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チケット


去年の秋、わたしはあるチケットを手にした。
少しの不安と責任が混じったチケットだ。


有観客のライブ。希望を見据えてファンのために用意してくれたのだろう。なかなかないレアイベント。
取れなかった人も多くいると聞いたからラッキーだ。指定席で間隔もあいているだろうからゆっくり観れるだろう。すごく楽しみになった。来年の待ち遠しい予定になった。







ライブを告知されたとき、嬉しくて飛び上がった。待ちに待っていたイベントだったから。

でも興奮がおさまった頃には、「対策をする、制限をかけるとはいえ有観客ライブってまだ早くないか」と不安がかすんだ。結構迷っていたように思う。

まあ、まだ先だし、レアだし。とりあえず予約のつもりで。
そうして申し込んだチケットが、当たった。
嬉しかった。たまらなく嬉しかった。
けれども正直びびった。少しの責任が、リスクが、のしかかった気がした。







年が明けた。


テレビやスマホのニュースでだんだんと増えていく数字を目にするたび、胸がきゅるると痛む。
慣れてきてはいるのかもしれないが、やはり心のあたりがざわざわする。
一年前からずっとそうなのだけど。

ライブの日時が刻々と近づく。

チケットと自分や周りの安全。
その2つを天秤にかけている自分がいた。


県外に住む友達に会うのも控えてるのに。

気軽に外食もできにくいのに。

病院で身を削って懸命に働いてくださっている方がいるのに。

感染してどうしようもなく苦しんでいる方がいるのに。

ちょっと出かけるだけでもマスクするし周りへ気を遣うのに。




全国から不特定多数の人が来るライブに行くなんて。



わたしって、どうかしているのだろうか。

本当に行っていいのだろうか。

罪悪感を抱えたまま、ライブって楽しめるのだろうか。







「ライブが生きがい」

そういう声はよく聞く。

わたしもそうか、というとそうではない。

というより、そうではなくなった。

学生時代はライブに行ってなんぼだった。お金が無くてたくさん行けたわけではなかったが。欲しいものがあってもライブ優先で、そのために生きていた。

音楽に全身を預けると生きていることを感じとれた。自分も周りも一緒にもみくちゃになって、同じ箱に集合した全員と気持ちを分かち合える気がした。完全に非日常な空間が好きだった。


ただ、いつからかそういう熱量がなくなった。
もっと違うものを見に行ってみたくなり、ライブはしばらくお休みしようと思っていたところだった。
だが、これは、これだけは観に行きたい。その気持ちに賭けた。






音楽ライブが、ライブハウスが、がうまく機能していない。そんな日々が続いている。

配信でも、わたしは充分楽しめる。やってくれるだけでとても嬉しい。誰でも観れるし、安全安心だし、家で騒いで幸せにだってなれる。

それでも彼らの「直接、音楽を届けたい」の声に少しでも応えたい。応援したい。
そこでしかできないのなら、わたしが行くしかない。体は弱いけれど、電車にだって乗って会場へ行ってやる。県外だって行ってやる。リスク背負って行ってやる。

そんな気持ちで申し込んだ。


なのに。
チケットを握る手が、去年の秋のときの気持ちがいま、揺らいでいる。

開催の予定日はまもなくというのに、何も連絡がない。モヤモヤが募る。



ある方がおっしゃっていた。
「豊かな世の中でないとエンタメが届かない」

今まさにその言葉の意味を痛感している。