サボる「勇気」って??

みなさん、はじめまして。そしてこんにちは。
みかんです。
さっそくですが今日はここ数年で流行ってると感じるサボる「勇気」について語りたいと思います。

サボる勇気。
とってもいい言葉だと思います。
サボることは行動自体は簡単だけど精神的にはすごく大変だと思うんですよね。
絶対にツケがくるからです。

例えば上司に怒られるとか。サボらず真面目に働いてる人からは間違いなくいい印象はもたれないとか。少なくとも自分がサボってる間に周りの人達は成長していてその機会を逃すとか。

すっごいリスクのあることだと思うんですよ。
ただ、それを恐れて自分が壊れちゃうくらいならばそれら全部受け止めた上で今はサボろうと決意するからこそ「勇気」だと思うんですよね。

また自分は立ち上がる、這い上がるために今はそう思われてもしょうがない。って思う精神が勇ましいものだと思うし、「サボる勇気」って素晴らしい言葉だなあって思うんですよね。

ただ、ここ近年のネットや世間の風潮を見て思うことはサボることの行為自体が尊重されてるように感じるんですね。

自分が嫌なことは全部投げ出していい!
悪いのはルールが悪い!
周りの目なんか気にせずやりたいことをやればいいじゃない!
なんかそんな薄っぺらさを最近感じるんですよ。

自分が嫌なことはなんでもルールのせいにしてサボってもいいのか??
それは違うと自分は思います。人は今まで生きてきた自分を否定されて、壊されて、それでも新しい自分を作っていって成長するものだと思うし、そう信じています。
だからこそ自分はサボる勇気ではなく、「壊れる勇気」も必要だと思います。

周りの目を気にせずにやりたいことだけやっていればいいのか??
それも間違っていると自分は思うんですよ。
やりたいことをやる!その決意のもとのに周りの反対を押し切ってチャレンジした。成功できたならそれはそれは素敵なことです。
じゃあ、失敗して、挫折したならば??
それこそ、前述したとおり自分が「壊れて」しまったときは??
その時に自分1人で立ち直れる人ってほとんどいないと思うんですよ。
たまに本当に立ち直っちゃうモンスターみたいな人いますけど。

そうなった時に助けてくれるのは絶対に周りの人だと思うんです。
周りの目を気にせずにただ勝手にやりたいことだけやっていた人に心から支えてくれる人は本当に少ないと思うんです。
「自業自得だろ」って冷たくあしらわれるのが関の山だと思います。
ただ、本当にそれでも支えてくれる人はそれでもいますよ。家族とか。本当に優しい人とかね。
ただ、そういったモンスターや聖人しか生きていけない世の中ではいけないと思うのです。

理不尽な残業やルールを押し付ける上司は害悪なのか?
違う。そういった人達が、自分が壊れてまでも守りたい幸せが彼らにはあってそれのおかげで自分たちは豊かなんだ。
そういう人たちが偉くなって上司になっただけなんだと。管理職というのは、人を壊しながら成長させ、部下を育てなきゃいけない職業なんだ。
(むやみやたらに人を壊したがる人は最低だけれども。)

サボりに厳しく、冷たい目線を送る同僚には心がないのか?
違う。彼らは彼らで必死なんだ。どれだけ辛くても守りたいものがある。それは社会で生きていく上の共通認識で絶対的なルールでそれを破って幸せだけ享受したいなんて傲慢だ。

自分が壊れてでも成長を求める人は愚かなのか?
違う。そういった人が世界を変えていくんだ。

それら全てを理解して、それでもサボろうと決意することは本当に勇気のいることだと思うのです。

「サボる勇気」
それは今はサボってもまた這い上がろうとする精神が勇ましいのであり行為が勇敢なわけではない。というお話でした。

もし、本当にサボる行為自体が勇ましいのであれば自分はギリシャの英雄ヘラクレスにも相当する勇者でしょう。
それでも、自分は悪い意味でおサボりさんなので今にも腐って周りの足をひっぱりかねないしがないみかんでございます。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
たま〜に思ったことを書いていこうと思います。





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