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朝7時。床の上で起きてまず考えること



寒い。
当たり前だ。なぜかヒートテック上下の肌着で床上で目が覚める。
寝落ちする直前には、セーターも裏起毛ズボンも履いていたはずなのに。
電気カーペットの暑さに脱いでしまったのだろうか。
タイマー式の電気カーペットはもう暖かさを失っていた。

最近毎日こんな感じだ。
休みは与えられるのではなく、自分で作り出さないと得られないものだと
齢29年にしてようやく知る。

働くようになって、どこででも寝れるようになった。
布団・ソファーではなく時にはアスファルトの上でさえ。

布団の上には畳んだ洗濯ものが陣取って、肝心の家の主は床で目を覚ます。
畳んだら仕舞えばいいだけなのに、そうしない自分の自堕落な性格のせいだ。



そんな毎日をここ1ヶ月過ごしている。
私の少ない心のキャパシティが満ち足り、少し減ったりしながらの毎日。
朝起きるたびに思う。

「働くってなんだろう。」と。

気づけば、今の業界は6年だ。今の部署は3年。
学生から毛が生えただけの一年目はとうにすぎた。
しかし、まだまだ自分は甘ちゃんだと痛感せざるえないことが最近多い。

それは3年目なのにまだまだ自分でできることが少ないからか、
逆に自分でできることがわかっていないからか、
なにせ自信がない。いつまでもだ。そういうところが、甘えだと思う。




話は飛ぶが、かつてお付き合いしていた彼に
私がもしこの業界で働いてなかったら、なんの仕事してそう?
と興味本位の質問をした。

彼は苦笑いしながら、「働いてなさそう(笑)」といった。

それを聞いて私は、無性に悲しくなったのをよく覚えている。
そうか、私らしくいられる場所はないのかと我ながら感傷的な人間である。


別の長年の女友達に似たようなことを聞いた。
前世とかそういう世界があったとしたら、私たちはどう過ごしていたのかなと。

すると彼女は、「そうだなぁ小町さんは…宮廷詩人かな」と答えた。
彼女になぜ?と聞くと、
「泥臭く仕事せずに、季節の移り変わりとか細かいところにのんびり気がつくような感じの仕事してそう」と続けて言った。


自分の勤労意欲が、周りよりも低いのではないかと思い始めたのは、
この話をしはじめてからだ。
彼の小馬鹿にした態度には怒りすら覚えたが、彼女の言葉はすっと納得できるものがあった。そうだ、わたしは働くのがすきではないのだ。

特に私のいる業界は“やる気の搾取”のカテゴライズされる業界である。
“お前は、やる気が足りないないなぁ”“やりたくて入ったんじゃないのか?”
何度言われたかわからない。
沈む気持ちに蓋を被せるように、無駄に笑顔をふりまいていた時期は長い。
勉強の足りないところを責められると、今までの時間も今の自分も全てを否定された気持ちになる。

ただ、勤労意欲が低い上に私は睡眠時間のコスパが悪いようで、寝ないと思考力が極端に低下するようだ。これもここ数年で気づいた私の特性だ。

悪循環が永遠と続くような、自己否定と自信喪失、誰からも求められていない孤独。わたしにとって、働くことはまさに自分との戦いである。

「お金のためだったら、別の仕事をすればいい。
それでもやりたいから、この仕事してるんだろう?」

そうですね。そうかもしれません。
私にとって仕事と働くことは違うのかも知れない。

なんなら、自分がした仕事を認められたり、提案を聞いてもらえたり、意見を求められたりしたときは、実は私働いたぞー!と思っていない。


むしろ趣味のダンスでうまく踊れた時の高揚感によく似ているし、
ゲームで敵に連続コンボを決めた時とか、書道で自分の納得のいく線がかけたりとか、ボルダリングで登れなかったところがうまく登れた時とか、そう言った瞬間の感覚に近い。

私にとってはたらくことは自分との戦い・苦行だ。
でも仕事は、もしかしたら嫌いではないのかもしれない。


今はできないことが多くて、(もともと一つのことができるようになるのに他人より時間がかかる効率の悪いタイプなのは自認している。)
逃げ出したくなる自分と戦わなきゃいけないことが多いから、朝起きた時に感じる働きたくない気持ちに支配されがちだ。


私は、はたらくのではなく、仕事をするのだ。

仕事ができるように、はたらくのだ。


それが私のいまの答えだ。
10年後・20年後の私よ、今の所の答えはこれでいいでしょうか。



#はたらくってなんだろう

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