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猫が私を拾う

助産師をしていると、落ち込むことが多い。


この仕事は疲れる日が何度も訪れる。


責任の重たい仕事であると同時に、
優秀から程遠い私です。
毎日なにかしらやらかしてる。

夜勤明けは大抵ため息をついて車に乗り込むし
運転中にやり忘れていた仕事を思い出して
「うおー」と一人小さく叫んで頭をかかえたりする。


仕事帰りの私は大体精神にヒビが入ってる。
他人の視線、自分の不甲斐なさ、生きづらさ、
そんなものが束になって襲いかかってくる。


勘弁してくれと思うけど、仕方ない。
仕方ないって何度も自分に言い聞かせてる。

帰路を辿って、自宅に帰って、
歩くたびに精神のヒビが破片になって
廊下にばらばらと散らばっていく。
私にそれは拾えない。

帰ると愛猫が「にゃあ」と鳴く。
愛らしい姿とアーモンド型の緑色の目が私を見つめる。
私はいそいそと手を洗って着替えて、彼女のご飯を準備する。キャットフードがカランカランと高い音をたてて積もっていく。


「どうぞ」と彼女にそれを差し出すと、
彼女が一心に食べる音が静かな部屋に響く。
私は隣で三角座りをしながら
彼女の姿を眺めて、そのまま目を閉じる。

息がしやすくなる。

他人の視線が消えていく。

廊下に散らばった精神の破片が戻ってくる。
亀裂がなぞられて消えていく。


「何でこんなに苦しいんだろう」
そう先程まで思っていた感情が
「何でこんなに可愛いんだろう」
という感情に塗り替えられていく。

自分のやらかしを思い出す。
「まあいっか」「もういっか」
そう思ったりする。


「今日も愛猫が元気そうで私は嬉しい」
そう笑ったりする。

かつて、捨てられていた彼女を拾ったのは私だけれど、今では、彼女が私を拾っているように思う。

私の破片を、感情を、生活を、
彼女は丁寧に拾い上げてくれる。
丁寧に掬い上げてくれる。
穏やかに静かに私を守ってくれる。

温かくて美しい獣がそばにいる生活は
どうしたって心地がいい。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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