見出し画像

個展のあとがき。

緊急事態宣言発令の結果、本来の会期(4月26日まで)が繰り上がって24日(土)が最終日となったサトウヒロシ個展『花せおうフルコース』ですが、前回の宣言〜今回の宣言の隙間をぬって、約1ヶ月間も開催できたことは幸運だったと思います。

ご来場いただいたみなさま、本企画に関わる商品をご購入いただいたみなさま、個展の情報を拡散してくださったみなさま、原画をご購入いただいたみなさま、カランダッシュ銀座ブティックのスタッフのみなさま、本企画を立案運営してくださったカランダッシュ竹内さまに、御礼申し上げます。
ありがとうございました!

絵を売ること

さて、原画の販売を主とした個展は、20年ぶりくらいでして、そもそもデジタルで絵を描いていた僕にとって「1点ものの絵を描いて売る」という感覚自体あまり理解できないものでした。インクで絵を描くようになり、アナログの魅力に取り憑かれつつも、安くはない金額を支払っていただける絵画とはどういうものなのかが理解できず、いくつかいただいていた個展の話もありましたが、お断りするか「絵本原画展」として販売を避ける方向で活動をしてきました。

コロナ禍の影響で、結果的に自身の活動を根本的に見直す機会に恵まれ、いちから絵の描き方を勉強しなおしました。キレイなものは描ける、でも、なぜその絵が欲しくなるかはわからない。画家と名乗りつつもその疑問は大きくなるばかりで袋小路にはまり、ジレンマに悩みました。今回の個展の話は、そろそろ自分なりに結論を出さねばならないな、決心するきっかけになりました。

僕の絵を買ってくださる方は、どこにその魅力を感じてくれるのだろう。それは個展が始まってみないとわからないので、当座の方針として「僕が飾りたい絵を描こう」と決めて描いた作品が「花せおうフルコース」シリーズとなりました。得意な食べ物と飾った時に華やかになるお花を「少女漫画の花を背負わすように」描く、それならいけるだろうか…と。

その際、自分で評価できるいくつかのボーダーラインを作りましてね、例えば…

・各作品は、これまで培った技術や経験を全て注ぎ込んだ作品であり、最新の表現であること。
・どんな経緯でその絵となり表現となったのか言語化できること。
・絵そのものに話題が存在し、所有された方が誰かにその絵の説明をできること。

そんなことをひとつひとつ考えて作品が出来上がり、額装、展示が完了したところでようやく一枚の絵に込められる世界観と、それらが集まり並んでいる個展空間で作れる世界観の面白さを理解できた気がします。

絵は空間作品と考えるとわかりやすい

「結局絵画も空間作品なんですよ」
と学生時代に誰かに聞いたことを思い出します。

「平面作品である原画」と同じく平面である「印刷物」には圧倒的な表現力の差があります。来場された方々の多くが原画とポストカードの印象の差を口にされていました。これは色彩の再現力だけでなく、平面とはいえ、原画は立体物だから、というところが大きいのでしょう。使う画材と額装でその奥行きと存在感が変わります。紙の質感もまた立体ですし、ちょっとしたホワイトの盛りも立体です。油彩だとわかりやすいですよね、グッと絵画が持ち合わせている重たさや力強さが作品に加わります。

さらにその絵が「販売」されていると、観る方の絵の見方にも変化があり、「自宅のどこに飾ろうか」という発想に繋がります。すると、絵はその空間のどこにあると映えるのか…という視点で評価されることになります。もっと言えば、その絵を中心に部屋のレイアウトを変えよう、とまで影響力を持つことだってあるわけです。これが空間作品の力なんだろうな、と。

仮に額装したとしても、プリントではなかなかそこまでの力をのせることは難しい。逆に言えば、原画はそもそも空間作品であることを目指すべき、とも言えると思いました。

イラストレーションと絵画は目的が逆

「一枚の絵は、それが欲しいと思う誰か1人に売れれば良いんですよ」
と作家仲間に言われたことを思い出します。

これはここで言葉で書いたとしても「理解」することは難しいかもしれません。そういえば、とあるテレビ番組で、現代アートを取り扱っているギャラリーの方も同じことを言っていました。

人気があること。来場者数が多いこと。話題になること。どれも無関係ではなけれど、一枚の原画を購入できるのはたった1人。10枚の作品であれば、必要なお客様は10名。たったの10名です。これは、大勢の方々の支持が求められるイラストレーションとは逆の考え方です。イラストレーションはなんらかの媒体や商品と共に使用されます。なので、どんなイラストにするのか、どんなイラストレーターに依頼するのか、その時点でその商品のターゲットがすでに存在しています。ターゲットがある、ということは、市場を分類してどんな絵がそのターゲットに好まれるのだろうか、という不特定多数の「平均化された架空のお客様」を想定するわけですね。そこに合致する絵がその絵の正解になります。

一方絵画の場合、十人十色の個別の価値観と合致したときに初めて買っていただける作品であることを想定するということになります。誰が、どんな動機でその絵を欲しいと考えるかはわかりません。「その絵が美しいから」「画家と付き合いがあるから」「将来値段が上がるかもしれないから」などなど、想像はできますが、だからといってその絵の正解がどんなものである必要があるのかは見えてこないわけです。

すると画家にできることは限られてきます。「突き抜けて」「飛び抜けて」画家自身が「観たいものを描く」ことです。とりわけ、その作品が他の誰にも描けないものであることだけは必須条件になります。他でも観られる、買えるものではダメなのだろう、と。

「観たいものを描く」

「観たいものを描く」、この結論は幸運なことに、たまたまではありますが、「僕が飾りたいものを描く」という、この個展用の作画に着手する際立てた方針と近いものでした。その結果、ご購入くださった方々とご縁をいただくことに繋がったのだと受け止めております。  

少し話は逸れますが、「観たいものを描く」と「描きたいものを描く」は似ているようでまるで違います。「描きたいものを描く」は画家が作品を作る上で必要な最初の動機であって、それ自体は完成品の質を問わないものです。ようは、なんでもいい(笑)もちろん、売れることもあるかもしれないけれど、画家が作品を作る上で「完成品」としての強度を測る指標にはならない、ということです。

「描きたいものを描く」は往々にして「描き手の内面」が表現されがちです。よく巨匠の特集番組なんかで「画家が自己の内面と向き合う」部分をドラマチックに描かれています。その影響とは限りませんが、つい画家自身の「自己との向かいか方」そのものを作品としてしまうこと、それを「画家らしさ」と捉えてしまうことがあります。でも、そこは一歩踏みとどまる必要があるのだ…と、ここでは自身への戒めの意味も込めて言語化しておきたい。

自己と向き合った作品、それはテーマがそのまま「画家本人」となります。冷静になって考えてみましょう。この作品を所有した誰かは、画家本人、1人の他人の何かを壁に飾ることになるわけです。恋人や家族など「大切な人」でもなんでもなく、「ひとりの他人」です。これ、所有したいですかね?(笑)いや、僕は欲しくないです。飾りたくない。その画家本人が僕にとって大切な人であれば別ですが、そうじゃなければまったく飾りたいとは思いません。

それでも、「自己と向き合って描くこと」は自分の気持ちを整理したり、新しい発見があったりするから意義はあります。モチーフが自分以外になった場合のテーマの深め方、なんかも自己と向き合うことで見つけられたりします。なにより「画家自身は楽しい」はずなので「描きたいものを描く」ことはモチベーションを上げたり、肖像権フリーのモデルとして習作には持ってこいではあります。

だから「描きたいものを描く」にはもちろん意味はあるけれど、その作品を売り物にするならしっかりと別の基準を自身で持ち合わせている必要がある、ということです。そのまま世に出したらアカンよ、と。

この考え方を割り切ることは、意外と難しい。少なくとも僕には難しかった。時間もかかりました。

絵にかいた餅を食べたい

続きまして、『花せおうフルコース』の企画について。
花と料理を主役に描いていく上で、最初にクリアせねばならなかったのがモチーフである「お料理」の存在です。今回、料理のビジュアルにご協力いただいたのはBorzoi DELICATESSEN(以下ボルゾイ)というフレンチのテイクアウト専門店さまの多大なご協力の上で成り立ちました。

お料理にはそもそもシェフの考えた「盛り付け」があります。食べ物をモチーフにした場合、絵におこす前に既に盛り付けされたビジュアルがあります。人物に肖像権があるのと同様に、お料理にはその料理を考えたシェフのセンスが存在するわけですね。なのでこのシリーズはその許可をいただいてから着手しました。

「知らない方がこの作品をみたら、もっと新鮮な気持ちで感動できるのでしょうね(笑)」

というのは、開催4日目くらいにご来場くださったボルゾイの松本シェフの言葉で、見慣れたご自身の料理のビジュアルに驚くことができなかった心象を表現されています(笑)

その後、生まれた企画が「『花せおうフルコース』お届けセット(ご注文は2021年4月30日まで)」です。実在するお料理を絵にするならば、絵に描いた料理が実際に食べられるプランも必要ではないか、というアイデアでした。

そこからシェフは試作品を作り、宅配できるパッケージとしてメニューをまとめていきます。送料込みでフレンチのフルコース1.5人前を5,500円で実現できたことは、ボルゾイさんの企業努力のたまものでした。

僕はPRムービーを作り、個展会場で配布するチラシを作り、会期中は作品の解説と一緒に「実際にこのお料理がご自宅で食べられるのですよ」と紹介します。

実在するお料理を絵にする。絵にかいたお料理を実際に食べる。

お料理を召し上がった皆様は、なんとも不思議な体験をされたことでしょう。ご協力くださったボルゾイの松本シェフには心から感謝を申し上げます。

また、他職種とのコラボレーション、これをきっかけに今後も色々とできたら良いなぁと考えています。もし、この記事を読まれて興味がありましたら遠慮なくお声がけくださいませ。

個展を観にきてくださるさまざまなお客様

元々僕を知っていて、個展の案内を見てきてくださったお客様。
僕のことは知らないけれど、個展の案内を見てきてくださったお客様。
僕とお仕事上のご縁があってきてくださったお客様。
親戚、友人の皆様。
併設している画材を見にきたついでにご覧くださったお客様。
ギャラリー巡りを趣味にされてるお客様。
本当に通りすがりで立ち寄ってくださったお客様。

在廊中であれば、「こちらが本日のメニューになります」と作品リストを差し上げて、会話のきっかけを作っていきました。つかみです、つかみね。おかげで沢山お話ができたと思います(笑)僕は作品の説明をそこそこに、料理の話ばかりしていたような気がしますが…お料理というのは、普段絵画に関心のない方でも共通の話題にできるところが素晴らしいですよね。今は実現が難しいですが、会食がビジネスシーンでとても重要な枠割を果たしている理由がよくわかります。

絵を観ることが目的の方も、僕と会うことが目的の方もいらっしゃいました。なんにせよ、作品を通して話題を作ることが個展の意義のひとつでしたので、実現できたことはとても嬉しいです。

これからの活動を考えました

この個展を通して1番の収穫はプロとしての「画家活動」をこれからも続けられる、と気持ちを固めることができたことでしょう。画家として、僕が「観る人」「買う人」「使う人」に何を提供できるのか、それが個展開催前と比較してハッキリと見えるようになりました。沢山の方々に見ていただき、ご意見、ご感想をいただけたからだと思います。

ここが固まったことで、僕の中の画家、絵本作家、イラストレーターそれぞれの曖昧だった定義もできるようになりました。あぁ、これでようやく価格表が作れる…といったことも考えています。いや、価格表大事なんですよ。それがないと怖くて相談すらできないですよね。

画家活動は、個展か企画展として現在「万年筆」をテーマにしたシリーズ作品を構想中です。予定では夏から秋にかけて第一弾を発表できるといいな、と。あと、画家業としての価格表を近々(ほとんど更新されていない)ウェブサイトに公開します。シンプルに説明するなら、原画納品を基本にした作画のお仕事になります。個人、法人どちらのご依頼もお受けします。

絵本作家活動は、今ご依頼いただいている「とある土地の伝承」をテーマにした絵本がありまして、そちらの制作を進めていることと、ストックにある新作絵本を熟成させているところです。絵本はご依頼いただいて描くこともできます。取材・シナリオ作成、作画、販売まで含めてご相談いただけます。ページ数やボリューム次第ですが、参考になる価格表作ります。

イラストレーターとしての活動を再開します。これまでは画家業との境界線が曖昧だったので、肩書きから外しておりました。基本はデータ納品になります。カット、テーマ、キャラクター、漫画、などなど一般的なイラストレーションはだいたいお引き受けできるでしょう。こちらは実績サンプルと価格表を近々公開いたします。

他にもできることはありそうですが、ここではこのくらいに。
昨年の8月頃は、色々と悩んでしまい、絵が描けなくなった時期もありました。それでも、支えてくれた家族や、お仕事をオファーしてくださったり、応援してくださった皆様のおかげでここまで戻ってくることができたのだと思います。

きっと今回の個展はこれからの活動の足場と支えになると思います。
皆様への感謝を忘れずに描き続けていこうと思います。

1ヶ月間、ありがとうございました。

2021年4月『個展のあとがき。』

よろしければサポートをお願いします!記事充実のため、画材の購入費や取材費にあてさせていただきます。