鹿栄太郎)と記者2名(村岸正雄、尾高光)が乗っていたと記録にあります。その写真は記者が撮ったもので、自分は泳ぎが得意ではないから...と近くにいた水兵にフィルムを預けたそうです。

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