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「ザ・プロム」 啓蒙映画として

 「glee」や「アメリカン・ホラー・ストーリー」で知られるアメリカを代表するヒットメーカーのひとり、ライアン・マーフィーが監督した最新映画「ザ・プロム」

https://www.youtube.com/watch?v=frn4swE0n2U

「同性の恋人をプロムに誘いたい、と言ったことでPTAに猛攻撃されてプロムに出席できなくなった女子高生をスターが助けるミュージカル映画」というあらすじとキラキラしたポスターを見て、「ああ、またマイノリティが理不尽な扱いに苦しむけど基本皆良い人で、最後はテキサス親父みたいな保守的なお父さんが改心して『君を誇りに思うよ』とかなんとか言ってハッピーエンド、な映画でしょ」と感じた人も多いと思う。

 私もちょっとそんな予想をしつつ、でもやっぱりライアン・マーフィーが好きなので(毎回なんだかんだで涙して感動してしまうので笑)、配信をとても楽しみにしていた。

 結論として、「ザ・プロム」は素敵な啓蒙映画だった。

 自身も同性愛者であることを公表しているライアン・マーフィーがLGBTQや多様性をテーマに作品を撮る時は、理想主義的な世界を描き、「こんな世界の方が良いと思いませんか?」と視聴者に問いかけることが多いので、ドラマ「glee」(2009年〜)も「POSE」(2018年〜)も、「実際こんなに良い人ばっかりじゃないでしょw」と思ってしまうような性善説に乗っ取っている(批判的に聞こえるかも知れませんが両作とも大好きです!)。

 例外は、今年亡くなったゲイの活動家ラリー・クレイマーの自伝的小説を元にした「ノーマル・ハート」(2014)で(これは彼の監督作で1番好きな作品なのでいつかまた別の機会に)、この作品はエイズが「gay cancer(ゲイの癌)」と言われていた80年代が舞台なので、悲惨さを描かなければ当時の状況を伝えることが出来なかったからかなと思う。「ノーマル・ハート」の大きなテーマのひとつがカミングアウトの問題だったのだが、「ザ・プロム」もその部分を引き継いでいる。

 主人公の女子高生エマ(ジョー・エレン・ペルマン)が同性の恋人アリッサ(アリアナ・デボーズ)と一緒にプロムに出たいと主張したことで大騒ぎになるが、一旦は校長先生(キーガン=マイケル・キー)の支援もあり出席できることになった。しかしこれは実は超保守主義のPTA会長(なんとアリッサの母親)の罠で、「普通の人以外のプロム」たった1人で参加させられる羽目になる。この事件のあと、エマは「1番ショックだったのはあなたが私を連れ出しにも来なかったこと」とアリッサに言い、自分は全世界に向けてカミングアウトするつもりだと宣言。アリッサは「自分もそうしたい」と言うが、母親の手前「今はまだできない」。エマは「辛すぎる」とアリッサと別れることに。

 このカミングアウト問題、当事者にとっては勇気の有る無しで片付けられる話ではなく、場合によっては周囲との関係が永遠に崩れてしまう可能性もある大変な問題だ。「ノーマル・ハート」では、「どれほど辛くてもカミングアウトして公に堂々と出て世間の注目を集めなければ、1ヶ月で友達が数十人も死ぬような非常事態なのに政府は何ひとつ対処してくれない!このままでは何人死ぬか分からない!命がかかってるんだ!!」と言う主人公の悲痛な叫び、そしてそれに対して「どんな状況だろうとカミングアウトを強制すべきではない」と考える仲間との不調和という問題が根底にあった。

 この問題はもちろん2020年だってあるし、当然日常では強制されるべきではないと思うけれど、それはあくまで頑なに偏見を持つ人がいるからで、もしそんな葛藤を持つ必要などまったく無く、ゲイもストレートもごく普通に恋バナできる世界があるならそれに越したことはない。それを教えるのが「ザ・プロム」の世界観なので、カミングアウトしないならもう付き合えない、と言われたアリッサの気持ちについてはそこまで深く追わなくても大丈夫。

 この映画のもう一人の主人公が、ブロードウェイの元大スター、ディーディー・アレン(メリル・ストリープ)だ。ディーディーとバリー(ジェームズ・コーデン)は、ルーズベルト夫妻を演じた最新舞台が「作品は悪くないけど役者がナルシストすぎて最悪」と批評家に酷評されて打ち切りになり、危機感を抱いている。ここがちょっと面白くて、日本人から見るとアメリカ人は全員ナルシストに見えるし「自分を愛せ!」とかあれほど言うのに「Nobody likes narcissts!」とか非難されるんだ、っていう笑。自分のことしか愛せない人、という感じの意味なのかな?

 それから、意にそわぬ役しか貰えず現状に不満を持っているトレント(アンドリュー・ラネルズ)とアンジー(ニコール・キッドマン)。この4人が上述したエマ&アリッサのニュースをネットで見て、「この子を救いにインディアナ州に行って、売名しよう!」と思いついたことで、映画が動き出す。

 最初は名声を回復させようという功名心のためだったのだけど、上述の「1人プロム事件」を目の当たりにしたブロードウェイ組は、見返りを求めず本気でエマのために何かしようと考え出す。

 ゲイバレして以来エマと疎遠になってプロム虐めに加担した、いかにもスクールカースト上位系の男女4人組に対して、トレントが歌って踊ってメッセージを投げるところは名シーンだった。

 最初は「私たちは善人で、クリスチャンで、教会にも通ってる」と主張する高校生たちに、「君たちだって聖書の戒律はいろいろ破ってるよね?」とトレント。「それとこれとは別!」と生徒たちも返すのだけど、

「君はタトゥーをしてるよね?タトゥーはタブー、地獄の業火で焼かれるよ」

「継父だって!?離婚は大罪、君のお母さんは死んでしまう」

「優しい君がもし処女を失ったら、僕たちは君と君の家族に石を投げなきゃいけない」

「罪だから、君はマスターベーションなんかしないよね?」

 と畳み掛けられ、最終的には全員で「そんなことよりイエス様の”隣人を愛せ”だけを信じよう」と歌いながら活き活きとキレキレダンスを踊って和解。 

 もちろん普通に考えたら切り替え早すぎなんだけど、ミュージカルだし元々予定調和的なのでそこはそんなに気にならないかな。個人的には小麦肌にブロンドのチアガール、ケイリー(ローガン・ライリー・ハッセル)が好き。肩幅ががっしりしてるところが可愛い。同じく可愛いシェルビー(ソフィア・デラー)の「ゲイになったんじゃなくて、元々ゲイだったんじゃない?」という一言は、今は80年代じゃない、保守的なインディアナ州で育った高校生だってちょっと教えればこのくらいわかるんだ、というメッセージ性で優秀。

 それからディーディーが自分の別荘を売ってエマのテレビ出演の約束を取り付けてきたとき、エマが「私は私のやり方でやります」ときっぱり断ってYouTubeで自作の歌を配信することを選んだのは2020年だなーと改めて。まったく興味が無いかも知れない不特定多数1600万人より、当事者に直接届ける方を選択したのだ。

 そしてその作戦が功を奏し、誰もが自分の選んだパートナーと参加できるプロムを開催することに決定。このシーンでアリッサと上位カースト組がやってきてエマに謝罪。良かった良かった、という雰囲気になったところで登場したアリッサママ「これを恐れてたの…!」

 我が日本国にも2020年に「性の多様性を子供のうちから教育したら”普通の結婚”をしない人が増えて国が滅びる」という主旨の発言をした某区議会議員がいましたが、まさにそういう人たちが恐れていた事態、(アメリカだと)いかにも健全な、アメフト部とチア部の男女が「ゲイに理解を示す」という恐るべき事態が起こったのである。

 ここでアリッサが「ゲイになったんじゃないの、元からゲイなの」「ママの時代とは違うの。ほんの少しだけど、よくなったの」。

 そして改めてアリッサとエマは愛を打ち明け合って復縁し、念願のプロムに参加することになる。

 こうしていろいろあったけど、頑固なアリッサママもプロムに参加してちゃっかりベスト・ドレッサー賞を受賞し、ディーディーはイケメン校長と熱いキスを交わし新たな恋の予感、もちろん全米の高校生は愛する相手とプロムに参加できてハッピーエンド!という終わり。

 まとめてみると確かに最初書いた大まかなあらすじと大体一緒なのだけど、主人公が女性ゲイ=レズビアンで、「保守的だけど最終的には子供の判断を認める大人」枠が母親だったところは少し予想と違って、その意味では女性映画と言えるかも知れない。

 また、上ではあまり語れなかったけれど、ゲイのバリーが哀しきプロムの記憶を更新し、母親との和解を果たすのも良いシーンだった。

 残念だったのは、見せ場の曲がイマイチだったのもありニコール・キッドマンの影が薄く、「スタイルいいなー」以上の感想が出て来なかったところ。なんで彼女がいるのかよく分からないことになってしまってた。

 そして、もちろんもっと現実的に考えたら、「母親がPTA会長」という難しい立場のアリッサの心境はこんな甘いものでは無いだろうし、やんちゃ気味な高校生がちょっと有名なドラマ俳優に「皆だって聖書的に悪いことしてるでしょ?」と言われたくらいで反省して理解者側にまわるなんて考えづらいし(アリッサのママもそう)、エマだってあんな屈辱的な仕打ちを受けたのに口で謝られただけで「皆に嫌われたと思ってた!良かった!」で済むなんてありえない。そもそもあんなに理解あるストレートの校長先生がいること事態ありえないかも。

 でも、「そうだったらいいな」という理想を、ミュージカルという魔法が実現してくれた、と感じる。

 この映画がもしも「コンプラ的に多様性入れなきゃヤバイよね」という趣旨で作られたのだとしたら、上記の現実的でない部分は白けるだけだけれど、こんなに泣けるのは、やはり一貫して因襲的な人々を啓蒙すべく制作してきたライアン・マーフィーだからだと思う。

 「誰でも参加できる」というプロム、お相手が「実の父親だけど本気で愛し合ってるから」とか「既婚女性だけど本気で愛し合ってるから」とか「ペットの犬だけど本気で愛し合ってるから」とか「6歳児と本気で愛し合ってるから」といった理由だったら一体どうなるのかな、とか意地悪なことも少し言いたくなるし、プロムなんて華々しいところに「同性だろうが何だろうが誘える相手がいるだけいいだろ!」みたいな観点もあるとは思うのですがw、そんな人たち含めて全員幸せになろうぜ!!と言いたくなる、多幸感溢れる良い映画だった。

★K.ROSE.NANASE★

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